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第二代目亀山発電所 日立製作所の発電タービン
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当時の宿舎 ここに神社が建立されたのではないかと考えている
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第一代亀山水力発電所 台湾電力のロゴ
台南大学台湾文化研究所卒業の徐正武さん(現在は高雄県阿蓮郷復安国民小学の教師)によると、この亀山水力発電所にも構内神社が建立されたという。「台湾電力株式会社」の著者である林炳炎さんの案内で訪問した。残念ながら、ここに神社が建立されたという確信は得ることは出来なかった。
台湾でダムと言えば、八田與一が作つた烏山頭ダムが有名だが、台北深坑にある亀山ダムは台湾で最初の水力発電ダムである。台湾における電気事業は明治35年(1902年)に内地および台湾の企業によって台北の新店渓の落差を利用して台北に灯用水力発電を供給することであったが、明治33年(1900年)代に入り各種産業の勃興に際して電気動力の必要性を認め、これを官営とし、灯用と動力を併せた供給を目指した。総督府自ら明治36年(1903年)に新店渓上流の亀山に発電工事を起し、明治38年(1905年)に660馬力(その後、1,000馬力まで拡張されている)の発電所を完成させている。その後、更なる電力需要に対応すべく、明治40年(1907年)には同じ新店渓下流の小租坑に3,000馬力の発電所を起工している。
現在は二代目の亀山発電所(現在は桂山発電所となっている)で、昭和14年完成、が発電を行つている。発電装置は昭和14年に製造された日立製作所製であり、タービンは一秒間に300回転して16トンの水を排出する。
どうして日立のものかと尋ねると、「当たり前」との回答がすかさず返ってきた。うれしい限りである。
台湾での工業化を推進するために整備が進められた台湾での本格的な発電事業は、明治36年(1903年)2月12日に土倉龍次郎により台北電気株式会社の設立に始まる。深坑を流れる淡水河の支流である南勢溪を利用した水力発電所を建設し、台北市への電力供給を開始した。その後台湾の近代化を推進する総督府は官営の発電所として台北電気作業所及び亀山水力発電所を明治38年(1905年)には台北に、翌年には基隆への電力供給を開始している。その後明治42年(1909年)に新店渓の溪發電的小粗坑発電所、高雄の竹子門発電所、明治44年(1911年)には台湾中部の后里発電所などが次々と建設された。
コメント有り難うございました。
当時の所長や従業員の宿舎も修復されながら保存されています。発電所の中に入れるかはわかりませんが、この場所で働いていたと伝えれば入れてくれる可能性があると思います。
なお、構内で販売されいるアイスキャンディーは販売数量が限定されるほど有名です。どうぞ、ご試食してみてください。