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SNOW WIND blog

我が愛車“PEUGEOT307SW”を中心に、日々のくらしを綴った日記です。

札幌を離れることになりました

2014-11-26 17:48:45 | 家族
晴天の霹靂ではありますが、このたび人事異動で札幌をはなれることになりました。

12年の札幌生活、いろいろあって楽しかったですが、ここいらで一度ピリオドを打つことになります。

いわゆる単身赴任ですが、奥様が運転するにはちょっと大きい車なので、おそらくプジョーは処分することになりそうです。
そういう訳でして、一度このブログも終了することにします。新しいブログは、また新年度から新しい形でお送りします。

新ブログが整いましたら、ブックマークの皆様にお知らせいたします。

長い間、ありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう。

1回忌を終えて

2014-09-24 20:26:03 | 家族
今日、9月24日が亡父の命日となりますが、今週の日曜日に1回忌の法要を執り行ないました。家族3人で土曜日に実家へ帰省。日曜日に法要、その後お墓に行き、ウチの奥様とんボクちんは一足お先に札幌に戻りました。

私は実家に残って父の遺品の整理と掃除などを手伝ってきました。膨大な数の本、全て棄てるつもりでしたが、ちょっと歴史を感じるものも多く、もう少し時間を掛けて選別することにしました。驚いたのは、昭和18年3月に国民学校を卒業したときの卒業のしおりと旧制中学時代の写真と回顧録が出てきたこと。回顧録には当時の終戦間際の岐阜空襲の話や玉音放送の話など、激動の時代をどのように過ごしたのかが、文集と言う形で残されていました。

もう父の口からその時代のことを聞くことは出来ませんが、昭和と言う時代をあらためて感じました。



うちのお墓はこんな感じです。墓標の字は祖父の字だそうです。


そんなこんなでお手伝いも終わってご褒美に「鰻丼」をいただきました(笑)。


次の帰省は来年の3回忌になりますが、その前に一度帰省しておきたいかな。

本日は結婚記念日なり

2014-09-19 22:49:57 | 家族
奥様は案の定忘れていました(笑)。ケーキを買って帰ると「何で?」との問い。やっぱりなぁという感じです。期待していないので特に残念にも思いません。

1998年に結婚して16年が経ちました。良く持っているなぁと感心しています。奥様の親族からは「我慢強さ」を褒められます。とほほ・・・・。

まぁ、特に嫌われている訳でもないで、淡々とこれからも過ごしていけるか・・・・・な(笑)。

初盆

2014-08-18 19:58:20 | 家族
父親が亡くなって初めてのお盆でしたので、今回は実家の方へ帰省しました。思えば夏に帰省するのは13年振りくらいでしょうか。北海道に住んでいるとやっぱり本州の暑さはなかなか厳しいものがあります。特に湿度は比べ物になりません。最近は札幌でも蒸す感じはしますが、やっぱりむこうのほうが強烈です(笑)。

そう言いつつも初盆は帰省しないとね。今回は長めに七日間。初日は名古屋近辺に住む大学の同期とプチ同期会。ついでに名古屋の瑞穂道場で弓を引きました。でも暑くて息苦しくなるのでそこそこで引揚げました。根性なしです(無)。

実家ではお墓の掃除や遺品の整理などで時間が経過しました。親戚の家に行ったりしながら思い出話に花を咲かせたり、高校の恩師が定年を向かえたお疲れ様会に顔を出したりして、久しぶりに地元を満喫してきました。

七日ぶりの札幌は涼しいです。明日からまた仕事です。がんばろっと。

家族でキャンプ

2014-07-29 12:54:38 | 家族

毎年恒例の家族キャンプは、7月の連休に旭川の東神楽オートキャンプ場へ行ってきました。毎年人気のキャンプ場で予約が取りづらいので、今年は5月末頃に予約を入れました。温泉もすぐそば、遊ぶ場所もあってなかなか良いキャンプ場でした。ただ、オートサイトは木立のあるサイトが少なく、昼間の日差しは厳しいかもしれませんね。

初日はぼくちんの中学が終わってから札幌を出発。東神楽着は4時過ぎでした。テント、タープ、その他準備をして食事の準備は6時前くらいからでした。初日は焼き鳥メインでかつおのタタキ、それにパスタでした。お酒を飲みながら炭火コンロをつつく食事はやっぱり楽しいですね。

翌日は、朝食後まずはテニス。子供の相手をしましたが、まだまだ下手くそでしたね。でゴーカート乗ったりして遊んだあと、旭川市内のラーメン屋「三日月」でラーメンを食べ、夕飯の食材を買い込んでキャンプ場へ戻り、夕食は焼肉パーティでした。

二日とも夜は温泉でのんびりし、深夜まで酒盛りしていましたが、天気も良く夜もあまり寒くなく、本当に快適なキャンプでした。

今年はお盆は帰省するので、キャンプはまた来年です。来年は道北を目指したいです。


49日を終えて

2013-11-11 15:47:43 | 家族
亡父の49日法要で実家の犬山の方へ帰っていました。今回は初めてLCCなる格安航空会社を選択。「ジェットスター」で新千歳からセントレアへ向かいました。



思っていたよりは快適な機内(笑)。身長171cmの私では足元もさほど窮屈には感じません。3時間くらいまでは大丈夫かなと思いました。

セントレアでレンタカーを借りて一路犬山へ。晩秋ではありましたが、北海道よりは暖かいですね(でも家の中は北海道より寒かったです)。

49日の法要は、菩提寺の「専念寺」で。その後、お墓で納骨式を行いました。


全てを終えて、再び「ジェットスター」で札幌へ戻ってきました。札幌はすっかり冬の気温。オマケに小雪も舞っていました。


9月の終わりからバタバタとしていましたが、ようやくこれで一区切りつきました。気持ちの上でもなんとなく落ち着いてきたかなと思います。しばらくは派手さを慎み喪に服していきます。

永遠のゼロを読んで

2013-10-11 22:49:36 | 家族
今回の出張のお供は「永遠のゼロ」という本でした。特攻隊で死んだ自分の祖父がどんな人だったのかを探っていく話です。いわば自分のルーツを探すようなものでしょうか。内容についてはいずれ話すとして、この本を読んで私も自分のルーツともいえる亡くなった父親のことを考えました。とりあえず、私の知っている範囲での父をまとめてみます。

父親が生まれたのは日本ではなく中国の「青島(チンタオ)」だったそうです。祖父が芸大を出て学校で美術を教える先生をしており、青島の日本人学校で教えていたそうで、そこで生まれてからしばらくして日本に戻ってきたそうです。戦前から戦中にかけては岐阜に住んでいて、旧制岐阜中学に通っていたそうで頭は良かったんだろうと思います(残念ながらその血は私には来ていないようだ・・・・泣)。戦後、祖父が我が一族の本籍である広島県の奥(庄原)に居を構えたため広島に引っ越して大学は広島大学の工学部で学んでいます。電子工学とか当時としては先進的な勉強をしていたようで、当時のノートなんかを見せてもらいましたが、さすが研究者って感じでした。

もともと飛行機が好きだったようで、就職は某K重工へ。当時はまだK航空機という名前だったそうです。K重工の航空機製造の拠点は岐阜です。ここには自衛隊の飛行場もあります(あのゼロ戦が初飛行した由緒ある飛行場です)。そこでの仕事はレーダーや電子機器の設計を行うエンジニアでした。最初の大きなプロジェクトは、国産初の旅客機であるYS-11の製造。そのプロジェクトは国内の重工業各社から集められた国を挙げてのプロジェクトだったそうで、ゼロ戦を設計した堀越技師とも一緒だったそうです。


その後は、対潜哨戒機のP2-Jのレーダーやソナーの製造を行っていたそうです。で、会社の次のプロジェクトは次期輸送機の製造。C-1輸送機のレーダー関連の設計をしていました。当時、家には設計する前段階での資料のうち機密でないものなんかを沢山持ち帰ってくれていました。それが私たち子供のお絵かき用の紙となっていました。


C-1が製造ラインに乗ったら、今度は次期対潜哨戒機P3-Cのライセンス生産受託を受けて、アメリカのロッキード社へ長期出張に行きました。昭和52年頃だと思います。まだ海外なんて普通の人はなかなか行けない時代でした。それが父親の最初の海外長期出張でしたが約2年間の単身赴任でした。レーダーやソナーの製造過程を学んでいたようです。


この頃、父が仕事の関係で親しくなった外国人の家族を連れて家にやって来たことがあります。家族一同、ゼスチャーでの会話でした(笑)。外人の家族とキャッチボールやアメフトをやったのがとても楽しかったです。

父はその仕事の後、ドイツとの合弁でヘリコプターBK117の製造のプロジェクトに廻されたようです。ウチの身内に大学で左傾化した人がいて、その影響で軍事産業部門から外されたような話を後から聞きました。世間は厳しいですね。

BK117関連では、ドイツへ行ったりしていました。次の海外赴任は長期になるので家族で・・・・という話でしたが、行先はなんとサウジアラビア。それもイランイラク戦争の最中。家族全員が「絶対に日本に残る」と意見がまとまり単身赴任となりました。


サウジには2年間行っていました。私はその頃に高校生となり、父との会話はぐっと減ったように思います。ただ、父の影響で飛行機は好きだったので、自衛隊の岐阜基地祭なんかの時はいつも一緒に見に行ってました。自衛隊にも多少顔が利くのか、父に敬礼する人なんかが結構居て「へぇ、すごいな」と子供心に思っていました。この頃の思い出はバートルに乗せてもらったことですね。


高校を卒業してから、家を出た私はこれ以降はあまり思い出がありません。父は定年後しばらく関連会社に居て、飛行機系の専門学校の講師をしていたようですが、病気のため辞めてからはずっと闘病生活でした。

「親孝行」ってやっぱり早くからしておかないとダメなんだろうけど、決して親不孝ではなかったと自分では思っています。もう少し、思い出を探してみようかな。


秋止符

2013-09-27 20:04:27 | 家族
アリスの名曲でもじってみました。本来ならば“終止符”ですね。


年初から父親の具合はあまりよくなかったですが、8月頃からは咽頭がんの影響で固形物がのどを通り難くなり、流動食に切り替えたところ、誤飲で気管に物が入りやすくなったようで、肺への負担が掛かるようになっていました。様子はちょくちょく聞いていましたが、9月に入って肺炎を起こすようになり、連休明けに終わりはあっという間にやってきてしまいました。

長く苦しむよりは・・・・という思いもあります。自分の親が亡くなるというのは、やっぱり悲しいですね。でも、不思議と涙は出ませんでした。バタバタと通夜から葬儀、火葬と済ませると、そういう感情は湧かないのかもしれませんね。

晩年は本当に介護や看護に大変でした。金銭的な負担も重く、悲しい反面ホッと安心したというのも本音ではあります。でも、やっぱり悲しいですね。

これからしばらくは、実家に行く機会が一気に増えます。49日が終わって仏壇に写真を飾ったら、きっと祖父、祖母、そしてお姉ちゃんと楽しく向こうの世界で暮らしていくんだろうと思います。そして私は、亡き父を偲びつつ暮らしていこうと思います。


2013ファミリーキャンプ

2013-08-16 18:04:49 | 家族
毎年恒例のファミリーキャンプ。今年からボクちんは中学になって部活やら講習やらで忙しくなったので、一回しか行けなくなりました。当初はちょっと遠くまでと考え、初山別のオートキャンプ場を予約していましたが、天候が最悪となる予報だったので当日にキャンセルし天候が安定している日高方面に行先を変更。フリーサイトなら入れそうという事で、日高町の「沙流川オートキャンプ場」に陣取りました。


ここのキャンプ場は、遊具も豊富で川遊びもできるワイルド系のキャンプ場でした。花火も規制が緩いようで、結構楽しく過ごせるキャンプ場でした。温泉が近いのもポイント高いですね。

難点は、そばに遊びに行くような場所がないということかな。初山別で天文台とゴーカートと海を楽しみにしていただけに、ちょっと残念でした(欲張り過ぎですが・・)。

で、二日目はちょっと足を伸ばして日勝峠を越えて新得へ。「そば」を食して来ました。


その後は狩勝峠の旧新内駅のエコトロッコで遊んでキャンプ場へ戻り、再び焼肉で満足し就寝。

今日の朝は、それまでもっていた天気が急変し雷とどしゃ降りになりましたが、それもあっという間にあがり晴れ間が見えてきたので、撤収時間ギリギリまで粘ってテントやタープを乾かしてきました。

キャンプは来年までお預けです。来年はどこに行こうかな・・・・。

悲しい別れと花とワインと

2013-06-05 21:28:44 | 家族
親族に不幸があってお葬式に出て来ました。とんぼ返りではありますが、なんとか式には出てあげたいと思っていました。

親戚の中で一番仲の良い一つ下の従兄弟。その奥さんはウチと同じ年上女房で、私よりも一つ上でしたが、それでもまだ50前。若くても病には勝てなかったようです。

唯一の救いは子供が居なかったことかも。子供が居ないことで肩身の狭い想いをしていた様ですが、こういう結末を迎えるならばいないほうが良かったのかもしれません。

沢山の花で飾られた祭壇の写真は、ものすごく明るい笑顔でした。数日前にウチの母親がお見舞いに行ったのを聞いていました。本人は病名そのものは知らされてましたが、すでに手遅れに近い状況であったことまでは知らされておらず、ウチの母親も口止めされていました。別れ際は笑顔で「また」と言っていたそうです。特にやつれてもいない姿だったそうですが、医者の話では「もって一ヶ月」だったそうで、あっけなく終わりはやってきました。

数年前、北海道に遊びに来たときには美味しい道産ワインが売切れで紹介出来なくて「今度持って行くよ」と挨拶して別れたのですが、それをご馳走出来なかったのが無念です。

安らかに・・・・。