ザンジバルから新造船の訓練指導にあたる人材派遣が日本に要請されていたが、海運業界からはなり手が見つからず、やむを得ず退役直後の海上自衛隊の海将補が単身アフリカに送り込まれて四苦八苦した、1975年から6年間の記録。
なにしろ船長資格を持っている者がほとんどおらず、いても腕が悪く、乗り込んだ船のレーダーは故障しているし、灯台の大部分はガス欠で消灯しているし、荷役作業員は怠けていてちっとも働かないし、食事はまずいし、船長は指導半ばでいなくなっちまって、交代に来た船長は前の船長よりさらにヘタクソで人望が無く、水先案内人はあてにならない。しかも海員学校の設立やら緊急輸送だの、飛び込みの仕事が次から次へ……。
【海将補のアフリカ奮闘記】【松浦光利】【愛知万博】【烏合の衆】
なにしろ船長資格を持っている者がほとんどおらず、いても腕が悪く、乗り込んだ船のレーダーは故障しているし、灯台の大部分はガス欠で消灯しているし、荷役作業員は怠けていてちっとも働かないし、食事はまずいし、船長は指導半ばでいなくなっちまって、交代に来た船長は前の船長よりさらにヘタクソで人望が無く、水先案内人はあてにならない。しかも海員学校の設立やら緊急輸送だの、飛び込みの仕事が次から次へ……。
【海将補のアフリカ奮闘記】【松浦光利】【愛知万博】【烏合の衆】