頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

2013年11月大連&旅順(大連外国語大学講演)

2019-04-03 01:46:10 | 旅行

18日
 旅順にある大連外国語大学を訪問。芸術学院の石自東院長は著名な洋画家で、ルーブル美術館にも彼の作品が飾られている。分厚い作品集をいただいた後、本科生ら約400人に90分の講義。最近日本国内では、大人数を前に講演する機会が減っている。まず、小生自身の微博を紹介し、詳しい情報はリンクをご覧ください、と述べる。その日のうちに30人近い学生が小生のフォロワーに加わった。彼らの関心は芸術的要素を含む設計。小生が貢献できるのは自然科学に立脚した景観設計である。
 講義の後半は世界漫遊記のスライドショー。外国語大学なので、新しい外国語を学ぶ際に小生が心がけていることに触れてみた。「これはラオスのヴィェンチャンで見かけたベトナム寺院の山門です。最初の5文字は、Chuc Guoc Gia An Thai、と読めます。意味わかりますか。はい、祝国家安泰です。私が新しい言語を学ぶときに行っている方法は、既知の言語との類似性を探すことです。」
 学内の購買部で無線上網用のSIMカードを購入。これは普通のSIMカードと違い、少し高めだが、番号に有効期限はないようで、次回の訪中時にも料金チャージだけで使えるし、番号が変わらないのがありがたい。3G接続もできる。

An official vehicle of the Dalian University of Foreign Languages (DLUFL).

19日
 2010年に知り合い、2011年に結婚詐欺の日本人に騙されて、こつこつためた5万元を失ったあげく、元の戸籍を回復するのに1年を費やした30代の美女(デパガ)。今回もお土産を持って売り場に立ち寄り、日本へのお土産を700元ほど購入してあげた。2年前はやつれた感じであったが、「新しい彼氏ができました」と嬉しそうだったので安心した。今度は騙されないでほしい。
 ロシア街の入り口にある文林餐館というロシア料理店。2年前に食べたボルシチはイカ臭くてとても食べられたものではなかった。いかに大連名物が海鮮だからといって、イカを入れるのはご法度だ。ロシア名物羊の串焼きも、脂身を串になすりつけたレベルの偽物。今回少しは改善されたかどうか気になって行ってみた。

 エジンバラに留学していたという娘が帰ってきて、店を切り盛りしていた。彼女はロシア語も堪能なようだ。やはり親と違って本場を知ってきただけのことはある。メニューは格段に改善されていた。ザクースカ・ウハ―(刺身とジャガイモのサラダ)などを満喫。100ccのヴォトカのせいで、翌日の講義中、しゃっくりを抑えるのが大変だった。

20日
 大連民族学院で本科1年生を対象に講義。普段の市民向け講座を中国語にしただけでは難しいようだ。相手は90后。うちの娘と同じ年だ。難しい話は30分だけにして、後半30分は世界漫遊のスライドショー。続く30分は予想以上に活発な質疑が展開した。日本の枯山水や茶室に関心を持っている学生もいた。

My lecture at the Dalian Nationalities University.

スローガン的歓迎スタイルは文革時代のままだが、目の前に座っている90后の学生たち数百人は、日本のゆとり世代を少しマシにしたレベルの宅男・宅女の集まりかもしれない。

 民族学院を出発した途端、追突に近い形で後続の車両にぶつけられた。路上に出て、しばし交通整理。工事現場のをまねてみた。10分くらいでパトカー到着。少し遅れて、保険会社のテクニカルスタッフも到着。基本的な処理は日本と似ているが、その場で被害状況の査定を行っていたようだ。

21日
 17時半ころに興工街から星海広場に向かって路面電車に乗ってみた。1元。しかし恐ろしく混んでいて、降りたい場所で降りるのが大変困難だ。通勤に使うにはリスクが大きい。こんなことでは大連は永久に低炭城市にはなれないだろう。地下鉄はいつ開通するのだろう。バスは2元だが、専用路線があり快適だった。

Die Umweltschutze Verkehrsbasis in Dalian.

ゲートの開閉はおばさんが手作業でやっていた。

22日
 再び大連民族学院へ。正門前のレストラン「現代粗糧」が倒産していた。理由は簡単。この1年の間に、中国全土で公費による飲食接待が禁止されたためである。ようやく中国も日本並みの国になったのか。それにしても、いかにこのレストランが大学に依存していたかがよくわかる事例である。
 午後、W老師の車で星海広場から海岸沿いの道路(山道)を経由して老虎灘に向かう。プサンにも似たような景観の場所がある。別荘が延々と立ち並んでいる。坪単価はつくばと同じようなレベルだ。

そして

“A ri rang a ri rang a ra ri yo. A ri rang ko ge ro no mo gan da.”

Coming back to Pyeongyang.
All guests of another room attached Kim family’s badge.

またしてもここへ来てしまった。昨年お世話になった服務員の文秀慶(ムン・スギョン)さんがいて、小生を覚えていてくれた。彼女の中国語にも長足の進歩が見られた。服務員同士は「キム同務(トンム)」「ムン同務」などと呼び合っているのが聞こえた。なるほど。昨年はいた労働党派遣の監視要員らしき人物は見当たらなかったが、となりの部屋のグループは、灰色の人民服のような衣装に、「将軍様と大将同志」のバッチをつけていた。8人の団体。会計のおり、彼らの領収書の写しが見えてしまった。2400元。(300元平均として)彼らの一ヶ月分の収入か。

「間違い探し」ではありません。大連のとあるスナックにて目撃。

これを歌っていたのは小生よりも若いかもしれないオジサン。駐在員風には見えず、短期出張者だろう。演歌調で歌われるヤマトは初めて聞いた。日本国内のカラオケであれば、こういう中途半端な制作は一切ありえない。真面目にMTVつくるか、通信で場違いな映像が出るか。日本国内で中国曲リクエストしても、通信での場違いな映像が流れるところがほとんど(西成のチャイニーズガールズバーしかり)。調子くるってしまう。

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1 コメント

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Unknown (本人)
2019-11-26 01:13:33
最近大連の中心市街地に行くチャンスがない。
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