今日は朝からまずまずの好天、午前中はQSLの印刷分が200枚程、溜まっていたので印刷を始めたらデータ欄の升目が出ず上手く印刷出来ない「パラメーターが何とか?」表示が出て印刷のプレビュー画面が出て来ない。暫く編集画面で彼是遣ったが上手くいかないので思い切って新規の画面に少し編集を加え印刷できる状態には成ったが試し刷りをするとモードの升目の縦線が印刷出来ず上手く行かない。プレビュー画面上では領域内に枠の縦線は有るのだが?編集で枠を小さくしたりしてみたが少し位の値の変更では直らない。「はてな?」暫く考えたら以前も同じ状態に成り印字位置補正で調整した事を思い出し数値を変えては同じカード上に印刷する事により印字位置の変化を確認して この問題は最終的に解決した。
年を取ると同じ様な事を繰り返す事が多いのだが1~2ヶ月前にした事は「遥か恩讐の彼方」状態、前回にも同じ事で失敗しているのに其の事すら思い出すのに暫くの時間を要する。まあ外出する時に「免許証が無い」だの「メガネが無い」等、慌てふためくのは日常茶飯事の事、数日前や数時間前の事を憶えて居ないのだから何ヶ月か前にした事を憶えていないのは「当り前と言えば当り前の話」諦めるしか方法は無い。単純な事で時間を浪費したが午前中にカードは全数刷り終える事が出来た。
昼の食事の時間帯に楽しみにしていた「チャングムの誓い」の再放送も今週の始めに最終回を向かえ終わってしまったので 昼のこの時間帯は手持ち無沙汰な状態、青空が広がって居たので今日は早い段階で散歩に出る事にした。12時30分位に家を出て8Km位を早足で歩くと確りと汗を掻いた。家の近くまで帰ってきた段階で首の背中側に違和感を感じたので家に帰って服を脱ぎ三面鏡で首の後ろ側を見てみると少し赤く成っている。先日帽子を被らず2時間位歩いた時も有ったので日焼けした様子、私に会った人なら「うそ~其の顔で」と言われそうだが意外や意外、顔に似合わず肌が弱いのだ。人相と肌が強い弱いは直接関係無いはずだが勤務していた会社の人や取引先の人達に「肌が弱い」と言ったら前記の「うそ~其の顔で?」と良く言われた。何せ勤務先の先輩が付けた私の仇名は「鬼瓦」で機嫌の悪い時等は「北向きの鬼瓦」と言われた。(魔よけの鬼瓦の中で北向きの鬼瓦が一番人相が悪い)しかし現実は肌の弱い、ひ弱な優しいオッチャンなのだが・・・
子供の時などは この時期から初夏にかけての紫外線の強い日差しを浴びると必ずと言って良い程、高くも無い団子鼻の鼻筋に日焼けに寄る水泡が出来て痒いので弄って見っとも無い鼻をしていた。幸せな事に大人に成って大病もせず入院の経験も無く、健康保険を使う事も殆ど無く 本社の人事の課長が私の事を「鉄人」と呼んでいたが鉄人にも意外な弱点が有ったのである。
昨晩から今日に掛けて全国的に「春の嵐」の様な強風が吹いたようで徳島も例外で無く昨晩は我家の雨戸もカタカタと鳴っていた。関東方面では40m/sの台風並みの強風が吹いた様で有る。阿南では桜の花も日曜日が満開で昨晩の強風で可也葉桜が進んだ。しかし乍、今年の桜は先先週の金曜日頃に花がポツポツ開き始め、先週の前半の三寒四温の冷え込みで開花の足並みが遅れ此処近年には珍しく長い間にゆっくりと開花が進んだ事と途中の強風が無かった為に桜の花を十分に楽しむ事が出来た。今日の散歩の帰り道に近所の桜並木の下を通ったが其々の桜の木々の花弁は4割近くが葉桜状態、道路上は薄いピンクの絨毯状態に成っていた。
一年の中で私が一番季節を感じる「桜のシーズン」もほぼ終わってしまった。次に私が季節を感じるのは「蛍のシーズン」5月の月末から6月の第1週くらいに蛍が我家の庭を飛び始める。其の頃は水田の苗も大きく成り散歩コースの堤防の下辺りはグリーン一色に覆われる。其の時期の水田や那賀川の水面を撫でる薫風を全身に浴びながらの散歩は何とも言えない清清しさをで田舎で生活する者の特権とでも言うべきか?私はこの地で生活する様に成り交通の便や買い物の不便さを感じながらも此れ等のシーズンに成ると此処で生活する幸せを感じることが出来る。
先程、春に成り畑の中の草が蔓延って来たので草刈をしようと畑に入ったら7年位前に実家の仕事場に自生した50cm位だった琵琶の苗木を持ち帰り畑の端に植えたのだが今まで実が実る事は無かったのに今日、何気無く覗いて見たら今年初めて小さな実が付いていた。琵琶の実も初夏の6月頃に食べて居た様に思うのだが明日にでも肥料を買い求めて撒いてみよう。ひょっとしたら今年は琵琶を食べる事が出来るかも知れない非常に楽しみに成って来た。
プチ・アワードに挑戦しだしてSSBモードと同時にCWモードでも追っかけを始めた。MIXでのチェックは常にしていたが先日に偶々、CWモードでソフトを走らせたら299箇所との交信は達成していたので此れは早く切の良い数字にせねばとバンド内を探しJR7KGE/7高橋さんの山形県最上郡戸沢村からの7MHzの信号を捕らえ交信出来て300を達成をする事が出来た。
私がアマチュア無線を始めて現在までに一番後悔している事はCWを若い頃に遣らなかった事、アマチュア無線は高校生の時代に(高校のアマチュア無線活動の華やかし頃)に始め当然クラブ活動で先輩からCWを教えて貰い。一応、符号の打ち方の訓練は受けて在学中に電信級の国試も合格したが運用する事は無かった。何せ電信の符号を2~3分間受信すると直ぐに嫌に成り何時も拒否反応から眠たく成った。在学中の無線好きの友人も殆ど電信は遣らなかったので其の事も関係して居る様に思う。電信級の試験も私の兄がアマチュア無線の受験に行くのに一緒に行っただけでCWでの交信をする為のものでは無かった。
其の後は長年SSBだけの運用で有ったが海外との交信する為に14MHzでの運用は不可欠なので仕方なく上級資格に挑戦、この段階で電信での送受信試験が有り昔を思い出し練習を始めたが送信練習は嫌では無かったが受信練習に成ると直ぐに眠たく成る状態は変わる事は無かった。本質的に私は電信が好きでは無かったので特に和文には苦労したと言うか?其の手前のレベルで足踏みする状態であった。元々、上級資格を取る事が目的で練習していただけで合格しても電信での運用など全く考えて居なかった。其の為、初めての落成検査の時、検査官がTVI調査の為に「どのバンドでも結構ですCWで交信してみて下さい」と言われ困った事が有った。私はCWでの運用は前記の様に考えて居なかったので検査官の前でCWでの交信等、とても出来なくて恥ずかしながら「SSBでも構いませんか?」と顔を赤らめ乍聞いて御許しを願った。検査官は笑って居たが・・・・・CWモードを申請しながら其れが出来ないとは呆れた話、当時の私は電力の測定時にCWモードを使う位にしか考えて居なかったHi 思い出しても顔が赤く成る位の私のアマチュア無線史上の恥部で有る。
其の後もCWの運用をする事は無かったが在る時、良く通っていたハムショップの店長さんが「AVMさんは何でCWを遣らないの?」と聞かれ「Dxとのあの高速の通信スピードは受信出来ない」と言うと「そんなに深く考える事は無いよ 自分のコールサインだけは幾ら高速で打たれても解るだろう。其れさえ解れば599 BK TUで終わり、もっと気楽に構えて遣ってみたら又違った世界が広がるよ!其れから先は本人次第 先ずは始めてみたら」と教えてくれた。此れは目から鱗、少しずつCWによる交信を始め其の頃の1990年頃は偶々大掛かりなマルペロ、ブーべ、ハード島へのDxぺディションが有り私の下手な電信でも交信に成功し味をしめて少しずつ始める様に成った。
ハムショップの店長の一言でCWを運用する様には成ったが私のCWでの運用は切っ掛けと成った店長の言葉の領域で停滞している。退職した頃からSSBとCWの運用比が漸く7:3に成りCWでの総交信数も13000交信位には成ったが其のレベルは何ら向上していない。何時の日か?移動運用先で「ハイ、いらしゃい いらしゃい」と捌く日を夢見ているが実現にできる事は無いだろう。その意味で若い頃にCWを遣らなかった事を現在は一番後悔している。
我家の前の桜並木
今日は朝から暖かい良い天気、桜の花も完全に開いて満開状態、先週から気に成っていた地区の花見会も無事満開の状態で明日決行する事に成った。5年位前までは外に茣蓙を敷いて夜に開催していたが、シーズンに入ると電球のぼんぼりを木々に張渡し集会場からの電気配線や(100m程)タイマーの設定など作業に手間がかかったり、天候の問題や年によっては当日が寒い日が有ったりして夜桜見物どころでは無くなり此処数年は集会所の中で開催する様に成った。趣は「ぼんぼり」の ほの暗さの下で行われる宴会の方があるが、世話役としては自分で如何する事も出来ない自然が相手に成るので大変な事に成る。
今回も例年並に集会所の中で行うので天気と温度は全然心配は無かったが桜の花弁の状態は非常に気に成った。矢張り御世話する以上は万全の体制で行いたいし されど沢山の出席を望むと開催は土曜日か日曜日がベスト、今回は開催曜日と花の状態が最良の巡り合わせと成り、漸く胸を撫で下ろした。
昼から集会所の空気の入替えやトイレと部屋の掃除や、机のレイアウトの準備をして先程に帰宅した。後は明日の朝、桜の枝と菜の花を会場に展示したら準備は保々終了、明日の夕方から宴会が始まる 皆さんが満足してくれれば良いのだが?本当の花見は其の後、家内と何処かに出掛け様と思う。
明見山付近の桜




水際公園の桜



雛の里近くの桜






今日は朝から曇天の天気、家の近くの桜も8分咲き位であろうか?明日か日曜日には満開に成る感じ、土曜~日曜日は花見会の準備などで個人的な花見は出来そうに無いので個人的に今日、14時を回った辺りから近所の桜の名所をはしごして回った。最上段は那賀川の対岸に有る明見山の(我家の真北の対岸)桜と其の下に有る桜の馬場の桜並木を撮った物 2段目は其の近くに有る水際公園付近の桜、最後の段は勝浦郡勝浦町の道の駅「雛の里」の裏手に有る近辺では一番長い桜並木で700m以上有るのでは無いかと思う。川の両岸に有る桜並木を撮った物、私が退職してからは家内と毎年、桜のシーズンに成ると訪れているが今日は家内は仕事なので私一人の桜見物となった。
先日、総合通信局から葉書が届き「再免許の時期ですよ」と案内が来た。そろそろ免許状が切れる時期とは思っていたが自分の免許状は机の上に厚いガラス板を置き其の下に敷き込んでいるが日頃、自局の免許状を繁々と眺める事は殆ど無い。今回は電子申請の仕方を強調した葉書であった為、最近の現状から考えても(コストや合理性を考えると)当然の様に思えるが反面、一抹の寂しさも感じる。
当局の無線局免許状の有効期限を確認すると今年の8月9日で免許切れと成るので、そろそろ再免許申請をしなければと思ったが 其処で自分自身に質問「再免許の申請期間は何時から何時までか?」確か申請が開始できるのは免許状の有効期限切れの1年前からは直ぐに頭の中を過ぎったが終了するのは1ヶ月だったか2ヶ月だったのかハッキリしない。過去アマチュア無線技士の試験は全て受けたので何回も勉強した筈なのに確答出来ない。其処でインターネットの検索画面で「アマチュア無線再免許申請」で検索を懸けると第1番目に「電波利用 電子申請システム」が出て来て渡りに船、其の中に入って行った。再免許申請の画面には申請期間の記述が有り正解は「再免許申請は、免許の有効期間が満了と成る日の1年を越えない前から1ヶ月前までの間」である。同じ意味の事を言い表そうとすれば沢山の言い方が有ると思うが実に簡単明瞭な表現だなと思う。流石法律と感心した。
本題の電子申請に入って行ったが 先ず最初に各申請にはパスワードが必要で其の為の下準備の段階で「必要な環境設定はお済ですか?」の画面に入ると今度は電子申請の準備」と進み、必要な動作環境画面を見るとコンピュータの基本システムには何ら問題は無かったが基本ソフトウェアの部分では最低でもWindows XP Service Pack3以上と書かれている。「ガックン」早くもこの段階で門前払い 私の場合はService Pack2なのだ。確かインターネットEPのバージョン8か?何かのバージョンUP時にも同じショックを受けたが其の時は「喧しい其処までして使用して遣れへんわ!」と嘯いて諦めたが今回は御上を相手に喧嘩しても勝目は無いので仕方が無い、すごすごと引下った。
Service Pack2(本ちゃん物)は何処からか無償で手に入れたが確か3は有償の様だったので買うと手書きの申請の方が安く成るので今回の電子申請に寄る再免許申請は「見合わせる可能性が大」現役時代だとこの様な画面を見ると即、パソコン屋に走ったと思うが今は浪人暮らし「貧乏人は辛い」最初の一抹の寂しさと書いたのは別の意味で書いたのだが最後は別の意味で寂しさを感じる事に成ってしまった。今の心境は大分古いが財津一郎さんのギャグで有る処の「非常に寂しい~」状態、解って貰えるだろうか?
最近まで殆どQRVの無かった下北半島方面の移動運用が複数局によって今日も行われていた。前回の私の「名勝アワード」のパーフェクト完成の最後の場所は青森県の十和田市で有った。其の時は沖縄に移動に出発する直前の5月初旬に聞え漸く完成したが随分苦労をした様に記憶に残っている。矢張り本州北部の この時期の移動運用は このエリヤが一番大変な様子、今回のプチ・アワードには十和田は対象外だが先週前半に十和田湖や奥入瀬が聞え始めた段階で「移動局が今まで入れなかった所からの運用が始まるな」と思ったら連続して4局のQRVが有った。流石に最初の下北郡からの運用時は凄いパイルに成っていたが今日当たりは大きいパイルには成っていない。人より早く交信する為には無線機に張付き長時間の受信体制を継続したが、今、冷静に考えると随分無駄な事をした様に思える。結果論として今回の下北の一部や鹿児島県や沖縄の離島からの運用が遅れた事により先行していたトップ・グループに対し後発のメンバーが可也追着いてパーフェクト賞達成のポイント差は1~2箇所程度に成っている様に思う。
私の場合は沖永良部島の知名町と徳之島の天城町を(正月頃に運用が有った)落としているので残りは北大東村と沖縄の離島の多良間村を合わせた4箇所、其れに対して正月元旦から追っかけをして全て交信済みの局は運用が無かったとされる2箇所のみで有ろう。従って其の差は2箇所だが此れはパーフェクト賞の達成者が出る最後まで追着けない様な気がする。現在まで運用がされて居ない残りの2箇所からも比較的近い段階で運用が有りそうな気がするからで有る。此れだけ注目が集まっている「プチ・アワード」「我こそは」と名乗りを上げる人が有っても不思議で無い。夏に近付くと台風の問題が有るので5月の連休までに何方かが行かれるか?楽しみにしている。
昨日は鹿児島の南の海上に浮かぶ硫黄島(鹿児島郡三島村)とトカラ列島の口之島(鹿児島郡十島村)からの信号が聞えバンド内が賑わったが今朝は両者の信号を私は確認出来なかった。運用は有ったのだろうか?
この両方の島への移動手段は現在は村営のフェリーしか無く しかも其の運行は他のフェリー会社の様に定例化したものでは無く、月毎の運行表が発表されているが十島フェリーは5月の運行表はインターネットで確認できるが三島フェリーに関しては5月の運行表は先日まで確認出来なかった。従って可也前からの移動運用計画を立て様にも私の調べた処では1.5ヶ月先位しか読めない状況で私の実現出来なかった3月の初旬の移動計画時にも大変苦労が有った。三島フェリーと十島フェリーの鹿児島市における埠頭は同じ場所なのだが入出港の曜日が毎週定例化していないので両方の運用を実行すると成ると如何しても1~3日の空き日が出来てしまい中々効率的な運用が出来ない状況に有る。
十島フェリーは夜の23時に鹿児島を出航し翌々日に鹿児島港に帰る便(1泊便)と寄港地で2泊する便と有るので移動運用を1日以上続けようと思えば滞在が5日と成り6日目の19時頃に鹿児島に帰る事と成る。天候不良で海が荒れると1週間以上の足止めをを喰らう可能性も有る様だ。三島フェリーは朝9時30分に鹿児島港を出航し翌日の14時に鹿児島に入港する為、丸1日の運用は出来ない。それ以上と成ると丸2日の滞在と3日めの14時の入港と成る。
今回二人の方が其々の島から運用されたが今日の運用が無かった様なので其々の島で1泊だけの滞在で離島されたのでは無いかと思う。私も彼是と移動計画を考えたが、費用もそうだし運用面でも手堪えの有る場所で有る。何方かチャレンジしてみら・・・・
先月の後半から今月の中旬まで今回運用の有った鹿児島郡十島村と三島村の移動運用を私は計画していた。しかし地域の行事予定の止む得ぬ事情で仕方なく断念し、先日書き込みした「花見」の行事の関係で其れが終了した段階の4月7日~4月11日を三島村の硫黄島と出来れば黒島を運用し4月12日~4月15日を十島村の中之島で運用する計画を進めていたのだが今日、これ等の場所から運用が行われ少し実行が微妙な感じに成って来た。
元々、この2箇所は全町村を完成する場合でも難度Aクラスの難しい所で人口も少なく固定局のQRVが無い上に移動運用と成っても交通の便が悪く、行くにしても費用が嵩む為、鹿児島から距離は比較的近い場所で有りながら移動運用する局が少なかった。
移動運用のパターンは色々有ると思うが私は貧乏症なので運用しに行く以上は沢山の人と交信したいし掛かる費用に見合う実績が出せる場所を中心に選別して来た。これ等の場所は随分前から注目して居たが十分な実績を残す為には自動車の乗り入れは必須条件と成り其の費用は可也嵩む、今回の計画でも概算でフェリー代だけで約12万(鹿児島港から各島間の往復運賃)其れに四国から鹿児島までのルートにもよるが往復で3万を少しきる程度掛かると思われる。結構大変な金額と成る。幾ら貧乏人でも自分自身が楽しむ為の必要な経費は惜しく無いのだが、運用が2番手と成ると自分の期待している実績が残せるか如何か?と言う事、其れとこの2箇所は費用の割には2村の運用に成るが例に挙げると隠岐方面だと三分の一の費用で2町1村が運用出来る。実績中心に考えると随分、対費用効果の悪い運用場所と成る。
勿論、自動車の乗り入れを諦め、設備を送り人間だけ船便で行く方法を取れば各島間の運賃は安く成るが民宿や機材の送料を考えると極端な経費節減とは成らないし何よりも安定な運用(アンテナ設備や運用時間の制約など)が確保出来ない可能性が高くなる。兎に角行って見なくては解らない事ばかり、先ず第一に天候不良によるフェリーが欠航すると3~4日は島に缶詰に成る事は必至、島にはガソリンスタンドも無く、スーパーも無い、食料や水だけを考えても最低10日間位の準備は必要であろう。皆さんが簡単に運用しないと言うか運用出来ない理由はそれらで有ると思う。
其れだけの覚悟で臨むので出来れば最初に万全の体制で運用したかったが今と成っては夢と消えた感、隠岐方面も魅力は有るが此方も既に運用済みの場所で且つ2年前に私は運用した場所、思いは複雑で有る。今回一部の方で移動運用を期待されていた方も居られると思うが現在、計画は白紙に戻った。QRVの無い北大東村や多良間村も考えてインターネットで調べたが自動車の乗り入れが出来ない状態では私の思う運用が不可能で移動運用としては対象外と成る。先ずはゆっくり今後の事を考えて見ようと思う。
今日の午前中に鹿児島県鹿児島郡十島村からの大西さんJA5YR/6の運用が有り09:14JSTに交信出来て「もう今日は此れ以上のNewは無かろう」と無線機の前から離れゆっくりと過ごした。昼からも移動運用の下調べをした後、恒例の散歩に出て天気も良かったので9Km位を2時間を少し割る程度に歩いて帰って来てパソコンを立ち上げるとクラスターにJN1JFO/6今成さんの鹿児島郡三島村移動の文字がクラスターに書き込まれて居るではないか?このブログにも書き込んだが以前に無線でお会いした時に(3月17日)三島村に移動運用する予定が有る事を聞いては居たが この様に早い段階での運用があるとは思わなかった。
午前中の十島村からの大西さんの信号よりは少し弱かったが十分59で入感していたが若干QSBを伴っていた今成さんはフルパワーで無い事をアナウンスしていたが順調に各局をピック・アップして捌いていた。不思議なもので中々QRVの無かった鹿児島県鹿児島郡十島村と同、三島村からの揃い踏みの運用で無事、貴重な2箇所のNewをゲットする事が出来た。
其の後、先程3.5MHzでJN1JFO/6 今成さんの信号を捉え20:57JSTに交信する事が出来たがJA5YR/6 大西さんの3.5MHzのQRVは有ったのだろうか?私がクラスターを見た限りでは書き込みは無い様で有ったが?果して・・・・・
今朝、プチ・アワードが始まって一度もQRVが無く沈黙を守っていた鹿児島県のトカラ列島の一番北に位置する口之島(鹿児島郡十島村)からJA5YR/6(大西さん)の電波が飛び込んで来た。普通なら聞えて来たとの表現だと思うが?今日の場合は私自身が何処からは解らないが過去にQRVの無かった南の離島からの運用が有る事を確信していた。何故なら私自身が地域の行事が無ければ3月の初旬に行く予定が有ったからで有る。全国を移動運用する局なら今回未だQRVの無かった沖縄の多良間村、北大東村、三島村、十島村を見逃すはずが無いからで有る。其の中でも沖縄の2箇所は車の乗り入れが出来ない場所、鹿児島の2箇所はフェリーによる乗り入れが可能な場所なので有るとすれば此処からかな?と思っては居たのだが・・・・
今日は朝からコンディション的には良く無く7MHz帯が全体的にノイズぽい感じで本来安定に聞える7~8エリヤからの信号も強く無くダイヤルをグルグル回して聞いていたが大西さんの7.144Mhz位の運用情報がクラスターに上がり慌てて聞きに上がったが肝心の御本人の信号は入らず、其れまで7.125MHz位までは聞いていたが まさか此れ程、高い周波数に出るとは考えもしなかった。其の周波数では追っかけ組が色々と噂話をしていたが十島村まで行って電波を止める事は有り得無い事、多分下の周波数での運用の為に下がったと判断、バンド内の状況から出られる周波数は70~100と判断、サーチしながら待受け受信、暫くして大西さんの声が7.093Mhzで聞えたが まさに前記の飛び込んで来たと言う感じ、空かさず呼んだら一発でコールバックが有り59-59で交信出来た。
聞きたい事も有ったのだが沢山の人が呼んでいたので遠慮して暫く聞いたが可也のパイル・アップ状態、コンディションの関係か?其の段階では応答が有ったのは6,5,4エリヤが大半で圧倒的に6エリヤが多かった。2エリヤより北ではKwがポツポツと交信出来ていたが大西さんの信号が強くは入感して居ない様子で交信時に時々チグハグさが有った。途中でベテランの大西さんが状況を察知、リアルな入感状態を聞いていたが相手の方には解らない様子で有った。
私の聞き得た情報では、車の乗り入れが出来ずに民宿に入り部屋から運用している様子で10mHのグラスポールにワイヤーアンテナを張っている様子、夜は3.5MHzも運用するが隣にも宿泊者が居るので遅い運用は出来るか如何か解らないとアナウンスしていた。私の調べた情報では私が計画した時点では車の乗り入れが可能だったのだが?只、離島の学校関係の先生が入替わるので3月の後半は車の予約が受付けられないと注意書きが有ったので其れにバッテリングしたのかも知れない。この航路は週に2回程度しか便が無いので早ければ24日に鹿児島に入港の船で帰るか?(とすれば明日の午後出航の為運用時間は1日半の運用と成る)次の便だと鹿児島発25日に出航し27日に鹿児島に帰る便しか無いので長期は考え難いので夕方のパスで交信を完了する必要が有る様に思う。各局の御健闘を
最近の7MHz帯のコンディションは早朝は良いが10時頃から7~8エリヤ方面の信号が落ち始め正午を挟んだ1時間前後は可也交信が厳しく成る感じ 其れに今週の初めにはデリンジャー現象が発生して居ると思われる程、通信状態が悪い日が有った。反面夕方のパスは良くなり以前より30分以上国内が開けている時間が長く成っている。21MHz帯も沖縄や北海道とは時々パスが開け始め、4月に入るともっと安定に成ると思うので其れを楽しみにしている。
私が開局した頃は(1967年)3月後半の春休みに入るとEsが発生して7~8エリヤは開ける時間の長さは日々まちまちでは有ったが毎日ガンガン入っていた。当時はA3変調の10W出力ながら可也楽に交信出来ていた。当時は現在の様にインターネットも無く、太陽の活動状況を知る黒点数や、Es発生状況の予知や確認など夢のまた夢で有ったが現在よりも遥かにコンディションは良かった様に思う。其の当時のコンディションの指針はサン・スポット・ナンバーSSN値で判断していた様に思う。学生の身分では21~28Mhz帯のコンディションやDX情報等はCQ誌からしか知る由も無かったが当時はコンディション予想として周波数別による各大陸へのパスが開ける時間の予測表を見て待ち受け受信をしていた様に思う。1970年と1980年のサイクルのピーク時にはSSN値が200を上回る事は珍しい事でなく日常事、300を越す日も結構有った。今はサイクル24の最盛期と言われているが最近SSN値が150を越えた日は私の記憶では数日しか無い。この事一つを取ってみても現在のサイクル24が余り期待出来ない事を物語っている様な気がする。
私は伝説のサイクル19は知らないが其の後の20~現在の24までは体験して来たが現在のサイクルが低迷している割には年間を通して海外の300エンティティ程と交信出来るのは矢張り各局の無線設備のグレードアップが影響している様に思う。サイクル20はマルチ・バンドの3エレ程度が主流、21は5エレクラスの八木、現在は一般の局でも5エレクラスの八木の時代に成っている。Dxぺディションの局でもハイ・バンドはビームアンテナが必須の時代、其れと通信機もアマチュア局が100万円のプロ顔負けの通信機器を使用するのだから此れは当然なのかも知れない。
私が昨年読んだ電波伝搬に関する本に太陽の活動期状況の通常サイクルの周期(11~12年)とは別に100年に渡る大きい周期が有るらしい事が書いて有った。現在まで観測された周期ではサイクル19が過去最高で其のサイクルから見た現在は約50年目位に位置する学説が正しければ周期で見るならば現在は最低の状態と考えられる。此れから徐々に上がる方向に向かうとしても私が其の恩恵を受ける事は無い。寿命が無いし次の50年後の周期のピーク時にアマチュア無線の存在さえ危うく思える。その意味では良い時代に生まれ良い時代にアマチュア無線と出会えたと言える。
19日に外出した時は気温も17℃以上有り桜の花も少しほころび始めた状態で有った。20日は天気が崩れ雨が降ったり強い風が吹き荒天で有った。実は先々日から朝夕、桜の開花状況を確認に行って居るが今日の様に冷え込みが(三寒四温)あると開花状況が鈍った様に思える。先日も書いたが常会の年中行事の最初の仕事が恒例の「花見」で今までは出席すれば良かったが今回は世話役を受持ったので、桜の開花状況が気に成る。出席者側からすると休みの日が都合が良いので今週の土曜日の夜か日曜日がベストだが花が十分に開いて居ないのに「花見」も今一だし、来週の日曜日だと桜が散ってしまう可能性が高い。今の現状だと来週の半ばが最適と思うのだが其の場合は当然に夜に成るので出席者が減るのでは等と、彼是考えると気持ちが落ち着かない。家内は仕事に行っているので今回は予定日が決まれば弁当や会場の下準備など大半が家内の出番と成るので準備の為、休みを取る必要が有り(仕事の関係で簡単に自由に取れ無いので)毎日、急かされて嫌に成ってしまう。
先程、毎日の散歩を6Kmほど歩いて来たが途中の桜は日曜日には開くと思うが十分では無い様に思えた。今晩、家内が仕事から帰ったら決行するか如何か決めようと思うが今の花の状態では果して?悩む所である。御世話に成って居る時は「有難う」と簡単に感謝の言葉が出るが実際の御苦労を慮って居なかった様に思う。実際自分が世話役を務めて初めて前任者の御苦労が解った。
先日「この行事が無事終了すれば全国行脚に行くぞ!」と、どさくさ紛れに私が声明を発表したら「良いけど息子が走る吉野川マラソンまでには帰って来ないと許しません」と釘を刺された。吉野川マラソンは4月の21日の予定、前回は大雨の中でも開催された大会、順延は考えられないので至急体制を整えても出掛けられる日数は2週間程度か?
花見の計画は頭が痛いが無線の移動運用計画は楽しい。ただ今回は役を持って居るので行く前に何か有ると中止せざるを得ないが無い事を祈るのみ・・・・・
昨日昼から御墓の掃除に向かう。近くのスーパーでシキビの切枝と花を買い隣町の(私の生まれた羽ノ浦町)墓地へと向かった。駐車場に車を駐車出来るか心配で有ったが意外と車が少なく2台しか居なかった。此処からエンジンの草刈機と水の入ったバケツとシキビ其の他を持って足場の悪い山道を登る事に、墓地は一番高い所に有るので何時も登り詰めると息が切れるのだが最近は散歩を兼ねて歩いているので休む事無く墓地まで行けたが矢張り呼吸は乱れたので暫し休憩を取った。春に入った処なので草も5cm程度か伸びて居なかったが草刈機のエンジンを駆けザックリと草を刈ったが石が多くて上手く刈れない。そして墓石の周りの部分に成ったが釜を忘れたので横着にも其のまま草刈機で作業をしたら回転刃が時々墓の土台に当たる。多分、中の人は「痛いわ 横着するな!」と怒っているに違い無いと思ったが化けて出てくる事も無いだろうと作業を続けた。
私は信心深い方では無いが、子供の頃から墓参りは良く来た方、其れには理由が有り私の子供の頃は御先祖さんの御墓が2箇所に分かれていて子供の足では結構遠かったが其の通り道に町筋が有り帰り道には彼岸は「うどん」をお盆には「かき氷」を食べさせてくれたからである。今の様に贅沢な外食店が無い時代、其れも年に、この時期を外すと有るか無いかの回数しか食堂に入る事等無かった時代で楽しみで有った。私は5人兄弟の一番下で、ばあちゃんと寝ていたので其のチャンスを見逃さず上手い事遣っていたのだろう。余り兄弟全員で行った様な記憶が無い。
この墓地には親爺が作った御先祖の墓が有ったが母親が亡くなった時、兄が父親が山道を登るのは大変だろうと駐車場の横の一等地に立派な御墓を作った。其の為、この墓地が空いた訳だが親爺が生前、「墓地は登記が出来ないが墓石が有り無縁仏に成らない限り末代の使用が出来るが墓石を降ろしてしまうと他人の手に渡るので御前の家も何時は御前が入る墓地も必要だろう新規に購入すると数百万掛かるぞ 如何する?」と聞いて来たので「戴ける物は何でも戴きます。」てな調子で使用権を確保した次第、其の時に親爺に「墓石も有る事だし御墓を作る力が無いので死んだら この墓に入った調度良いと思うわ」と言ったら わしも、その様に思い坊さんに聞いたら「其れはいかん」と言われたらしい、理由はハッキリ言わなかったが どうも仏教的問題で有ろう。「どちらにしても御前が思う様にしたら しかし男が分家して墓が作れん様では情けないなぁ~」と言った後、「其の事により何が有ったとしても其の頃には先に別の世界に行っているので知る由も無いわ」と笑っていた。
しかし其の時、真顔で墓周りや地面をコンクリートで固める事だけはするなと忠告された。 墓の敷地に草木が生えない様な墓地を持つ家は必ず没落する。草木が生えるのが悪いのでは無く生え無い様にすると子孫は只でさえ足遠い墓地に来なく成る。墓地に草が蔓延ると、みっとも無いので如何してもお彼岸や盆に墓掃除に来る様に成る其の事が大切なのだ。特に御前の様な出来そこ無いは心して置けと諭された。まさに仰せの通り、其の後、確実では無いが定期的には行く様に成った。山を降りながらどちらにしても多分この地に眠る事に成るだろうが其の前に私の息子に親爺からの言伝えを教えなければ成らないが其の日も遠い先では無い様な気がした。
上の写真は帰り道、常会長の初仕事の「花見の開催時期」の確認の為、桜の名所の明見山に開花時期の確認の為登ったときに撮ったもの まだ1本の木に数えられる程度の花びらの数、本格的に咲くのはこの週末辺りからの様子、下手な文章ばかりでは面白く無いと思い彩りとして添えた。