台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

新竹州 (苗栗郡頭屋庄) 錦水神社

2010-06-24 21:54:54 | 新竹州

中山墓園 湯家のお墓(錦水神社建立の場所)        当時の神社旧景

この神社は日本石油株式会社錦水鑛場内に造営された企業神社である。と言っても、台湾になじみのある方でも場所が特定できないと思う。錦水とは苗栗県造橋郷の錦水である。また、どうして石油会社と関係があったのかと不思議がる人が多いと思うが、台湾は過去天然ガスや石油を産出した国でもあったこともあまり知られていない。
日本統治時代の石油産出の歴史は明治36~37年に遡り、日本企業で最初に油田開発に着手したのは当時の宝田石油会社であり、そのパイオニャー的な存在だった。同社は明治36年に出礦坑(新竹州公館庄)の調査を行った上、その有望なのを認め、大正2年4月になり、やっと深度810尺で140石を噴出するにおよんで出礦坑油田が注目を得始めた。
一方、日本石油会社は南台湾(台南州と高雄州)に注目し、千秋寮、六重渓および甲仙埔で事業をおこなうが出油量は採算にのるものではなかった。大正末期に入って、日本石油は出礦坑に出油井を得て、昭和初年には12万石前後の生産量を記録した。その後、昭和5年11月13日に出礦坑の北部に隣った錦水油田ロータリー式第8号井が日産1億5,000万立方フィートという大量の天然ガスを噴出した。その後、昭和7年2月下旬に第12号井が同じく3億立方フィートと世界的にも類の無い大量噴出をみせ、続いて同年4月、台南州新営郡蕃社牛肉崎鉱場のロータリー式3号機も日産2億立方フィートの天然ガスを噴出した。その天然ガスから揮発油を採取して、島内の需要を満たしたばかりでなく内地へも供給されたという。当時、この天然ガスは自動車燃料にも一部使用されたと言う。


祭神は石油発祥の地である越後(現在の新潟県)の一の宮伊夜日子神社(弥彦神社)と産土の神である新竹神社を勧請したとあるので、天香具山命、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王となる。







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3 コメント

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新竹州神社 ( 安有仁)
2011-04-03 14:19:54

60年、ネットワーク上の新竹州神社前に、カラー写真は、新竹、幹部は米軍顧問の息子で撮影

ホームページ http://mirach.lunarpages.com/~taipe2/index_files/Page877.htm
Japanese Remnants
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新竹神社 ( 安有仁)
2011-04-03 14:22:10

1917.07 日本皇族の北川親王は第1世代の神社を建設して、全体の平建を始めます

1920.03政府は指定します"県社"

1938.6.4第2世代の神社は改築して、開催の当殿は工事を始めて工事を始めて、2年続きます

1942.07 位置付けの国幣小社

1945日本が敗戦し、台湾を去った後

2001.06新竹市長の公告は市のために古跡を決めます
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新竹神社 (金子展也)
2011-04-06 00:05:11
安有仁さん

素晴らしい写真を紹介頂き、有難うございました。早速、神奈川大学 海外神社研究会のメンバーに紹介しました。
また新しい情報がありましたらご提供願います。
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