ピョンチャンでのオリンピックが始まった。
今回もメダルの期待がかかる選手がたくさんいるそうだが、
それはあくまでも結果のこと、
ともかくは持てる力を存分に発揮してもらいたい、
また発揮させてあげてほしいと切に願うばかりである。
ところで。
冬のオリンピックにおいて、今でこそ、日本選手が世界レベルで活躍するようになったが、
そのきっかけとなったのが1972年開催の札幌オリンピックだと思っている。
アジアで初めての冬の大会、
その札幌で、日本中が喚起に沸いたのが、
日の丸飛行隊、当時の70m級ジャンプで笠谷、今野、青地の三選手が
金銀胴のメダルを独占するという快挙だった。
それまでメダルにはほど遠いと誰もが思っていた冬の大会で、
初めて、しかも一挙に三つものメダルを手にしたことに国中が酔いしれ、
その後、日本のジャンプ競技は一気に世界レベルへと駆け上がっていった。
それだけではない。
この歴史的快挙が今日のノルディック競技の底上げにもつながっていると考えられるし、
大げさに言うなら、日本選手全体の自信とモチベーション向上にも寄与しているといっても過言ではないと思う。
さて、もうひとつ日本中を魅了した札幌オリンピックの残像がある。
ジャネット・リンのことを覚えているだろうか。
女子フィギュアスケートの銅メダリスト、銀盤の妖精と呼ばれたアメリカの選手だ。
そして、彼女のことを語る上で忘れられないのがこの映像、フリーの演技での「尻もち」である。
Janet Lynn 1972 Olympic FS (Sapporo)
結果三位に終わったにもかかわらず、屈託のない愛らしい笑顔をふりまくジャネット・リン。
当時、高校生だった自分にとっては、日の丸飛行隊以上に記憶に残るシーンだった。
「あの尻もちがなければ金メダルだったのにな・・・」
ずっとそう思っていたが、実はそうではなかったことを最近知った。
尻もちをついたフリーの演技は満点を含む高得点だったらしいのだが、
当時、フリーに先立って競われた規定種目(コンパルソリー)が苦手だったため、
合計点で3位に留まったそうなのだ。
尻もちをついたにもかかわらず満点に近い得点」、
「”尻もちすらも演技の一部” と思えるほど彼女の演技は観客を魅了した」
当時のある雑誌がそう評したことを覚えている。
余談だが、この出来事からコンパルソリーの得点比重が下がり、
現在のショートプログラム導入のきっかけにもなったとのことである。
折にふれての選曲。
札幌といえばトワエモアが歌う「虹と雪のバラード」ということになるが、
冬季オリンピックならこれ、という曲が自分の記憶の中にある。
Francis Lai 13 jours en France 1968
札幌に先立つフランス、グルノーブルでの冬季オリンピック、
その模様を記録した映画「フランスにおける13日間」のテーマ曲である。
フランシス・レイによる甘く美しいメロディ、この曲、そして映画にもつけられた邦題が「白い恋人たち」。
冬、永遠の名曲だと思う。