チート(いかさま)能力というのは、昔は敵対者の能力だった気がします。不死とか相手の攻撃全反射とか。主人公は頑張って修行して手に入れた力で戦うのだ……。
実際どうだったかはともかく、今はみんな平気でチートな力を使ってます。必殺・無敵・魔力無限等々、チート=ズルではなく、=とてもスゴい力くらいのニュアンスになってますが、たまたま偶然に手に入れたり、神様の気まぐれでもらったり、ガチャひいたり、生まれつきだったり、努力とか根性とか無縁な感じです。かといって、その能力に甘んじてストーリーを作っていたら単調な「俺様ツエー」な自己満足に陥ってしまうので、そのあたりのさじ加減が難しいのです。権力も財力も武力も知力も圧倒的な主人公がおとなしくその能力を振るう機会を見つける話の代表と言ったら「水戸黄門」「暴れん坊将軍」。勉強になります。
『Dジェネシス ダンジョンが出来て3年』 之貫紀
現代社会にダンジョンが出現するようになって3年。偶然の事故からダンジョン探索者として世界ランキング1位の能力を手に入れてしまったサラリーマン研究者、芳村圭吾はあっさり退社を決意。ダンジョンに潜って生計を立てることにした。この力があれば、イヤな上司の指示でつまらない仕事をしなくて済む。めざせスローライフ!
ところが彼の能力が及ぼす影響は現代社会を大きく揺るがし、あまりのんびり休めるような生活にはならないのだった……。
チート能力者でも、現代社会の枠組みでのんびり生きていこうと思うと、なかなか難しいのだ。
息の合ったコンビだけれど不思議に恋愛臭のない男女が、真っ向からダンジョンに挑む他の冒険者を尻目にマイペースに検証を積み重ねていく、空想科学冒険小説。モンスターバトルはほとんどないけれど、緩急がついた展開で飽きさせず、スピーディーに物語は二転三転していきます。
『殺戮の魔猫~くはははは、知らんのか! チーズは空気に触れると鮮度がおちる~』 異世界印の転生饅頭
日本人が異世界に猫ケトスとして転生し、怨嗟の果てに魔族と化して500年。敬愛する魔王様は今も眠りにつき、猫はただ玉座で惰眠をむさぼり、気が向けば美味しいご馳走を探して人間の世界を散歩する。しかし、侮ることなかれ。その駄猫ケトスこそ、魔王軍最高幹部の大魔帝。主神すら屠る最強の魔猫である……。
単純に戦闘力や魔力だけを比較するなら神々すら相手にならないのだけれど、むちゃくちゃ手加減しないと勢い余って大陸沈めたり星を砕いたりしかねないのだ。あと、猫の器に引きずられ、気まぐれで悪戯になってしまうのが困りもの。
チートすぎても自重しないといけないという話で、無敵の猫の冒険譚。
『ザ・ホワイトハウス』 アーロン・ソーキン
民主党から大統領選挙に出馬したジェド・バートレットが1999年1月にアメリカ合衆国大統領に就任した。
大統領と大統領を支える首席補佐官らスタッフが、アメリカ内外の現実に起こり得る様々な問題に対処していくのだが……。
チートは無敵じゃない。いくら頭が良く、志が高く、人望があり、信仰の厚い人物が、優秀で理想を持ったスタッフと共に、世界最大の国家において最高の地位に就いたとしても、できないこと、やれないことばかり。中間選挙は勝てないし、銃禁止法案も核実験禁止条約は通らないし、環境問題には手をつけられない。政府を倒そうとする市民すら守らなくてはいけないのが民主国家。「敵も勝つことがあるのが民主主義です」「民主主義はしんどいな」という登場人物の言葉が作品のテーマです。
「有権者がかならずしも正しい判断をするわけではない」から支持率を気にしていては正しい(と思う)政治はできないけれど、無視していては足下をすくわれる。これこそが憲法解釈としても倫理的にも正しいはずの法案が通せないけれど、反対派の論理も絶対に間違っているとはいえない。1つの情報についての分析は一致しているのに、結論がまったく逆になってしまう……。(現実に妥協しながらも)権力者が夢や理想を追いかけていく物語です。
『閣下が退却を命じぬ限り』 剣崎月
今年38歳のリヒャルト・フォン・リリエンタール閣下は、北の小国ロスカネフ王国の参謀長なのだが、同時にアディフィン王国のフォン・アンディルファードであり、アブスブルゴル帝国のフォン・マリエンブルクでもあり、神聖帝国皇帝の異母弟にしてバイエラント大公国の大公アントン・フォン・アディフィンでもあり、グリュンヴァルター公王国の公王でもあり、レオミュール侯国侯王、ブリタニアス君主国の皇太子にしてクリフォード公爵アンソニー・オブ・ブリタニアスでもあり、今は滅びたルース帝国の皇太子でもあった。付け加えるなら、ド・メキシアルトカーンやらデ・シシリアーナなんていうのもある。ぶっちゃけ王族同士の婚姻が進んで血統が入り組んだ大陸のほぼすべての国で王位継承の上位にあるか王そのもので、はたまた次に教皇にしたい最有力候補である異端審問官の元締めシシリアーナ枢機卿でもあり、軍人としてはその知略で「1人で1万キロの戦線を支えている」とも評され、金保有率世界一にして世界の1/8の大地を個人所有している世界最大の富豪でもあり、モルゲンロート財閥ですら出入りの御用商人扱いである。
その旧大陸から新大陸まで、政財界から宗教界までその威光の及ばぬ場所はなく、40万くらいまでの軍なら1人で吹き飛ばせる最後の専制君主こと閣下が恋をした。王国陸軍少尉にして彼氏いない歴=年齢のイヴ・クローヴィス23歳。長身のタフな職業軍人である彼女相手には、閣下の知謀も権力もまったく役立たずであった……。
チートキャラでも恋愛は別物という話。
(本人は自覚していないけれど)シモ・ヘイヘの狙撃技術と舩坂弘の身体能力を持つ転生者イヴ視点の『閣下が退却を命じぬ限り』は完結し、閣下視点の『Eはここにある』が連載中。『閣下が退却を命じぬ限り』では常に沈着冷静に見えた閣下が、いかに取り乱していたが語られます。あそこの国は彼女を揶揄したから滅ぼしちゃおうかとか、婚姻の承諾を得るために教皇に圧力かけちゃおうとか、彼女には城を贈ろうか国を贈ろうかとか、閣下の無茶ぶりに側近達が右往左往するさまが冷徹な国際政治の裏側とともに語られます。
『現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢をするのはちょっと大変』 二日市とふろう
逆行転生者である桂華院瑠奈は日本を救いたい。そのために前世知識を活かして不良債権処理に手を出し、金融機関再編を呑み、企業合併を繰り返している。必要とあればアメリカ西海岸に飛び、大統領選さなかの共和党候補のパーティーにも顔を出すし、東京都知事選にも介入する。
問題は周囲が彼女を誰かの操り人形としか見ていないことだ。それが新たな火種となる。ロマノフ系の血が入っている瑠奈の資金源はロマノフ王朝の隠し財産ではないかとか、樺太に独立国家を建設しようとしているのではないかとか。なにより彼女はまだ小学生だった……。
バブル崩壊後の現代悪役令嬢による日本再生譚。
名家の血筋の美少女は前世知識を持ち、その歌声は万の聴衆を魅了し、ハイテク株で手に入れた財は世界経済を揺り動かし、その身体能力はアクション映画をスタントなしで乗り越えられる。でも、彼女はまだ選挙権もない未成年。それが彼女の誰にもなんともしがたい、最大の弱みだったのです。
『ニートだけどハロワにいったら異世界につれてかれた』 桂かすが
月給25万円+成功報酬で期限は20年間という、ハロワで見つけた謎の求人情報に応募した山野マサルは、気がついたら異世界の地に配属されていた。放っておくと20年以内に破滅を迎えるという世界で、神様のスキル実験のお仕事だったのだ。好きに生きていけば良いと言われ、とりあえずチート気味な能力とアイテムはもらったのだが……。
典型的なチート能力者によるハーレム冒険ものなんだけれど、チート能力は万能ではないのです。
つまりポイントを割り振れば簡単に基礎能力を上げることもできるし、熟練の剣士や魔法使いにもなれる。でも、基礎鍛錬ができていないと簡単に頭打ちになるし、死ぬときはあっさり死んでしまう世界。ウサギ相手に負けるところから始まる冒険譚です。だいたいヒロインが増えるのも、死ぬ寸前のトラブルに巻き込まれたのがきっかけでと、トレードオフがしっかりできているのがポイント。
以上、無敵の力で、他の者の努力をせせら笑いながら独り良い目を見るような話ではない作品を幾つか。