「9」のつく日は空倶楽部の日。
このどこかにまだ、あの帽子はあるのだろうか...。
いつか見てみたかった風景を前に、そう思わずにはいられなかった。
Sony α99 Vario-Sonnar 24-70㎜/f2.8 (45mm f/4.5,1/200sec,ISO100)
旧軽井沢、銀座通りの街並みが途切れるとそこからは山道。
その山道を登りきると旧碓氷峠の山頂へと至る。
今は見晴台と呼ばれる場所で、
そこからは浅間山や妙義連峰など近隣の山々はもちろん、
天候次第では北アルプスや富士山まで見渡すことができる。
その碓氷峠という地名に強い関心を持ち、
そこからの風景をいつか見てみたいと思ったのは
今から40年以上も前のこと。
西條八十の「帽子」を知った時からだった。
帽子 西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、
それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
学生時代、運動部の春と夏の合宿のたびに上信越を走る列車に乗り込んだ。
碓氷峠麓の横川駅を発車した列車は
車輪を軋らせつつ、喘ぐように急こう配を登る。
その車窓を過ぎる雑木林を眺めながら
内心口ずさんだのが、西條八十の詩「帽子」だった。
そして、この詩を知るきっかけとなったのが
当時、斬新な宣伝手法が話題となった角川映画「人間の証明」だ。
映画そのものにさほど興味があったわけではなかったが、
劇中、主演の松田優作が淡々と朗読する「帽子」にはなぜか強く心を惹かれた。
今となっては、はっきりと思い出せないが
誰もが幼児期に体験するような
失った物への愛着がどこかなつかしく、
最後にはちょっぴり寂しく綴られる言葉に共感したのかもしれない。
また、「帽子」を英訳した主題歌の美しい旋律と
ジョー山中の絞り出すように切ないボーカルが
多感な心に響いたのだろう、と思ったりもしたのだった。
いずれにしても、その時。
「帽子」の詩とその情景がこころに深く刻まれたのである。
そして、時を経て、その風景が目の前にあった。
終わりかけた紅葉が折り重なる山々に向かって、
まるで「あの帽子」を探すように夢中でシャッターを切っていた。
そのころの記憶をひとつひとつ手繰り寄せるように
また一方で、自分にそんな青臭さがまだ残っていたのか、と苦笑しつつも。
ジョー山中 - 人間の証明