台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台南州 (台南市南門町)台南神社

2011-07-08 10:20:26 | 台南州
鎮座日:大正12年(1923年)10月28日  
祭神:能久親王  
例祭日:10月28日  
社格:官幣中社  
社歴:大正14年10月31日官幣中社列格
鎮座地:台南市南門町  

 台湾神社と台南神社の2社のみが官幣神社として日本統治時代に建立された。台南神社が建立された場所は北白川宮能久親王の終焉の地であり、その北白川宮能久親王を祭神とする神社である。

 北白川宮能久親王は弘化4年(1847年)2月16日に伏見宮邦家親王の第9皇子として生をうけ、明治5年(1962年)3月に北白川宮家を相続している。一時、僧門に入るが、明治3年還俗して軍籍に身を置くようになった。プロシアにも留学し、兵学を学び、陸軍の近代化に尽くす人材となった。明治28年(1985年)に近衛師団長に補任され、近衛師団師団長北白川宮能久親王自ら、台湾掃討のために5月29日台湾北部に上陸した。抗日武装勢力と交戦しながら南下したが、当時の台湾に蔓延していたマラリア・赤痢およびコレラなどの疫病により明治28年(1985年)10月28日に病死されたとされているが抗日ゲリラに暗殺されたという説が台湾では一般的である。

 台南神社は現在の友愛路と忠義路2段の交差点そばの公園およびとなりの忠義小学校一帯を神苑として建立された。光復後、神社は取り壊されたが狛犬と神馬は台南市健康路1段 中山運動公園内の国民革命忠烈祠に移された。運動公園前には忠烈祠の大きな門があり、その入口には一対の狛犬が残っている。参道を進むと石段横には神馬(2009年9月の時点ではどこかに移されていた)が一対あり、忠烈祠の本殿入口にはこれまた愛嬌のあるブロンズで出来た狛犬が一対残っている。「吽形」で雌、1本の角があり口を閉じている。神社遺跡の調査の中で最初に見かけた角がある「吽形」であった。
 以前、忠義路沿いにある忠義小学校の裏から台南神社の神橋の一部が見つかり、この橋は「成功橋」として復元された。古い台南神社の写真にはこの橋の様子を見ることが出来る。同じ忠義小学校内にある社務所が現在修復中である。2009年9月には竣工することになっている。

この場所に神社が建立された
  
忠烈祠にある狛犬
  
成功橋と神馬

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