イエス・キリストはみ父エホバに託された神の王国の良いたよりを組織的に宣明するために、弟子たちに恐れることなくその業を行うように備えをされました(ルカ4:43.マタイ10:1~39)。イエスの弟子たちへのそうした一連の教えと備えの最後に、イエスの弟子たちを迎える者に対し、下記の聖句の通りの祝福の保証を与えられました(マタイ10:40~42)。イエスの弟子たち立ちは、神エホバが弟子たちを通してイエスと結びつく人々を祝福されることを知り、愛を動機とし、徹底的に神の王国の良いたよりを宣明することができました(使徒28:23)。さらに、そのイエスの命じられた神の王国の良いたよりは現在世界中の239の国や地域で証しのために宣明されています(マタイ24:14)。
「「あなた方(イエスの弟子たち)を迎える者はわたし(イエス)おも迎えるのであり、わたし(イエス)を迎える者は、わたしを遣わした方(エホバ神)をも迎えるのです。預言者(み言葉の真理を証しするイエスの弟子たち)であるということで預言者を迎える者は預言者の報いを得、義人(み言葉の真理を証しするイエスの弟子たち)であるということで義人を迎える者は義人の報いを得るでしょう。そして、弟子であるということでこれらこれら小さな者の一人にほんの一杯の冷たい飲み水を与える者がだれであっても、あなた方に真実に言いますが、その者は自分の報いを決して失わないでしょう」」(マタイ10:40~42)。
イエス・キリストは、当時の弟子たちから現在の弟子たち・真のクリスチャンたちに至るまでの重要な教え・エホバ神のご意志を明らかにされています。上の聖句に示されているイエスの教えは、イエスの弟子たちに委ねられている神の王国の良いたよりを宣明する業は心を鼓舞するものになったに違いありません。イエスの弟子たちを迎える者は、霊的必要を自覚した温和な人々であり、それらの人たちはイエスを迎えることであり、かつイエスを遣わされた神エホバを迎えることであることを心に銘記することができました(マタイ5:3、5)。そのため、神の王国の良いたよりを携え「ふさわしい人」を捜し出し、弟子とし、バプテスマに導く特権の重要性を喜びとすることができたのです(マタイ10:11;28:19,20.ペテロ第二3:9)。そのイエスの業はイエスの弟子たちによって、現在は「エホバの証人」のクリスチャンによって継承されているのです(イザヤ43:10)。イエスは弟子たちのことを「預言者」また「義人」という言葉で、イエスの弟子たちを迎える者たちが報いを得る保証を与えられたのです。ですから、イエスの命令通り愛を動機とし、神の王国の良いたよりを人々に証しすることは、最高の特権であり、イエスを通し、神エホバに結びつく人たちは義の宿る地上の楽園に招き入れられ永遠の命の祝福を受けるのです(ペテロ第二3:9~13.啓示21:4)。イエスはイエスの弟子の一人を迎え、「一杯の冷たい飲み水を与える者がだれであっても、・・・その者は自分の報いを決して失わない」と保証されているのです。イエスとイエスの弟子たちを通した神エホバの深い愛を理解することができるのではないでしょうか。ですから、現在エホバの証人のクリスチャンたちが、世界中で証しのために宣明している「神の王国の良いたよりの真理」は、お家の人たちにとってどれほど重要な意味を持っているかをご理解される方々は幸いです。イエスの弟子たちを迎える人たちは「永遠の命」に至り、反対にイエスの弟子たちを迎えない人たちは「命の永遠の切断」に入ります(マタイ25:31~46)。
湾内で くつろぎのどか 冬カモメ 今日の一句
12月下旬の庭に咲いている「バラ」