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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

新竹州 (大渓郡蕃地ブトノカン社) ガオガン祠

2010-09-04 01:02:11 | 新竹州
 
神社はこの坂の突き当たりにあった               神社が建立された場所である

佐久間総督が計画した理蕃政策事業5ヶ年計画は明治42年(1909年)に1,540万円の国庫費を用い、具体策が策定され、翌年から開始された。まず新竹マリコワン、キジナおよびガオガンの各に対して隘有線の前線を前進させ、威嚇と武力による掃討作戦が行われた。まさに、ここが日本の新領地における原住民に対する最初の軍事作戦が展開された場所である。

ガオガン祠は三光小学校前の道を山際に登っていった高台に建立された。1960年代に蒋介石がこの地を訪問したときに部下に神社の取り壊しを命じたようである。現在、本殿があった場所には民家がある。僅かに本殿までの石段の面影が残っているが、ここに神社があったと思わせる遺跡はもうない。付近の方の案内で民家の家の中に残っている神社の礎石があると教えて頂いた。また、石段の参道があった所に神社の石燈籠と思われる石の一部が唯一の遺跡であるとのことであった。当時のガオガン祠の様子を近所のご老人にお聞きしたところ、最初の石段のそばには一対の石燈籠があり、上り詰めると手水舎と社務所がり、2つ目の石段のそばにも一対の石燈籠があった。最上段には檜で作られた本殿あり、このそばにも一対の石燈籠があった。神木として松の木もあったようであるが、神社の取り壊しと時を同じくして切り倒されたようである。
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