きままな旅

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2018/07/03 可睡ゆりの園と遠州三山(可睡斎・油山寺・法多山)を訪ねる。

2018-07-05 | 尾張文化の会

2018/07/03 可睡ゆりの園と遠州三山(可睡斎・油山寺・法多山)を訪ねる。
可睡ゆりの園
 平成30年度 開園期間 5/26(土)~7/8(日)で3万坪に咲き誇る、世界150余品種のゆりが順番に咲き、訪れた時は「黄色」と「白色」のゆりが華麗に咲いていた。
例年に比べて今年は、早く咲き始めたと係員さんは言っていた。
              
可睡斎(かすいさい)曹洞宗
 十一代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は幼い徳川家康公を戦乱から救い出し、かくまいました。後に浜松城主になった徳川家康は報恩のために城へ招いた席にて「居眠り」を始めてしまった。それを見て徳川家康は親愛の心を悟り「和尚、睡る可し」と言い、それ以来、仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。
「睡る可し」とは御前で眠っても無礼ではないとの意で家康公は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と言われたそうです。
 
・東陽軒(可睡斎の始まり)
 
・総門
 
・山門
  
・本堂
 
・輪蔵
 
・瑞龍閣(国文化財)
・大東司(国文化財)
(トイレを利用したが写真はなし)

・庭園で「法華蔵界(はちす)の池」と言い、枯山水形式であり一部滝と水を配している特異な作風である。・秋葉総本殿三尺坊、

・御真殿
医王山油山寺(いおうざんゆさんじ)真言宗智山派
 大宝元年(701)に行基大徳によって開山された。
 天平勝宝元年(749)孝謙天皇が御眼の病気を患った折、本尊である薬師如来に眼病平癒の祈願をし、境内を流れる「るりの滝」に快復祈祷を行って、この滝の霊水で御眼を洗ったところ病気が全快したと云う。このことから孝謙天皇より勅許を受け勅願寺と云われる。

 
・山門(国重文)元掛川城大手門で万治2年(1659)井伊直好が建立、明治6年御維新の際、城主太田備中守が眼病全快のお礼として寄進、移築された。
 
・礼拝門

・宝生殿

・本坊

・山門(天狗谷は赤灯篭の奥)
 
・るりの滝と社の天井龍画
  
・薬師本堂(県文化財)と薬師如来厨子(国重文)金色に輝く宮殿厨子で今川義元公の寄進といい室町時代の名作と云う
 
・三重塔(国重文)桃山の三名塔(長命寺、宝積寺)の一つで建久元年(1190)源頼朝が眼病全快のお礼に建立と云う。
 
・大師堂
法多山尊永寺(はったさん)高野山真言宗
 法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(725)聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(1602)徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。

・入口門

・仁王門(国重文)

・参道

・黒門(市文化財)

・持仏殿
 
・本堂

・本堂横の奉納風鈴

・諸尊堂

・氷室神社

・蛸薬師堂

・不動明王像

・弁財天堂
 
・名物くし団子由来(云云)
以上

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