愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

イエスに「あなたは、ただそうお望みになるだけで、私を清くすることができる」と言ったらい病の人の信仰!

2015-12-03 23:51:42 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは地上に遣わされていた間、神の王国の良いたよりを宣明し、かつ多くの病気の人たちをいやされました(ルカ4:43)。イエスはみ父エホバからすべての権威を委譲され、み父エホバのご意志通りにその力を用い、群衆に神の王国が成し遂げる証拠を見せられ、かつみ父エホバがどのような方かを、イエスを通して示すためでした(マタイ28:18)。マタイの福音書にイエスがらい病の人(ハンセン病の人)即座にいやした時の心温まる記録が次のように記されています。

 「イエスが山から下りて来られたのち、大群衆がそのあとに従った。すると、見よ、らい病の人が寄って来て、彼(イエス)に敬意をささげながらこう言った。「主よ、あなたは、ただそうお望みになるだけで、私を清くすることがおできになります」。そこでイエスは手を伸ばして彼に触り、こう言われた。「わたしはそう望みます。清くなりなさい」。すると、彼のらい病はすぐに清められたのである」(マタイ8:1~3)。

 上記の聖句の記録は、イエスが有名な山上の垂訓を終え、山から下り、大群衆がイエスの後に従って移動している時のイエスのいやしの業が行われた時の状況です。上の聖句からどのようなことが分かるでしょうか。次の三つのことが分かります。

1.らい病の人の際立った信仰心:らい病の人は、大群衆に囲まれて移動しているイエスに近づくことは大変な労苦が伴ったと考えられます。らい病の人は人々に近づけない、また人が離れる必要がある病気とみなされていました。そうした時代背景の中でイエスに近づいています。そして、イエスに近づくと、「あなたは、ただそうお望みになるだけで、私を清くすることがおできになります」と、述べています。診察ななどは必要もなく、薬も求めていません。イエスが望むだけで、らい病が清められることに全き信仰を抱いています。らい病の人はどのようにして、イエスに信仰を働かすようになったのでしょうか。このらい病の人は、イエスが有名な山上の垂訓の話をされる前に、イエスが諸会堂で教え、神の王国の良いたよりを宣べ伝え、民の中のあらゆる疾患あらゆる病を治された、その状況を聞き、自分のらい病も治していただけると、信仰を抱いたものと考えられます(マタイ4:23)。このらい病の人は長くらい病で苦しんでも「心の純粋な人」であったことが分かります(マタイ5:8)。

2.イエスは近づき易く、謙遜な人普通人間で権威のある人には、なかなか近づけないものです。それ相応の紹介が無ければ近づけないかも知れません。しかし、上の聖句に示されている通り、らい病の人は恐れることなくイエスに近づいています。イエスは近づきやすい人であったことが分かります。イエスは近づきやすい人だっただけではなく、とても謙遜な人でした。らい病の人の要望にすぐに応じ、「わたしはそう望みます。清くなりなさい」と、声を掛けられました。まったく個人的に知らない、らい病の人の願いにすぐにこたえ応じる姿から、とても謙遜な人であることがわかります。イエスは、ご自分のことを「気質が温和で、心のへりくだった者」と述べられましたが、そのことを証ししています(マタイ11:29)。

3.イエスは感情移入をし、心の優しい人イエスはみ父エホバから権威を受けているので、らい病の人を触ることなくすぐに治すこともできましたが、イエスは直ぐに手を伸ばし、らい病の人に触っておられます。ご承知と思いますが、らい病の人は長い間、他の人から触ってもらい励ましの言葉を掛けられることはありませんでした。イエスはそうしたらい病のひとの感情を深く察し、手を伸ばし触って声をかけておられます。聖句の記録からイエスは感情移入をし心の優しい方であったことが分かります。

 このようにイエスの言動から分かるように、イエスが近づきやすく謙遜な人、また苦しみのある人に感情移入をし優しくする人であったことは、神エホバがそのような方であることを証ししているのです。

                   WWW.JW.ORG

        天候の 急変北風 強きこと  今日の一句

                       庭に次々と咲く「山茶花」

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする