東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

汐入公園の河津桜が五分咲き

2021-02-23 | 散歩

  隅田公園の河津桜と汐入公園の河津桜、
  隅田川を挟んで片や咲いたばかり、片や五分咲きと
  開花状況が違うね、日当たりなどの関係だろうか。
  考え方によっては長く見られるのでいいことかな。

 

   百花園を素通りして汐入公園へと思ったが、
   あ、今年はまだフキノトウを見ていない。
   百花園近くの法泉寺で途中下車、
   ここにはフキノトウが顔を出してくれる。

 

 

   うひゃ~、デカいフキノトウ、キャベツみたいだ。
   まあキャベツというのはオーバーだけどほんとに大きいフキノトウ。
   私のテリトリーでフキノトウは百花園とここ法泉寺だけでしか見られない。

 

 

   東白髭公園ではスイセンを、
   さすがのおばちゃんの花園も絶賛冬枯れ中!?。

 

 

   さて汐入公園に着いたらまず満開になった白梅が目につく、
   桜はいろいろな種類がいっぱいあるけど梅は2,3本しかない汐入公園です。

 

 

   おお、河津桜が咲いてきたね、
   でもこれも2本しかない。
   でもその2本が春を先取りしてきれいに咲いてきた。

 

 

   ソメイヨシノよりちょっと濃い目の色、
   ちょっと悩ましい色だね。

 

 

   下の方の枝はもう満開と言ってもいいほど咲いている、
   このあと気温が高くなるみたいなのでもうすぐ満開だね。

 

 

   ここにはメジロはあまりやってこない、
   このトリが追っ払ってしまうから。
   なのでここの桜にはヒヨがいっぱい飛び回っている、
   実に由々しきことである。

   汐入公園では河津桜が咲いてくると
   追いかけるように大寒桜(おおかんざくら)が咲き始める。
   他にも隅田川沿いにたくさんの里桜があり
   長い間にわたっていろいろな桜が咲き続ける。
   農業公園と違って広~い公園、
   春の光を浴びながらたくさんの桜が見られるのももうすぐだね。

 

          data: EOS70D/EF70-200 1:2.8 。 撮影 2月14日  向島から汐入公園へ

          

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墨田区側の隅田公園も歩こう

2021-02-22 | 散歩

  日を改めて墨田区側の隅田公園を歩いてみました、
  墨田区と隅田公園、字が違うのが面白いね。
  今回の目的は河津桜の開花状況を見ること、
  ここを歩くと行く先々に河津桜があるはずだけどね。

 

   江戸の頃ここには水戸藩の下屋敷がありました、
   まあこんなに広い屋敷を貰ってどうするつもりだったんだろう。
   全体的にどこの下屋敷も広さは広いけど使いみちがない、
   片隅で野菜などを作って自家消費などを行っていたようです。

 

 

   この池も大きいけど当時にからあった池なんだろうか。
   見えているこの小さな島にカワセミがよく来ます、
   私も一度撮ったんだけどね。
   例のごとく大砲レンズは並ぶけどご本尊は気まぐれだから・・・。

 

 

   池のほとりにある牛嶋神社、河津桜が2本あります。
   いつも出遅れて泣くんだけど今年は百花園に入れないので
   早々と見に来ました、咲きだしていたのでまた来てみなくちゃ。

 

 

   2本とも小さい木なんだけどやっぱりメジロが来ます、
   でもヒヨが来て追っ払ってしまう。
   「ヒヨ、来るな」と看板でも出さなくちゃね。

 

 

   言問橋をくぐって向島土手へ来ました、向いているのは下流方向。
   今いるところが向島土手、上流の向島まで桜の並木が続きます。

 

 

   八代将軍吉宗がこの土手に桜を植えました、
   みんなが来てくれれば土手は踏み固められて丈夫になるだろうと。
   おかげでお花見のころは自転車なんかは通れないほどの人出です、
   吉宗の置き土産は東京のいたるところで見られますね。

 

 

   向島土手の終点はX型の人道橋、桜橋です。
   上空から見るとX型だけど地上からは見られません、高いところがない。
   大昔、パソコンを始めたころ"勇者"がいてなんとかX型を見たい、
   近くのビル、夜間は無人のビルに忍び込み屋上までたどり着いて
   撮った写真をHPに載せた人がいました。
   褒められたことじゃないけど気持ちは分かるような気がします。

 

 

   桜橋から降りると"言問団子"とか"桜もちの長命寺"あたり、
   十月桜や冬桜を撮ったところに河津桜もあります。
   ここも咲き始めたところで淡いピンクの花が見られました。

 

 

   ここにもこの時期は必ず行くのでメジロくんにも会います、
   あれって普段はどこにいるんだろう、
   梅が咲き桜が咲くとどこからともなくたくさん集まってくる。
   まあどこから来るのかはともかく
   メジロがいないことには春は始まりませんね。

   この時点で「河津桜が五分咲きになったよ~」と汐入公園のTwitter、
   行く、行く、飛んでいく。
   さらにその数日後には「大寒桜が咲いてきたよ~」と
   わぁ忙しい、行くまでまっててくれ~。

 

          data: EOS70D/EF70-200 1:2.8。 撮影 2月14日  隅田公園から向島土手を歩く

          

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二の午、一葉稲荷は雨ン中

2021-02-21 | 散歩

  千束稲荷は樋口一葉が幼いころ遊んでいた神社として有名で
  一葉稲荷とも呼ばれています。
  他の稲荷と違って二の午の日がメインのお祭り、
  でもこの日は爆弾低気圧に襲われさんざんな一日でした。

 

   初午は行きそこなったので二の午は見なくちゃ、
   ここ千束稲荷は初午はやらないで二の午の日にお祭りをやる。
   雨になっちゃったなぁ、と行ってみたら静まりかえっていた、
   あれれ雨なのでやらないのかなぁ・・・。

 

 

   行ってみたらやらないのじゃなくそ~っとやってるみたい、
   いつもは外を向いている行灯が内側を向いて下がっていた。
   やっぱり雨が降ってるのでこうしたのかな。

 

 

   さすがに訪れる人はほとんどいない、
   いつもはお囃子なんかが聞こえるのにね。

 

 

   雨の中で紅白の梅だけが目立っていた、
   これはこれでちょっといい感じだったけど。

 

 

   いつもは境内を埋めている地口行灯も
   境内の周りに沿って寂しく並んでいるだけ。
   林立しているはずの赤い幟は全く見られなかった。

 

 

   一葉さんもこの雨に渋い顔、
   ここへ行くようになってから雨の日は初めて
   私も同じような顔をしていたのかも。

 

 

   地口行灯を一つ二つ。
   みんなが知ってるフレーズをダジャレにした地口行灯、
   江戸のころは町内の若旦那か何かが張り切って作ったらしい。

 

 

   ダジャレと共に絵も大事だね、
   この頃は絵を描く人もすっかり減って困っているらしい。
   こうした伝統的な文化も存続の危機に直面しているとか。

 

 

   まあ雨だったので電車で行ったけど帰りの電車は
   ゴーカな電車に乗ることができた、
   ロングシートではなく二人席が並んでいる電車。

   これは東武鉄道が作った有料の座席指定車、
   遠くから通勤する人の「高くなっても座って行きたい」との声に応えて作った。
   ところが走り出した途端のコロナ禍、リモートワークが始まって
   電車で通勤する人が激減してしまった。
   この電車どうするのだろう、人のことながら気になるね。
   あと各駅にホームドアがぼつぼつと設置されてきた、
   日比谷線を走る電車が4ドア7両編成に固定されたようだ。
   たまには電車に乗らないと世の中に置いていかれるのかな。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 2月15日  台東区・千束稲荷神社

          

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帰りは山谷堀を吉原まで歩く

2021-02-20 | 散歩

  ずいぶんたくさん歩いたみたいだけど
  職場の周りをぐるっと回った感じで
  直行直帰で12kmのところを17km走っただけでした。
  こういうふうに効率よく廻れると楽ちんでいいですね。

 

   山谷堀は石神井川から分かれた支流・音無川が三ノ輪を過ぎさらに分かれて
   山谷堀となって隅田川に注ぎ込みます。
   隅田川に一番近い橋が今戸橋で待乳山聖天と今戸神社の中間にあります。
   ここから吉原の近くまでが山谷堀公園となって約700m続いています。

 

 

   山谷堀公園は去年大掛かりなリニューアル工事を終え面目一新
   すっかり見違えるような公園になりました、無味乾燥と言い換えてもいい。
   この日はヤケに人影が多かった、何かのロケが行われていたようです、
   羽織袴の人や大八車もあったので時代劇みたい。
   去年かなTBSの『恋はつづくよどこまでも』のロケもあったようで
   上白石萌音は荒川でロケ、ここでもロケ、私の行く先々でロケをやってる。

 

 

   ここにも招き猫が、
   台東区一押しのキャラかな。

 

 

   これは「踊り雀」といって台東区有形民俗文化財を基に作ったもの、
   詳しいことは分からなかったけど民族玩具なのかな。
   さてスカイツリー、左右対称ではありませんね、
   これは"日本刀の反り"をイメージしてこの形にしたそうです。

 

 

   山谷堀の流れをイメージしたところに"猪牙舟"が置いてありました、
   船首がイノシシの鼻みたいに尖っているのでこの名が。
   船頭と客が一人か二人、日本橋辺りから隅田川を遡って吉原へ、
   こんなにずんぐりではなくもっとスリムで高速が出せました。
   当時はこの猪牙で吉原へ繰り込むのがステータスシンボルだったようです。

 

 

   ここにも子規の句碑があったけど草に埋もれ映り込みが激しくわやですわ、
   「牡丹載せて 今戸へ帰る小舟かな」 子規  とあります。明治28年の作だそうです。

 

 

   山谷堀には九つの橋があるけどそのうちの一つ、紙洗橋。
   江戸のころはリサイクルが盛んで市中から集めた古紙をここで再生紙に、
   浅草紙としてトイレットペーパーなどに使用されました。
   古紙を煮て冷ますまでの間を職人は吉原へ行って女たちをからかったり、
   冷やかすまでの間を買わずに見るだけで、「ひやかす」の語源になりました。

 

 

   山谷堀の土手から吉原に向かう道、
   外から見えないようにクランクに折れ曲がっています、奥に大門が。
   ちょっと坂になっていてその名も「衣紋坂」、
   吉原へ向かう客はこの坂道で衣紋を正して大門へ向かいました。
   左に「見返り柳」、何代か代を重ねています。

 

 

   吉原で遊んだ客が吉原大門を出て後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、
   この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから
   「見返り柳」と呼ばれていたと歴史は言います。
   オトコ涙の純情ブルース・・・かな?ンなわきゃないか。

   このまま土手通りを三ノ輪まで行きます、その後はいつもの通勤コース。
   山谷堀の痕跡は全く姿を消しますが地下鉄三ノ輪駅の近く
   投げ込み寺・浄閑寺の近くでほんの小さな公園として再び目の前に。
   三ノ輪には山谷堀に橋が架かっていて三ノ輪橋と、
   今では橋もなく都電・三ノ輪橋停留所にその名を残すのみとなりました。
   悲喜こもごもいろいろな話題を残した吉原も遠い昔の話となりましたが
   こうして歩いてみるとあちこちにその片鱗が残ります、
   古きを訪ね新しきを知る、古きを歩いてみるのもまたいいものですね。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 2月10日  山谷堀から吉原まで歩く

          

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招き猫で埋まる今戸神社へ

2021-02-19 | 散歩

  招き猫の発祥の地、今戸。
  江戸のころは焼き物の街で大きなカメや植木鉢、瓦など
  日用雑器を焼いてきました、
  その中で招き猫が生まれ発祥の地となったようです。

 

   待乳山聖天から歩いても数分、間に山谷堀を挟んで指呼の間。
   今戸神社は、康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、
   京都の石清水八幡宮をこの地に勧進し、
   祈願したのが始まりであるといわれています。
   御祭神は、応神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・福禄寿。

 

 

   境内に入るとまず目につくのが招き猫の絵馬、
   数か所に分かれてこれでもかとぶら下がっています。
   湯島天神も多いけどここもそれに負けないくらいの絵馬、
   ご利益が縁結びということで若い女性の良縁を願う絵馬がびっしり。

 

 

   拝殿にはこれまた大きな招き猫が二体、
   さすが招き猫発祥の地です。
   ただ招き猫の発祥の地は他にもあって有名なのは
   世田谷区の豪徳寺や新宿区の自性院などがあげられます。
   発祥の地なんてのはあちこちにあって面白いものですね。

 

 

   境内にはいたるところに招き猫が置いてあって
   気をつけて歩かないと蹴飛ばしそう、踏んづけそう。

 

 

   黒ネコのタンゴ タンゴ タンゴ
   僕の恋人は黒いネコ
   黒ネコのタンゴ タンゴ タンゴ
   ネコの目のように気まぐれよ

 

 

   「今戸焼発祥の地」と並んで「沖田総司終焉の地」の碑が。
   新選組が江戸に引き上げたころ沖田総司の肺の病は進行しており
   神田・和泉橋の松本良順の医学所で治療を受けていた。
   薩長軍の江戸入りの際総司を含む患者たちは
   浅草今戸八幡(現・今戸神社)に収容され松本良順もそこで治療に当たったが
   惜しむらくも帰らぬ人となった。(諸説あり)

 

 

   境内にはささやかに梅が咲いていました、
   ゴーカな梅林もいいけどこんな梅もいいですね。

 

 

   そしてさらに河津桜も綻んでいました、
   春はそこまで来ているんですね。

   隅田公園の梅を見ようと思い立った旅、
   脱線しながらここまで来たけど次回で帰途につきます。
   でもまた日を改めて続きをやりたいなと思ったり、
   墨田区側の隅田公園を今度は桜を探しながら
   河津桜が五分咲きになった汐入公園まで。
   お天気がいいので早く行きたいね。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 2月10日  台東区・今戸神社

          

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