折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

「帽子」の情景     By空倶楽部

2019-11-19 | オトナの遠足

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで

 


 

このどこかにまだ、あの帽子はあるのだろうか...。

いつか見てみたかった風景を前に、そう思わずにはいられなかった。

 

Sony α99  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (45mm  f/4.5,1/200sec,ISO100)     

 

旧軽井沢、銀座通りの街並みが途切れるとそこからは山道。

その山道を登りきると旧碓氷峠の山頂へと至る。

今は見晴台と呼ばれる場所で、

そこからは浅間山や妙義連峰など近隣の山々はもちろん、

天候次第では北アルプスや富士山まで見渡すことができる。

その碓氷峠という地名に強い関心を持ち、

そこからの風景をいつか見てみたいと思ったのは

今から40年以上も前のこと。

西條八十の「帽子」を知った時からだった。 

 

 

帽子     西條八十

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、

それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。

 

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

 

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。

 

 

学生時代、運動部の春と夏の合宿のたびに上信越を走る列車に乗り込んだ。

碓氷峠麓の横川駅を発車した列車は

車輪を軋らせつつ、喘ぐように急こう配を登る。

その車窓を過ぎる雑木林を眺めながら

内心口ずさんだのが、西條八十の詩「帽子」だった。

そして、この詩を知るきっかけとなったのが

当時、斬新な宣伝手法が話題となった角川映画「人間の証明」だ。

映画そのものにさほど興味があったわけではなかったが、

劇中、主演の松田優作が淡々と朗読する「帽子」にはなぜか強く心を惹かれた。

今となっては、はっきりと思い出せないが

誰もが幼児期に体験するような

失った物への愛着がどこかなつかしく、

最後にはちょっぴり寂しく綴られる言葉に共感したのかもしれない。

また、「帽子」を英訳した主題歌の美しい旋律と

ジョー山中の絞り出すように切ないボーカルが

多感な心に響いたのだろう、と思ったりもしたのだった。

いずれにしても、その時。

「帽子」の詩とその情景がこころに深く刻まれたのである。

 

そして、時を経て、その風景が目の前にあった。

終わりかけた紅葉が折り重なる山々に向かって、

まるで「あの帽子」を探すように夢中でシャッターを切っていた。

そのころの記憶をひとつひとつ手繰り寄せるように

また一方で、自分にそんな青臭さがまだ残っていたのか、と苦笑しつつも。

 


ジョー山中 - 人間の証明

 

 

 

 

 

 

 

 

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有馬 名湯浪漫 続き

2019-01-27 | オトナの遠足

あらためて...

沸くはずのないところに沸くはずのない湯が沸く ──の話。


Sony α99  Planar 50㎜ (f/3.2 , 1/400sec , ISO100) 

 

有馬温泉は神戸市のはずれ、山あいの地に位置する。

泉質の異なる源泉がいくつかあるようだが、一般的には褐色の湯として知られている。

地下水がマグマで温められ、様々な鉱物が溶け出した結果、湯が色を帯びる。

そのような泉質は、とくに山間部にあってはよく見かけるのだが、

ところが、有馬の湯はそれだけではなく、しょっぱいのである。

海の水!?  ...こんな山の中に!?

石川県でもしょっぱい温泉は数々ある。

和倉温泉、片山津温泉などがその代表格だが、いずれも海に近いことが共通していて、

おそらく、全国の温泉でしょっぱい湯が沸くのは海水が混入するからだろう。

いや、ひとつだけ、海から遠く離れた山間部にありながら、しょっぱい湯を知っている。

新潟県の松之山温泉がそれで、太古の昔、地殻変動で日本列島が作られた時、

地層に閉じ込められた海の水が、マグマの熱で温められ、地中の圧力で噴出しているのだと聞いた。

いったんは、有馬温泉も「それだな」と思ったのだが、さらに調べて見たところ、

奇怪なことに近くに火山が存在しない。つまり温泉の熱源となるマグマ溜りがないのだ。

つまり...。

沸くはずのないところに沸くはずのない湯が沸いているのである。

 

有馬の湯の正体は、地下60キロの地中に沁み込んだ600万年前の海水。

そして、その組成には、プレートテクトニクスという地球の表面を覆う岩盤の動きが関わっている。

地震メカニズムでよく解説されるところだが、

日本列島が乗っているプレートにフィリピン海プレートが沈み込んでいる。

そのプレートが沈み込むときに海水も一緒に巻き込んでいて、

その海水がマントルで温められ、熱水となって地表に噴出してくる。

それが有馬の湯で、しかも、その湯は600万年前に沈みこんだ海水、

つまり、我々は悠久の恩恵に預かっているのだ。

 

大阪へと帰るバスの車中。

朝浸かった湯のぬくもりが覚めやらず、うつらうつらする中で、

街並みの情緒、宿のもてなしに美味しかった食事、

そして、壮大な大地のダイナミズムなど、

名湯のロマンを思い返さずにはいられなかったのだった。


 

一泊二日で訪れた有馬温泉。

初日は雲ひとつない快晴の空模様。

ホテルに荷物を置いて、早速、散策へと繰り出したのだが、

着いた時間がすでに夕刻、食事の予約時間もあったので、下見程度で早々に切り上げた。

そして、たっぷりと時間を取ってあった二日目。

それがなんと、朝から渋々と雨模様。

...なんてこったい!

いったい誰が雨をこの雨を止めてくれるんだい!

 
  Creedence Clearwater Revival :  Who'll Stop The Rain

 

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有馬 名湯浪漫 

2019-01-26 | オトナの遠足


Sony α99  Planar 50㎜ (f/5.6 , 1/60sec , ISO125) 


湧くはずのないところに湧くはずのない湯が湧く ───。

 

草津、下呂とともに日本三大名湯に数えられる有馬温泉。

そこで、その名湯の不思議...、というか、大地のダイナミズムがもたらすロマンに驚嘆したのだが、

そのことは、いったん置いておいて、まずは湯の街の情緒を堪能。

神戸からバスで30分足らずの至近距離、さらに大阪からでも一時間程度だから、

まさに、関西の奥座敷、年間200万人近くの観光客が訪れるという。

また、その歴史、日本書紀にもその記述が見えるというから、

日本三大古湯(諸説ある)に数えられることも含め、名湯の由縁に納得がいくところだ。

有馬温泉を訪れたのは今回で二回目。

といっても、やがて30年ぶり、それも職場の団体旅行ということもあって、目的はドンチャン騒ぎ。

どこへ泊ったのか、どんな湯だったのか、まったく記憶がない。

唯一の記憶といえるのが(・・・というかイメージでしかないのだが)、坂道と路地の街並みだった。

今や日本の各地に広がった外国人はともかく、

若い観光客、それも仲睦まじいカップル(死語?)が多いことが、まず印象に残った。

そうした客層を狙ってか、カフェやファストフードを取り扱う店が多く、

今風の景観を感じるのだが、道の両側に迫る建物そのものからすると、

その古さは歴然で、30年前に歩いた場所は、やはりここだったのか...と、

当時の記憶を手繰るように散策を続けたのだった。

 

 

さて、街並みの写真を振り返って、ふと気づいたことがある。

今回の有馬温泉、義理の弟、妹それぞれの夫婦、6人で訪れていたのだが、

各々が撮った写真を見比べて見ると、私が撮ったものだけが異質。

というのも、いわゆるレトロ感一辺倒なのである。

 

元々温泉街の起りのほんどが湯治場で、私が生まれた山代温泉にしてもそうだった。

ところが、昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長につれて、

庶民の所得の一部が旅行へと向けられるようになり、観光が産業化していった。

人々の足は全国の温泉へも向けられるようになり、

各地の湯治場の街並みが時代とともに観光地の街並みへと変わっていったのである。

弟や妹が撮った写真には、その街並みの今昔がそのまま映りこんでいるのだが、

私は、極端ともいえるほど、かたくなに古いものだけを切りとっていたようだ。

ことさら意識をしていたわけでもないが、

30年前の記憶を呼び覚まそうとしたのか、

いや、ひょっとしたら、さらに50年以上も前の生まれ故郷の街並みの記憶を

無意識のうちに垣間見ようとしていたのかもしれない。

 

ちょっと長くなったので、

もうひとつのロマンの話、この名湯の不思議、悠久のロマンとも言える話は次回に。 


 

通りのあちこちで上がる湯煙を眺めながら

こんな歌詞を思い出していた。

We come from the land of the ice and snow

form the midnight sun where the hot springs blow

 
  Led Zeppelin - Immigrant Song (Live 1972) (Official Video)

  移民の歌  レッド・ツェッペリン

 

※本日、コメント欄閉じています。

 

 

 

 

 

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晩秋 丹後への道

2017-11-23 | オトナの遠足

 京都府舞鶴市五老岳からの眺め。

今月の初め、舞鶴から由良、宮津と、いわゆる丹後をカメラ片手に二日間かけてのんびりと廻った。

時折り吹きつける木枯らしと冷たい雨の中、

カメラが濡れないよう気遣いながらの撮影だったが、

それでも晩秋(というか初冬かもしれない)の丹後を存分に楽しむことができた。

当初は二日間の写真を訪れた場所ごとに整理して記事にするつもりでいたが、

天候のせいもあってか思ったほど撮れ高が多くなかった。

それで、二日間の旅を「晩秋 丹後への道」というテーマで組み写真風にまとめてみた。

 

本来なら、観光案内やそれぞれの地での印象など書き加えたいところで、

それに、天気が悪く外出の予定もない「勤労感謝の日」を充てるつもりでいたのだが、

実はこの組み写真だけで休日午後の大半を使い果たしてしまった。

子供の頃から、さして重要でもないことに時間をかける悪癖というか、

「ちまちま」とした性格はいくつになっても直らないようだ。

とはいえ、せっかく時間をかけた成果物(?)、

これから丹後を訪れようとする方など、この地に興味のある方の目にとまることで

多少でも役に立ってくれたならうれしい限りである。


丹後の旅情、そして初冬へと移ろう季節のもの悲しさを表現したくて選んだのがこの曲。

エルトン・ジョン初期の名曲「悲しみのバラード」。


Elton John - Sorry Seems To Be The Hardest Word

 

 

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蕎麦と涼風のある風景

2017-09-05 | オトナの遠足

8月最後の週末に出かけた戸隠高原。

つづら折りの坂道を登っていくと、

計器パネルに表示される外気温が見る見るうちに下がっていく。

平地ではあいかわらず厳しい残暑が続いているが、ここは別世界だ。

そして、戸隠といえば蕎麦。

わんこ蕎麦や出雲蕎麦と並び、日本三大蕎麦に数えられ、

数十の蕎麦屋が軒を連ね、開店前から行列ができる店も少なくない。

澄んだ空気に透明な湧水、そして目にやさしい風景...

瑞々しい自然をすべて凝縮した戸隠の蕎麦。

そんな蕎麦の味を心待ちに高原の散策を楽しむ。

その気分は、題して「蕎麦と涼風のある風景」


 

戸隠で感じた清々しい風。

それを運んでくれるかのようなライ・クーダーの爽やかなギター の音色。

Ry Cooder - I Think It's Going To Work Out Fine

 

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点描 住吉大社

2017-06-06 | オトナの遠足

友人に誘われて出かけた大阪のこと。

その友人が待ち合わせ場所に指定してきたのが住吉大社。 

食事を共にする場所が近くだったこともあるが、

普段からカメラを持ち歩いていることを知っていたからか

道中の阪堺電車、そしてこの住吉大社を被写体として紹介したかったのかもしれない。

その住吉大社、それまでは、「名前ぐらいは聞いたことがある...」程度の認識だったが(関西の方に叱られるかも・・・)

社が4つもあること、さらに創建が神功皇后のころで言ってみれば神話時代、

その格式と歴史にまず驚いた。

調べてみると、全国に2000ある住吉神社の総社で摂津「一の宮」とのこと。

さらに、初詣には250万人もの参拝客が押し寄せるというから、

これは石川県の人口100万人どころか北陸3県にも匹敵する数字、重ねての驚きである。

そんな住吉大社の隅々をカメラ片手にゆっくりと散策...するはずだったが、実はこの話にはオチがある。

友人が指定した待ち合わせ時間は午後5時。

けれど、何事もせっかちな私が着いたのは午後4時30分。

しばらく時間を潰して、友人と境内を散策するつもりだったが、境内の案内看板に参拝時間は午後5時までと書いてある。

後で聞いたところ、友人も「門限」があることを知らなかったらしいが、ともかくも時間は30分だけ。

とりとめもなく、足早の境内点描となった次第。

  

 なんとも残念な初参拝だったが、住吉大社がなくなるわけでもなく、

「また、来ればいい」と気を取り直して

とりあえず乾杯!

 

...そして、乾杯!

 

さらに...乾杯!

と、ディープな大阪の夜は更けていったとさ。


先週、グレッグ・オールマンが亡くなった。享年69歳とのことだった。

兄のデユアン・オールマンが結成したオールマン・ブラザーズ・バンドにキーボード奏者として参加。

土臭さの中に緻密で高い演奏技術を誇るバンドだったが、

ギターのデユアン・オールマン、ベースのベリーオークレーを相次ぐバイク事故で亡くす。

その存続が危ぶまれたが、アルバム「ブラザーズ&シスターズ」で見事に復活。

その中から、彼らが得意とするインスツルメンタルの名曲を。

 

ジェシカ/オールマン・ブラザーズ・バンド

 

Jessica/Allman Brothers Band

関西の方なら、FM-COCOLO交通情報のバックに流れるあの曲か...と気づかれるかもしれない。

 

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1970年の「こんにちは」

2017-05-24 | オトナの遠足

先の週末を利用して大阪へ。

毎月のように仕事で訪れてはいるが、ほとんどが大阪駅周辺で用を終えている。

さらに年に一度はプライベートでも出かけるが、

昼はユニバーサル・スタジオか海遊館、夜は道頓堀界隈といつも同じパターンに落ち着く。

とどのつまり、大阪については限られた知識しか持ち合わせていないのだ。

ということで今回の大阪。

「ディープな大阪を案内してやろう」

そんな友人の言葉に誘われてやってきたわけだが、それはあくまでも夜に限った話。

それなら昼だって、ふだん縁のないところへ行ってやろうと、

いろいろ思いをめぐらせた挙句、

出かける直前にようやく思いついたのが、「この場所」だった。

今は万博記念公園と呼ばれているが、

1970年(昭和45年)にEXPO’70、いわゆる大阪万博が開催されたことは言うまでもない。

日本が国際社会に復帰したのは、国際連合への加盟が認められた昭和31年ということになっているが、

庶民が国際社会への復帰を、明るい未来への予感とともに実感したのは、

東京オリンピックであり、それが決定的となったのが大阪万博ではなかったかと思う。

自分にしてもそう、無数の外国人が会場を闊歩する姿をかなり印象的なシーンとして覚えている。

まさに、大阪万博のテーマが「人類の進歩と調和」で、その象徴だったのが「太陽の塔」だった。

ふだん縁のない場所と書いたが、前にここへ来たのは1970年のこと。

つまりは中学生の修学旅行で訪れた万博以来で、実に47年ぶりとなる。

やがて半世紀。公園として整備された姿を眺めると隔世の感があるが、

それでも、「太陽の塔」はじめいくつか残されているモニュメントからは、

当時の前衛的なパビリオンや最先端の技術、

さらには、ここに集まった人々の熱狂ぶりを鮮明に思い出すことができる。

 

余談ながら。

万博記念公園でもうひとつ印象に残ったのがこの一画。

というか季節、旬の光景。

バラ園ではローズフェスタの真っ最中。

「世界の国からこんにちは」でもないが...

各国から集められた90種ものバラが咲き誇っていた。

金沢のバラの見ごろはこれからなので、ちょっと得した気分でもあったが、

陽ざしを遮るもののない園内は真夏の様相。

その暑さを一瞬忘れさせてくれる粋な心づかいが...

さて。

この日の大阪の最高気温は29.6度だったという。

流れる汗をぬぐいながら、EXPO’70の記憶をたどった万博記念公園。

何度も「太陽の塔」を見上げ、そのたびに「こんにちは」と1970年以来のあいさつを交わしていた。

そういえば、47年前のあの日もうだるような暑さだった。

 


1970年の名作映画「明日に向かって撃て」。

アメリカン・ニュー・シネマにありがちな行き場のないエンディングではあったが、

それでも、アメリカ開拓史上に実在した二人のギャングと

魅力的な女教師の三角関係をコミカルに描いた娯楽作だった。

そして、その主題歌が「雨にぬれても」(BJトーマス)

Rain Drops keep falling on my head

映画は観ていなくてもこの主題歌を知っている人は多いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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加治屋町界隈で (鹿児島市)

2016-07-13 | オトナの遠足

書きそびれていたが、先月訪れた鹿児島での話。

 

九州新幹線の終着駅、JR鹿児島中央駅にほど近い加治屋(かじや)町のこと。

ここは、西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎など

近代日本の礎となった人たちを多く輩出したという点で希有な町と云える。

 

大久保利通生誕地の碑。


西郷と大久保。無二の親友にして明治維新最大の功労者。

後に対立し、数奇な運命をたどる二人が育ったところは50メートルと離れていない。

西南戦争で西郷が戦死し、その翌年、大久保は東京・紀尾井坂で島田一郎ら旧加賀藩士たちの凶刃に倒れる。

島田らは要人暗殺を目的とする不平士族たち、つまりはテロリストであり、しかも金沢出身。

加治屋町出身者たちの志の高さ、偉業、清廉な生き方を思うと、

島田一郎らの所業、同郷ゆえになんとも残念としか言いようがない。

 

 東郷平八郎生誕の碑。



「陸の大山、海の東郷」と呼ばれ、日露戦争を勝利に導いた2人が育った場所も近い。

日露戦争当時、大山巌は陸軍元帥として満州に布陣し、奉天の会戦などで屈強なロシア軍を破る。

また、東郷平八郎は連合艦隊司令長官として、日本海海戦で当時最強と言われたバルチック艦隊を殲滅し、

その後、日露戦争は一気に終結に向う。

圧倒的な国力を誇るロシアに無謀にも挑んだ日本。

当時、世界の誰もが日本の敗戦を疑わなかったが、その日本を救ったのも加治屋町出身の二人だった。

その一方で、村田新八、篠原国幹など西郷隆盛とともに下野し、西南戦争で散っていった人たちもこの町の出身。

幼なじみが敵味方に別れ、戦った悲しい歴史もここにある。

 


加治屋町、甲突(こうつき)川沿いに眺める桜島。

その土手を下ったところ。

西郷隆盛、従道兄弟の生地があった。

あいにくの梅雨空。

桜島も遠くかすんでいるものの、かの兄弟が眺めていた景色と思うと、

それだけで感慨深い。

 

 さて、甲突川、高見橋たもとに立つ大久保利通の銅像。

鹿児島市内のあちこちで、西郷隆盛にちなんだ銅像や石碑などを見かけるが、

大久保利通に関するものはこの銅像一体があるだけと聞いた。

鹿児島の人たちの西郷贔屓をあらためて知る話である。

そして、いわば敵役の一体しかない銅像が加治屋町の入り口に立っているということが実に興味深い。

この町を歩いたことがきっかけで、「翔ぶが如く」を読み直している。

歴史に翻弄されたふたりの姿が見えてくるわけだが、

「二人の確執もこの町にあってはすで終わったこと。」

考えすぎかもしれないが、この銅像がそう物語っていると感じた次第だ。 

 


リンダ・ロンシュタット、ドリー・パートン、エミルー・ハリス。

カントリー・ミュージックの歌姫たちによる ニール・ヤングの名曲のカバー。

linda ronstadt & dolly parton & emmylou harris after the goldrush

ひとつの歴史を作った町に「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」をかぶせて聴いてみた。

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舞鶴…。海と赤れんがと、そしてカレー。

2016-07-05 | オトナの遠足

2か月ほど前、仕事の帰り道に通り過ぎただけの舞鶴だったが、

点在する赤レンガの建物や垣間見える港の風景に心惹かれた。

舞鶴といえば、若狭を経由して近畿へ向かう国道27号線の途上。

過去にも何度となく通り過ぎていて、

そのたびに落ち着いた街並みが気になっていたが、

今回ようやく、ゆっくりと滞在することができた。

 

東舞鶴、港の風景

空が映り込むほど穏やかな湾内。

若狭湾からひときわ奥深く入り組んだ地形とあって、

外海の影響を受けない要害の地として、かつてここに海軍鎮守府が置かれたという。

 

その軍港だった歴史も、今は海上自衛隊に受け継がれていて、

港内をクルーズするツアーでは、停泊中の護衛艦を間近に眺めることが出来る。

護衛艦「あたご」。

最新鋭の防衛システム「イージス」を搭載していると聞いて、

調べてみたが、専門用語が多すぎて、結局のところはよくわからずじまい。

「とにかくスゴイ!」とだけ記しておく。

 

さて、舞鶴の街並みといえば赤れんがの建物群。

海軍鎮守府時代の兵器庫などをリノベーションして、

各種ミュージアムや土産物物販店、カフェなどが入居。

「舞鶴赤れんがパーク」として「まちづくり」に寄与するとともに、

映画やドラマのロケ地として発信するなど、

観光客の誘客にも一役買っているという。

外観はほとんど建設当時のままで、

連棟として建ち並ぶ様は重厚かつ堂々。

それでいて、周辺の風景と一体となると、どこか懐かしい雰囲気をふんだんに伝えてもくれる。

 

そして、「海軍」の街となれば定番は...。

海軍カレー(食べている途中で失礼…)

具が溶けこんだ濃厚でスパイシーなオトナの味だった。

 

ところで、今回は食べなかったが、舞鶴ならコレというのが「肉じゃが」。

初代、鎮守府長官の東郷平八郎がイギリス留学時代に食べたビーフシチューの味が忘れられず、コックに作らせた。

当時の日本に西洋の調味料などあるはずもなく、

似ても似つかない食べ物が出来上がった次第だが、これが「意外とうまかった」。

以来、舞鶴は「肉じゃが発祥の地」と呼ばれるようになったとか。

残念だが、舞鶴の肉じゃが体験は次回のお楽しみとしておこう。

 


舞鶴の街角で見かけた白い水兵服の若い自衛隊員たち。

まだ二十歳そこそこに見えたが、初々しくも、なかなか精悍な一団だった。

そんな彼らから連想したのが、「トップガン」や「愛と青春の旅立ち」など、海軍士官が登場する映画とサウンドトラック。

そして...この映画「追憶」も。

主演のバーブラ・ストライザンドが歌う名曲。

 

 The way we were     Barbra  Streisand 

厳密には海軍を舞台にした映画ではないが、ロバート・レッドフォード扮する海軍士官の白い制服姿を真っ先に思い浮かべた次第。

 

しかし...。

せっかくの名曲も、食べ止しのカレーがバックでは台無しというもの。

 

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奥日光 中禅寺湖の懐かしい黄昏

2016-04-24 | オトナの遠足

奥日光、中禅寺湖。

日光を旅行するのは今回で4回目。

初めて訪れたのが小学生の夏休み。

ものごころついて初めての家族旅行だった。

豪華絢爛たる東照宮はじめ寺社仏閣の建物や細工に興味が持てるはずもなく、

ただただ、奥日光の雄大な景色のみが目に焼きついた。

2回目に訪れたのは高校生の時。

夏休み、仲の良かった友人2人と思いつきで旅に出て、

2日間、尾瀬を歩きまわったあと、バスで金精峠を超えて奥日光に入った。

日光へ入ろうと言い出したのは私で、

小学生の頃眺めた景色を2人の友人に見せてやろうと思った記憶がある。

3回目は大学時代、いろは坂を染める紅葉の記憶が鮮やかに残るが、あとは内緒。

で、今回だが、実に40年ぶりと云うことになる。

 

朝、空路東京に着き、浅草から東武特急スペーシアで日光へ。

今回は多少オトナになったということもあり、東照宮や輪王寺をゆっくり拝観するつもりだったが...。

観光サイトなどで充分に調べておけばよかった。

東照宮の陽明門が改修中。さらに輪王寺も。

境内を散策するも正直云って魅力は半減。したがって、この話は別の機会に。

そんなことで、いろは坂を登り、奥日光中禅寺湖畔に着いたのはもう黄昏時。

こどもの頃、目に焼き付けた景色がそこにあった。

標高1000メートルを超える高地。

春とは云え、男体山から吹き下ろす冷風で冬のような寒さだったが、

日暮れまでの時間、昔を思い出しながら湖畔を散策することにした。

内陸湖らしく打ち寄せる波は静かだが、もともとの組成は火山の噴火によるもの。

波打ち際に残る石にその荒々しい過去の痕跡を垣間見ることができる。

 

いちだんと寒さが増した夕暮れ時。

中禅寺湖を眺める宿のロビーで日の入りを待つ。

対岸の日光白根山の稜線を染めながら

しずかに陽が落ちていった。

40年ぶりに出会った風景は懐かしく、思い通り感慨深いものだった。


 

なんとなくの選曲はフィル・コリンズ。

ジェネシスのドラマーを経て80年代から90年代にかけて大ブレークしたと記憶している。

この時代にありがちなポップなイメージの曲が多い中、

こんなメロディアスな名曲もあった。

Phil Collins     ♪ Do you remenber

 

 

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