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SNOW WIND blog

我が愛車“PEUGEOT307SW”を中心に、日々のくらしを綴った日記です。

御嶽山噴火

2014-09-28 20:56:25 | 想い出
御嶽山が再び噴火したようです。今回はかなり大きな被害がある様子。

御嶽山は私にとっては割りと身近な山です。地元の愛知県から良く見える高山で特に冬は綺麗に見える山です。“木曽のな~ なかのりさん 木曽の御嶽山はナンジャラホイ”で始まる木曽節でも有名な山です。

この山は信仰の山としても有名です。ウチの実家も毎年夏にお参りに行きます。私も中学生くらいまでは親戚一同で一緒にお参りに行ってました。7合目まではバスで行き(田の原という場所です)そこから山頂の祈祷所や神社を目指して登っていく登山ですが、それほど難しい山ではなく小学生の低学年でも十分に頂上まで行ける山です。大体3時間もあれば頂上に着けるはずです。

比較的気軽に登れる山なので、その分登山者も多かったようです。昔は死火山の部類だった山が噴火したのは昭和54年。とても驚いたのを覚えています。それから数年は頂上へは入山禁止だったと記憶しています。

少しでも多くの方々が無事であるように祈りたいです。

明日への贈り物

2014-03-10 11:20:05 | 想い出
この坂を登る散歩道
こもれびと落ち葉と細い流れ
雨の日もたいくつも あの人は愛してた

夢を語り合える人と 楽しげな笑顔と強い声と
苦しみも 涙さえ あの人は愛してた

あなたのそばにいて 愛の力を感じた
いつも心の中 青空だけをみていた


何げない午後のひととき
訪れる人もなく それぞれに
本を読む 静けさを あの人は愛してた

あなたをいつまでも ここにいると信じてた
誰にでも別れが 来ることさえ思わずに

こもれびの坂道 今ひとり歩いてみる
あふれる哀しみは そっと流れに浮かべて

ささやかな時間も 大切にとつぶやいた
あなたの想い出は 明日への贈り物ね


ハイファイセットの『明日への贈り物』という歌です。何となくですが好きな歌詞です。丁度社会人になったころ、購入したアルバムに収録されていました。

「ささやかな時間も 大切に」していきたいですね。遠い昔に二人で聴いていた曲です。今年の3月10日の想い出です。



君はアコードハッチバックを知っているか?(笑)

2013-06-30 18:01:20 | 想い出
某氏のブログでホンダアコードの記事が出ておりまして、その中のコメントに「ハッチバックはエアロデッキしかしりません」というコメントを発見。元ホンダフリークでかつアコードHBは昔の愛車だったワタクシとしてはここで記事にせねばなりますまい。

ということで、ネットサーフで見つけてきた画像です。


これがまんまワタクシの愛車だっだアコードHB。初代アコードですね。私の愛車は後期型で1,800ccのCVCC-2エンジンを搭載。5MTで馬力は98PSでした。初代アコードはHBが最初にデビューし、しばらくしてからセダンが追加されています。つまりアコードは“ハッチバックから始まった”車なのですぞ!!

この後、2代目アコードもHBとセダンでしたが、まだホンダはマイナーな存在だったかも。アコードが全国的に認知されたのは、リトラクタブルライトの3代目ですね。2代目プレリュードと似たフロントマスクを持ったセダンでした。インテグラも同じようなフロントマスクでしたね。で、この3代目でエアロデッキが登場しています。

というわけで久しぶりに国産車を熱く語ってしまいました。いまや変わり果てた姿のアコード、まったく興味が湧きませんねー。もうアコードに限らず、国産車全体に言えますけどね。軽とハイブリッドとミニバン。この国の自動車文化はどこへ向かうのでしょうかね?????

海を見ていた午後

2012-03-10 14:22:10 | 想い出
あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える

ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった

あの時目の前で 思いきり泣けたら
今頃二人 ここで海を見ていたはず
窓にほほを寄せて カモメを追いかける
そんなあなたが 今も見える テーブルごしに

紙ナプキンには インクがにじむから
忘れないでって やっと書いた遠いあの日


ユーミンがまだ“荒井由美”だったころの名曲です。この曲に出てくる「ドルフィン」には、横浜に上京してすぐに行きました。確かに海が見えるレストランでしたが、食事は普通だったかな。話のネタに行ってみるのはいいかなーっていう感じですが、“坂を上って”歩いて行くには最寄り駅からかな~り遠いです。

ソーダ水を頼んでもらった懐かしい思い出の店です。今年の3月10日はこの辺で・・・・。


LOVE AFFAIR

2011-03-10 14:50:23 | 想い出
サザンオールスターズの名曲です。イメージ&歌詞は → ココ

♪マーリンルージュで愛されて♪ の「マリンルージュ」は横浜港の観光遊覧船。ディナークルーズが有名。
♪大黒ふ頭で虹を見て♪の「大黒ふ頭」はベイブリッジが綺麗に見えるデートスポット。「虹」を見るっていうのはレインボーブリッジ?(これは桑田さんが間違えちゃったらしい)。
♪シーガーディアンで酔わされて♪の「シーガーディアン」は山下公園前に建つ「ホテルニューグランド」のメインバー。創作カクテル「ヨコハマ」を生んだバーです。

むかしむかし、よ~くデートした場所ばかり。今年の3月10日の“想い出”です。

ホテルパシフィック

2010-03-10 16:20:15 | 想い出
茅ヶ崎にあった「湘南パシフィックホテル」ってご存知ですか?サザンの唄の題名になったので、聞いたことがあるんじゃないかと思います。湘南海岸を車で走ると茅ヶ崎近辺ではモニュメントのような存在だった建物でしたが、今はもうありません。私が知っているのはもう最後期のころでほとんど閉館状態でしたが、その昔は湘南の遊びのスポットとして有名だったそうです。

そんなパシフィックホテルを題材にした唄は前述のサザンのほかにもうひとつあります。私はもうひとつのほうが大好きです。兄弟デュオの「ブレッド&バター」が唄うのはズバリ“ホテルパシフィック”です。ちょっと大人の湘南サウンドです。

“君が差しかける傘の中で 雨の輪が揺れるプールを見ている
 六月といえば夏を待てず みんなしてはしゃいだね
 遠い日は青い馬さ 煙るように駆けてくる
 ひさしぶり肩寄せ歩けば ああ ここは少しも変わらない
 パシフィック 想い出の 海が聞こえる

 裸足で国道横切ったら 入道雲見える浜辺に出られた
 子供じみた夏もう来ないか 君にただ聞きたくて
 淋しさという呪文が 仲間達を引き離すよ
 君がもし 居てくれたならば ああ僕は変わりはしなかった
 いまも恨むよ いまも恨むよ

 パシフィック想い出の 君が好きだよ”


今年の3月10日はこんな想い出の湘南サウンドで飾ってみましょうか。134号線は、今でも青春の1ページですね・・・・。

ブールミッシュ

2009-11-10 12:43:15 | 想い出
会社で洋菓子をもらった。お客様が持ってきたお菓子らしい。「どこのかなぁ?」と見れば「ブールミッシュ」。

今では銀座に本店があるそうですが、昔は渋谷の公園通りが本店でした。丸井(今井じゃないよ)のとこから公園通りに入っていってシード館を左に見ながらミスドを越えた辺りで右に曲がるとイートインの出来るケーキ屋さんがありまして、そこが「ブールミッシュ」でした。ちなみに同系列の店が横浜の馬車道にもあって、ここもイートインが出来ました。

両方とも、遠い昔によくデートで使った店です。横浜の店は学生時代かな。馬車道や山下町はデートの定番でした。社会人になってからは渋谷や代官山がテリトりーに。平成の最初のころですね。あーあ、あの頃は楽しかったなぁ(笑)

というわけで、カテゴリーは「思い出」にしました。

禁煙

2009-09-17 15:14:06 | 想い出
禁煙してから8年が経過しました。私が禁煙したのは2001年の4月くらいだったかな。今考えると「随分と頑張ったな」って思います。自画自賛ですが・・・・(笑)。

あの頃の喫煙本数は一日60本弱。普通のタバコ二箱とメンソール一箱が定番でした。銘柄はケントのスーパーマイルドとサムタイムライトでした。止めようと思ったきっかけは「なんとなく」でした。当時は川崎に住んでいて電車通勤でした。自宅から駅までは徒歩7分くらい。いつもは歩きタバコ一本なのですが、あの朝はなぜか3本も・・・・。で、3本目に火をつけて一息吸ってから「あれ、こんなに吸って大丈夫か?」と我に返り、少しの間だけ「ガマンしてみようかな」と軽い気持ちで禁煙にチャレンジしたのでした。

最初は半日。昼食を食べてからの一服をガマンしペットボトルの水でごまかしていました。夕方までガマンできたので「もう少し頑張ってみようかな」とそのまま帰宅。自宅でもベランダに出ずにガマンして水を飲んでいました。翌日もペットボトルと共に過ごしていました。一日に500mlの水が4本くらいでした。「禁煙は一日ガマンできると三日ガマンできる。三日ガマンできると一週間ガマンできる。一週間ガマンできれば一ヶ月ガマンできる。」と言われたことを思い出していたので、この時点でまずは三日間を目標に水を飲み続けました。三日が経過しさらに一週間目が経過。奥様には禁煙していることは話していませんでしたが、親族の葬式でタバコを吸わない人用の控え室に長時間いたことを不審に思ったのか「どうしたの?調子悪いの?」との問いかけにゲロ。禁煙中であることがバレました(笑)
会社では、喫煙ルームに顔を出さないことを不審に思った同僚や、喫煙ルームに行って席を外していることがなくなった事を不審に思った女子社員にバレました。禁煙に失敗するほうに賭けていた同僚も多かったようです(笑)。一週間くらいたつと結構楽になるみたいですね。水の量も減って、タバコを吸いたいという気持ちは無くなっていました。フラッシュバックがたまに来ましたけど、せっかくここまで来たんだし・・・とガマン。

一ヶ月くらいたって「禁煙くらいいつでも出来るんだな」と気分が緩んでいたときには、禁煙に失敗した同僚から「私もそんなふうに思ってタバコ吸ったら、二度と止めれませんでしたよ」と諭され、結局はそのままタバコを吸わなくなりました。

あれから8年。よく“タバコを止めると太る”と言われていますが、その兆候は全くありません。ただ、ご飯は美味しく感じるようになりました。もう吸う事はないと思いますが、バーでタバコをくゆらしてショットを飲む姿には、未だに憧れがあります・・・。

昔、僕は転勤族だった(その③~そして神戸)

2009-09-09 18:33:36 | 想い出
神戸、とても好きな街でした。「横浜」と同じように洋館あり、中華街あり、夜景も綺麗ですし雰囲気もいい街でした。そんな神戸には何回も遊びにいたことがあります。とある「事件」とは、そんな神戸に絡んでいます。

平成7年1月17日、大きな地震が神戸を襲いました。阪神淡路大震災です。実はあの前の日、僕は神戸にいました。会社の同期の結婚式があって別の同期の会社の社宅に泊めてもらったのです。式が15日で16日は観光をしていました。神戸といっても甲子園球場の側でしたが、車を使えば津までは2時間ちょっと。「明日の朝、早くに帰ればいいじゃん。飲もうぜ!!」というお誘いを振り切って津に帰ってきて就寝。17日の朝早く、地震で目が覚めましたがやがて収まり再び夢の中へ。朝7時過ぎに実家から「地震は大丈夫だったの?」という電話で目覚めて「大したことないんでしょ」という寝ぼけ眼の私に「何言っているの、テレビを見てごらん!」との母の言葉にテレビを点けると・・・・そこには恐ろしい光景が広がっていました。

幸いにして、神戸方面に住んでいた同期や知人は皆無事でした。ボランティアとまではいきませんでしたが、休日には知人を手助けにいったりしていました。当時の同期のうち、特に出身が関西で無い人達は「知らない土地では死にたくない」と口々につぶやいていました。そして年度末には皆、転勤を願い出ました。私自身は、神戸の惨状を目にしたショックみたいなものから、正直なところその場から逃げ出したいなという思いが強く(その土地で頑張っている人達には申し訳ないのですが)、転勤を希望しました。

3月の中旬に、時の支社長に呼ばれて「転勤だ。行き先は室蘭支社だ。頑張れよ」とのお達しを受けました。「北海道かー、スキーも出来るな」などと相変らず能天気なヤツでしたが、ここが大きな運命の分れ道だったのです・・・・(続く)。


昔、僕は転勤族だった(その②)

2009-09-02 22:36:30 | 想い出
転勤が決まると二週間くらいで配属先に着任しなければならない。借上げの社宅とかは現地で準備されており、引越しの手配をすれば後は業務の引継をして旅立ちとなる。自家用車で出発。東名高速に乗って西へ走る。箱根のあたりでFM横浜が聞けなくなって「都落ち」を実感。一旦、実家に車を置いて、名古屋駅から近鉄に乗って津へ向かった。なかなか到着しない。特急に乗ったのに、四日市から随分時間が掛かっている。結構遠いことを知ったのは、津に到着してからでした(笑)。

津での生活は、なかなか過酷でした。支店勤務は時間外勤務が当たり前といった感じ。8時から22時までは働いていました。で、家に帰るわけですが、地方都市は夜の9時には食堂なんかも閉店。もちろんスーパーもしてしまうので、夕飯を食べる店がありません。城下町なので古い家並みだからなのか、街中にはコンビニもまばらで弁当すら変えない街でした。なので仕方なく、車で郊外へ(といっても10分も走らない)行き、国道沿の「吉野家」「餃子の王将」「ガスト」(出来たばかりのガストです。今とは中身が違う)を順番で回っていました。

週末も土曜日はほとんど出勤。で、日曜日は洗濯とアイロンがけ。お出かけもままならない生活がずっと続きました。そんな中で時間を見つけては観光していました。三重といえば伊勢神宮。おかげ横丁なんかは楽しかったです。赤福の本店では、毎月1日には“ついたちもち”という特別なものが準備されます。それを食べるのが楽しみでした。那智勝浦とか青山高原とかを観光したり、伊賀上野に有名な荒木又右衛門の「鍵屋の辻」跡なんかも見に行ったり、奈良まで足を伸ばしたり、大阪に行ったり神戸までドライブしたりと、祝日や連休を合わせて、とにかくあちこち行きました。当然冬はスキー。白馬、志賀高原、御岳、奥美濃あたりに毎週末日帰りスキーをしていました。実家にはたまに顔を出す程度。近くに来た割には親不孝だったなぁと思います。

そんな生活でしたが、ある事件がきっかけで転勤を願いでることになります。そんな事件とは・・・・・(続く)