庭の赤の椿が咲きました。
この椿は「珠錨」と名付けられている椿かも知れません。
椿の用途は鉢植え、庭植ですが、こちらでは垣根にされている方もいらっしゃいます。
花言葉は「女性らしさ」と紹介されています。
今日は赤の椿とピンクの山茶花を紹介致します。
庭に咲いた「椿」
雨の中で映えていた「山茶花」
庭の赤の椿が咲きました。
この椿は「珠錨」と名付けられている椿かも知れません。
椿の用途は鉢植え、庭植ですが、こちらでは垣根にされている方もいらっしゃいます。
花言葉は「女性らしさ」と紹介されています。
今日は赤の椿とピンクの山茶花を紹介致します。
庭に咲いた「椿」
雨の中で映えていた「山茶花」
12使徒の一人のマタイの名前は、多くの人たちに福音書筆者の一人としても知られています。この福音書筆者の一人のマタイという人はどのような人だったのでしょうか。マタイはイエスが弟子に招かれた時にどのように応じたか、人々はマタイをどのような人として見ていたのかが、次のように記されています。さらにパリサイ人、つまり偽りの宗教指導者の反応にイエスがどのように教えたのかの、興味深い場面から学ぶことができます。
「次いで、そこから進んで行く途中で、イエスはマタイと言う名の男が収税所に座っているのを目にとめ、「わたしの追随者になりなさい」と言われた。すると彼(マタイ)はすぐに立ち上がって、その後に従った。後にイエスがその家(マタイの家)で食卓につて横になっておられると、見よ、多くの収税人や罪人が来て、イエスやその弟子たと一緒に横になり始めた。ところが、パリサイ人がこれを見て、彼(イエス)の弟子たちに、「あなた方の教師(イエス)が収税人や罪人と一緒に食事をするのはどういうわけか」と言いだした。これを聞いてイエスは言われた、「健康な人に医者は必要ではなく、病んでいる人に必要なのです。それで、「わたしは憐れみを望み、犠牲を望まない」とはどういうことなのか、行って学んで来なさい。わたしは、義人ではなく、罪人たちを招くために来たのです」」(マタイ9:9~13)。
上記の聖句を読むと、マタイという人はどのような人であったのかが分かります。イエスは「マタイと言う名の男が収税所に座っているのを目にとめ、「わたしの追随者になりなさい」と言われた時、マタイは「すぐに立ち上がって」、イエスの後に従っています。収税人であったマタイは、イエスの弟子になるように、との招きに、直ぐに立ち上がって、イエスの追随者になるために従っています。このことからマタイという人の特質は、従順であり、イエスが山上の垂訓で教えた「霊的必要を自覚した幸いな人」であったことが分かります(マタイ5:3)。ところが、パリサイ人や一般の人々は、「収税人」を通常の罪人と同じように、見ていたことが分かります。当時収税人は、一般の人たちに嫌われていたようです。パリサイ人は、イエスの弟子に向かって、イエスが「収税人や罪人と一緒に食事をするのはどういうわけか」と、非難をしました。イエスはパリサイ人の非難の言葉を聞くと、パリサイ人に、み言葉の真意を学ぶように諭されています。そして「健康な人に医者は必要なく、病んでいる人に必要なのです」と簡潔に真理を述べ、イエスは「義人ではなく罪人たちを招くため来た」と、ご自分が地上に遣わされている目的を教えられました。「罪人たち」とは、アダムから受け継いだ罪を受け継いでいることを自覚し「嘆き悲しむ人たち」のことです(マタイ5:4前半)。このように自分の罪を謙遜に認めている人たちは、神エホバがイエスを通して慰めてくださるのです(マタイ5:4後半)。このことから、マタイは自分が罪深い人間であることを自覚していた心の純粋な人なので、イエスが弟子になるように招いた時、その招きに即座に応じ、後に従ったのです(マタイ5:8)。私たちもマタイが示した特質に見倣うことができます。
道の駅 遠路の客あり 冬日和 今日の一句
初冬の庭の「バラ」