聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの書が福音書と呼ばれるゆえんは、イエスが神の王国の良いたよりを証しのために宣明し、大群衆の中のあらゆる疾患とあらゆる病の人を即座に癒された記録を調べるなら、だれでも納得することができます(マタイ4:23.ルカ4:43;8:1)。しかし、イエスの行う癒しの奇跡の業に激しい怒りを抱くパリサイ人たち(1世紀に存在していたユダヤ教の著名な教派・偽りの宗教指導者)がいました。例えばパリサイ人たちは、イエスが安息日に行った奇跡的な癒しの業を見て、歓喜し神エホバの栄光をたたえるどころか、安息日の律法の違反に当たると、自分たち独自の考えに基づき、激しい怒りを抱き、そのためイエスの殺害を企てました(マタイ12:9~14.マルコ3:1~6.ルカ6:7~11;14:1~6)。そのパリサイ人たちは、イエスが悪霊に取り付けれた人から悪霊を追い出し、即座に口がきけるように治すと、イエスのことを「悪霊を追い出すのは悪霊たちの支配者」と非難しました(マタイ9:34)。その時の出来事が次のように記されています。この事は真の宗教と偽りの宗教を見分ける例証ともなっています(マタイ7:15~20)。
「さて、彼ら(目が見えるように癒された二人の盲人だった人)が去って行くとき、見よ、人々は悪霊に取りつかれた口のきけない人をイエスのもとに連れて来た。そして、悪霊が追い出されると、口のきけなかったその人はものを言った。そこで群衆は非常に驚きを感じ、「このようなことはイスラエルでいまだかって見たことがない」と言った。しかし、パリサイ人たちは、「彼(イエス)が悪霊を追い出すのは悪霊たちの支配者によるのだ」と言いだした」(マタイ9:32~34)。
聖書は、悪魔サタンが悪霊たちの支配者であることを教えています(ルカ11:14~20)。ですから、イエスが「悪霊たちの支配者」ではないことは明らかです。パリサイ人たちは憐れみを示さず、イエスが教えた「目が純一」でない者たちであることは明らかです(マタイ6:22)。
イエスが行ったあらゆる疾患や病の偉大な癒しの奇跡の幾つかや、悪霊の取りつかれた人を、その捕われ状態から解放したり、口の利けるようにしたりするものであり、まさにその業は福音でした。今日の紹介の聖句が明らかにしている通り、悪霊たちはイエスに対して無力であることを例証しています。しかし、イエスを非難したパリサイ人たちこそ、悪魔の子孫でした(マタイ12:24.マルコ3:22、ルカ11:15.ヨハネ7:20;8:44、48~52)。イエスは悪霊を制するご自分の力・権威の源が神エホバからの霊の働きであることを公にされています(マタイ12:28;28:18.ルカ8:39;11:20)。その悪霊たちは、イエスが誰であるかを知っていて、イエスに話しかける時は、「神の子」、「神の聖なる者」、また「至高の神の子イエス」と呼んでいます(マタイ8:29.マルコ1:24;3:11;5:7、ルカ4:34,41.使徒19:15.ヤコブ2:19)。しかし、イエスはそれら悪魔サタンに仕える悪霊が、ご自分のために証しするのを決してお許しになることはありませんでした(マルコ3:12)。それは悪魔サタンは初めからの人殺しであり、真実さのない「偽りの父」だからです(ヨハネ8:44)。
パリサイ人たちはイエスの癒しの業を見て、憐れみを表し神エホバに栄光と賛美を帰すとはなく、逆にイエスを「悪魔ららの支配者」と呼び、自らが真実を語ることなく、悪魔サタンの子孫であることを明らかにしました。現在では、イエスのご指示通り世界中の239の国や地域で神の王国の良いたよりを証しのために宣明している真のクリスチャンたちの業を誹謗・中傷する偽りの宗教指導者たちがいます(マタイ24:14;28:19,20)。だれが、神エホバのご意志をイエスを通して行っているのかを見分けてくだされば嬉しく存じます。み言葉・聖書をお調べになれば、神エホバから出ている業か、悪魔サタンから出ている業かが明らかになります。
拘置所の 静まりしまま 冬日和 今日の一句
暖冬で庭に咲いてきた「バラ」