台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

斗六神社末社 内林神社

2014-12-14 06:52:21 | 台南州

久々に新しく見つけた神社跡地を紹介します。タイトルの通り、斗六神社末社の内林神社です。台湾総督府が発行した「台湾に於ける神社及宗教」での鎮座地は「斗六郡斗六街内林162の1」となっています。しかしながら、現在この地には「内林」はありません。これがこれまで見つけられれなかった理由です。今年の5月、何とか探し出そうとして、再び訪れました。やっとのことで探し当てた神社跡地は「梅林」にありました。戦後、この地は「内林」から「梅林」に変わっていたのです。

ここまでは良かったのですが、肝心の神社跡地を探し出せず、やっとのことで地元の林宏亮さんに巡り合えました。早速、神社跡地へ案内してもらいました。現在の台湾自来水公司梅林加壓站林内営業所がその場所でした。

また、林さん宅には一部のWebsiteで紹介されている貴重な神社写真も見せてもらいました。写真を写されたのは林さんの父親で、日本統治時代、内林の里長であり、また保甲書記であったとのことでした。

保甲:戸口調査、出入者取締、風水火災土匪竊盗の警戒捜査、地元保安林保護、伝染病獣疫害蟲予防、阿片弊害矯正、道路橋梁の小破修繕および掃除、過怠処分および褒章そして経費の予算決定および賦課徴収する機能を果たした。制度の単位は原則として十戸を一甲とし、十甲を一保とした。甲には甲長、保には保正をおいて住民を連座制のもとで管理するものであった。

往時の神社写真です

 

 

神社の跡地です

 

 

 

 

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4 コメント

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Unknown (大熊)
2015-04-23 17:43:26
https://www.youtube.com/watch?v=EERkRO86h30
02:20的地方可以看到基隆神社
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基隆神社 (金子展也)
2015-04-26 08:07:37
謝謝您的聯絡。看到舊基隆神社,感動了。
返信する
日本神道について (Naoatjp)
2015-08-17 21:26:05
こんにちは。
貴重な情報をありがとうございます。

日本からの戦後の台湾人の先輩方への対応が尽く阻止され続けていた為に、多くの先輩方に失礼をしてしまい、大変申し訳の無いまま亡くなられた方々が殆どで、心残りが多過ぎます。本当に申しわけの無い事です。(未だに、一つ伝えるにも邪魔が多くて困りものです。)

それなので、日本神道も分けの解らない物のままかもしれず、殆ど破壊されてしまっているかと思いました。

日本の「神道」は「人道」と並び添えられるものです。どちらも、邪道を外いた、「人として守〔かみ〕として在るべき善良な道の事」です。

大日本帝国時代の映像で、台湾で神主が、領土民が作ったり捕えた収穫物を鏡餅の台のような物に載せ慰霊と感謝とを奉げているものをどちらかで見掛けました。

本来、生きている守々〔かみがみ〕が、神社に参拝した領土民たちの声を聞き、みんなの様々な報告を聞き、願いを聞き、頼み事や悩み事を聞き、それぞれに良縁(結婚だけではない全般に渡る縁)を結んだり、問題解決のヒントを与えたりする、そんな場所でした。
ニーチェの「神は死んだ」の辺りから、神道にも歪みが出て来ていたようです。

明治時代、<五箇條の御誓文〔ごせいもん〕>の「旧来の陋習を破り、天地〔あめつち〕の行動に基づくべし」の精神から、<廃仏帰釈〔はいぶつきしゃく:拝仏帰釈〕>が行われました。

☆廃仏帰釈:仏像だけを崇拝する事を廃止し、釈迦本来の教えに帰る事。
☆拝仏帰釈:仏陀を崇拝し、釈迦本来の教えに帰る事。
(廃仏毀釈も廃仏棄釈も、改竄された大嘘です。)

明治以前の<神仏混交>によって統合され昇華されたのが、善良な精神を鐘の音の様に辺りに響かせて波及させ同調させる方法で、日本人の理想として来た在り方です。

親接にしてくださっている台湾の方々への、戦後、日本人が弾圧によって思う様に動けず、多々の失礼をしてしまった御詫びに、よろしければ、日本神道について、僅かばかりですけれど御説明と御伝達願えればと思います。

「靖国神社」は「日本語版Wikipedia靖国神社」にも有ります様に、「戦地でもしもの時の帰国の目印で、靖国神社まで霊が戻れれば、後は故郷までの道は解るので、其処から帰郷できるようにと、出兵前に皆が覚えて行って、『靖国で会おう』を合言葉に亡くなられた方々や戦友や家族親戚友人や後輩達が、それぞれの自由意志で靖国神社に出掛けると、其処には同様に靖国神社に詣でている仲間たちが集っている」といった仕組みです。戦地では、いつ何時、危険が訪れるか解らず、霊が所処に居るか解らないまま取り残されない様に、靖国を覚えて行ったのです。そして、神社は本来は、全神社がつながっているのです。だから、日本の靖国神社にもうでられない方々でも、近所の神社に詣でれば、つながって伝わる様になっていました。

日本でも、戦争と戦後に神社システムの破壊があり、内部にも様々な人が入り込んでいて、うまく機能しないままとなってしまっています。台湾で神社を大事にして下さっている方もいらっしゃるとの事、ありがたい事です。

台湾の先輩方の大日本帝国時代とその後の、人類の努力として半端じゃない程最大限の大変な善良な努力をなさった事、後輩達がきちっと跡を継いでくれる事を心から祈ります。(長文失礼しました)
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日本神道について (金子展也)
2015-08-20 05:55:55
コメント有難うございました。改めて別途コメント致したく思います。
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