黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 天気が良かったので一寸漫遊しました。

2017年03月01日 15時41分24秒 | アマチュア無線


       

          

 


  昨日は昼から徳島の一番大きいホームセンターに出掛けた序でに「源 義経」像と四国88箇所の18番札所の「恩山寺」と19番札所の立江寺に立ち寄って来た。義経像と恩山寺とは1Km有るか無いかの近距離で一寸山間に入った所に有った。この寺は我家から15Kmほどか?車で行くと成ると決して遠い距離では無いのだが義経像と同じで縁が無かったのか?訪れるのは今回が初めて、駐車場から50m程歩いて境内に入ると御夫婦と思われる外人の二人と遭遇し向こうから軽く会釈をされて驚いた。

 

 四国に生まれて然も生家は真言宗で有りながら信仰心の無い私に比べて何処の国の方かは解らないが白装束では無かったが金剛杖に思いリュックを背負って徒歩でお四国を廻って居るらしい様子に感心し後姿を見送りながら「どうぞ御無事で・・・・」と念じた。其れにしても独学とは言え2年間近くも英会話の勉強をして居ながら気の効いた挨拶一つも出来なくてガックリポン状態、 矢張り黄昏爺さんの英語力は少しも役に立たなくションボリと成った。


 此の日は19番札所の立江寺にも立ち寄ったが此の寺には子供の頃から訪れる機会は多かった。此の寺は格式が高く四国88箇所札所に4箇所ある関所寺の一つで「阿波の関所寺」と成って居る。子供の頃には信仰心やお寺に対する興味は殆ど無かったが調度今頃の此の時期に行なわれていた星祈祷の最終日の初会式には此の近在では一番大きな市が立ち凄い人出で賑わって居た。私が小さい頃にはお寺の数百メーター手前から市が立ち特に最終日の植木の投売りは有名であった。実家から此のお寺までは車で10分は掛る距離を小学校低学年頃には百円札を握り締め「さて今回は何を買おうか?」(当然に植木等では無い)と胸を躍らせながら歩いて向かった。多分子供の足なので1時間半以上掛ったと思うのだが行きは全く苦に成らなかった様に記憶して居る。


 今から60年も前の話なので子供が買う物と成ると芋飴や幅の有る色粉で染められた一寸毒々しい色をした板飴が中心で現在の様な美味しい物は余り無かったが覗き箱やサーカスで遣って居る様な鉄網で作った大きい球状の中をオートバイに乗ってグルグル廻る曲芸等を見た事を覚えて居る。其の頃は戦後間も無い時代であったので市が立ち並ぶ手前の道路脇には白い服を着た身体の不自由な傷痍軍人の方が何十人も並んで寄付を募っていた。今では考えられ無い様な貧しい時代であった。


 先日にインターネットで此の行事を調べたら今年は2月23日~2月25日で有った様で既に終わって仕舞って居た。此の歳に成ると興味は植木市で屋敷周りに孫の為に「実の成る木」(柿、ミカン、白桃)を植え残そうと考えて居るのだが此処数年は毎年行事が終ってから気付く始末で実現していない。そんな事を彼是と考えて居たら急に立江寺に行って見たくなり急に思い付いて訪れたが残念ながら境内の中では子供時分に繋がる思い出は無かった。確か本堂は焼失して建替えたと聞いて居るし子供の頃は見世物や食べ物が楽しみで行って居たので無理からぬ事で有ろう。しかし立江寺まで車で走りながら7~10歳ぐらいの頃に此の距離を「良くまあ歩けたなぁ~」と感心すると同時に今だと1万円くれると言われても歩くのは御勘弁願いたい物だと思った。


 上段の写真が19番札所の立江寺の写真、下の段の写真が恩山寺や小松市のマップと途中で拾い撮りした椿の花