きままな旅

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2015/09/12 稲置街道(楽田から犬山城下)

2015-09-14 | 尾張文化の会

2015/09/12 稲置街道(楽田から犬山城下)
 今回の行程は、名鉄電車にて楽田駅で下車→楽田追分→野呂塚→観音寺→羽黒駅で乗車(2014/09/08訪問を追加した。羽黒城跡・磨墨塚・興禅寺)犬山駅で下車→木ノ下城跡→犬山城下→高札場跡→余坂口木戸→余坂の奥村邸・一里塚→犬山駅→自宅
◇楽田追分の道標
 木曽街道と稲置街道の分岐点で道標に「右善光寺 左三光神社」の「左三光」は確認できる。
 
・三差路     ・道標
◇御嶽信仰の石像
 
・石像    
◇野呂塚
 羽黒八幡林の戦いの地で、森長可の家臣で戦い破れ主君を逃がすため討ち死にした勇将、野呂助左衛門之碑です。
 
・野呂助左衛門之碑
◇白籐山観音寺
 天平勝宝4年(752)聖武天皇の命で創建。
    
・観音寺の本堂      ・木曽街道(上街道)説明看板
◇田中山立圓寺
 源頼朝に仕えた梶原氏の子孫が開山。
 
・山門
◇羽黒城跡
  建仁元年(1201)頃、梶原景親(景時の孫)が築いたのが始まり。
  
◇妙国山興禅寺
 梶原家の菩提寺で、承安4年(1174)梶原景時により創建された。
 
・山 門
  
・梶原七家臣と名馬(磨墨)の彫刻     ・寺の北側の土塁跡
◇磨墨塚
 宇治川の合戦で有名な名馬「磨墨」の塚
  
・塚             ・磨墨塚史跡公園
◇木ノ下城跡
 文明元年(1469)に築城し、織田広近が最初に入城した、後、天文6年(1537)織田信康が、城を木曽川沿いの地(犬山城)に移したので、この城は廃城となった。
 
・城跡石碑      ・愛宕神社本殿(本丸)
◇青海山薬師寺
 天平6年(734)行基によって設立。
 
・入口     ・本殿
◇了義山徳授寺
 木ノ下城主織田氏の一族が建立といわれている。世に赤門寺と呼び語られる門がある。
 
・山門     
◇高木邸
 
◇高札場跡
  
◇魚屋町
 
◇余坂の木戸跡
 
◇奥村家住宅
 
◇中山道一里塚遺跡前

◇金剛山祥雲寺
 
◇一部山専念寺
   
・山門

 
・本殿
◇日輪山常満寺
   
・山門(犬山城松の丸裏門)
 
・本殿
◇寺町町

以下寺町
○本龍寺
  
・山門
○無量山西蓮寺
 
○圓明寺
 
・山門     ・本殿
○光明山浄誓寺

○龍運山妙海寺
   
○妙立山本光寺
 
・山門     ・本殿
           以上

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2015/09/07 竹生島宝厳寺と青岸寺

2015-09-09 | 尾張文化の会

琵琶湖のパワースポット竹生島宝厳寺と米原宿の名勝長岸寺庭園を訪ねる。
2015/09/07 竹生島宝厳寺と青岸寺
 当日は、小雨の予報を気にしながら出発しました、しかし一粒も降られず自宅まで戻って来られました。
彦根港から竹生島港へ40分の船旅で上陸滞在時間が70分の行程です。
◇竹生島
 島名は「神をいつく島」とか、「つくぶすま」と云われる古名だそうです。
  
・竹生島の港     ・龍神拝所のかわら投げ
◇宝厳寺(ほうごんじ)
724年に行基が開いた寺で、本尊は弁財天と千手観音です。
そして、西国三十三所観音霊場である。 
   
・宝厳寺の入口階段       ・宝厳寺五重石塔(重文) 全国で7基の中の1基
 
・本堂(弁財天堂)    
・三重塔(江戸初期に落雷で焼失、2000年に再建)と、「もちの木」(樹齢400年)都久夫須麻神社移築の際に片桐且元(当寺の普請奉行)が手植えされた。 

◇唐門(国宝)・観音堂秀吉が建てた大坂城極楽橋の一部で唯一の大坂城遺構です。
<残念、工事中でした。>

・唐門(国宝)
◇渡廊・別名舟廊下(重文)
観音堂と都久夫須麻神社本殿えお結ぶ渡り廊下で秀吉の御座船「日本丸」の部材によって建てられたと云われています。
  
・舟廊下内部     ・側面、屋根は舟のなごり   ・床下は足代を組んだ舞台造り
◇都久夫須麻神社(国宝)(つくぶすまじんじゃ)
 建物は伏見城の遺構と云われ、慶長七年(1602)の豊臣秀頼よる復興の際に、京都から移した建物を入れ込んだ特殊の構造だそうです。
  
・本殿      ・龍神拝所かわら投げ
帰り船より彦根城天守、西之丸三重櫓を観ることが出来た。

・オーミマリン船「kirari」より彦根城を望む。
彦根港よりシャトルバスで彦根駅へ向かう。
JRで彦根駅から米原駅へ
◇湯谷神社(ゆたにじんじゃ)
主祭神は大己貴命(大国主命)
 
・拝殿         ・第一鳥居
◇吸湖山青岸寺(国指定名勝青岸寺庭園)(せいがんじ)
 南北朝延文年間(1356~1361)この地に近江守護職であった佐々木京極導誉によって創建され、江戸の初めに井伊家により再興され禅刹であり、庭園は守三和尚入山と共に築庭されたが、後に井伊家欅御殿に楽々園が築かれるに及んで石が取り出されて消滅した。現在の庭園は楽々園の作者、香取に命じて延宝六年(1675)に完成した。

・本殿の山門
 
・池泉庭園    
 
・三尊石と枯滝石組    ・降り井戸形式の蹲
◇北陸道中山道分岐点道標
<南面>右中山道 はん八 さめかね
<西面>左北陸道 なかはま きのもと

再び米原駅に向かい、家路と向かった。
    以上

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