きままな旅

きままな旅ときままな日記

2017/11/16 東近江市の古刹と近江商人日野町を訪ねる。(石塔寺、正明寺、日野町散策(信楽院))

2017-11-18 | 尾張文化の会

2017/11/16 東近江市の古刹と近江商人日野町を訪ねる。
 東近江市の古刹と近江商人日野町を『尾張文化の会』のメンバー32名と訪れた。(No394)
 今回は春日井IC→八日市IC→石塔寺→食事→正明寺→日野町散策(信楽院)→八日市IC→春日井ICとのコースでした。天気予報で雨の予報が無く一日中曇りと思い出かけました。しかし、伊吹山を越えたころから小雨となり石塔寺の階段の湿りが心配であった。八日市ICを降りたときには道路も乾燥しており楽しい御参りが出来ると感じた。其々のメンバーが其々の観点から古刹、街並みを堪能して帰路に入った。しかし伊吹山近くは激しい雨に見舞われた、メンバー全員の心掛けが自然の賜物で雨雲を過ぎたころダブルの虹が東の空に現れ記憶に残る一日となった。
◆阿育王山(あしょかおうざん)石塔寺(いしどうじ)天台宗
 開基は奈良時代で聖徳太子によると伝えられている。石塔寺境内にある数万基の石塔群の中で、特異な形態をした三重石塔(阿育王塔)国重文がそびえ立つ。奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古・最大と伝わる。
 寺伝によると、釈迦入減(にゅうめつ)後100年、開基は奈良時代で聖徳太子によると伝えられています。石塔寺境内にある数万基の石塔群の中で、特異な形態をした巨大な花崗岩製の三重石塔(国重文)がそびえ立つ。奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古・最大と伝わる。
 釈迦入減(にゅうめつ)後100年、阿育大王(アショーカ王)がインドを治めたとき仏法の興隆(こうりゅう)を願って84,000の塔婆(とうば)を造り、それに仏舎利(ぶっしゃり)を納めて三千世界に撒布しました。
◎石塔寺内の石塔は、日本各地にある中世以前の石塔とは全く異なった様式をもつものであり、朝鮮半島の古代の石造物に類似しているといはれ、百済系の渡来人によって建立されたものであるとの見方が一般的であると云われている。
 また、7世紀の百済貴族で鬼室集斯(きしゅつしゅうし)ら700余名が蒲生に移り住んだ百済系渡来人が母国の様式を残し造立したと云わり、入口には「姉妹都市提携協定書」の碑がある。
  
  石標   山門  本堂
    
  塔に向かう階段(158段)  阿育王塔(三重石塔)

  宝塔 五輪塔が2塔
    
    三重石塔の周りを囲む84,000の塔婆群
◎姉妹都市提携協定書(1992年11月2日)
 大韓民国忠清南道扶俆郡場岩面には、この塔に類似している百済文化の長蝦里三層石塔があり、その史実を学ぶべく、相互間で「阿育王塔をめぐる歴史と文化の交流」が開始された。と記載されていた。
 
  石碑と会場
◆正明寺(しょうみょうじ)黄檗宗 
 開基は奈良時代で聖徳太子によると伝えられている。
 本堂(国重文)は美の淡麗を余す桧皮葺、桃山時代で京都御所の一棟を江戸初期に移築した。
 本尊は奈良時代の木造千手観音及び脇寺不動明王 毘沙門天像(国重文、秘仏) 
 堂内の須弥壇の上には後水尾上皇真筆勅願の額で「正明寺」とある。
参道 山門 本堂 経堂(県文化財) 禅堂 
 
 
  石碑 参道
 
  本堂  禅堂と鐘楼
 
  経堂  開山堂
 
  禅堂内の仏像   禅宗の祖、達磨(だるま)大師
◆信楽院(しんぎょういん)浄土宗
 奈良時代前期、聖武天皇の勅建と伝えられている。この地方を統治していた蒲生家の菩提寺です。
 本堂(県重文)や書院などが建ち、本堂の天井には、日野町出身の著名な高田敬輔(たかだけいほ)作の巨大な竜が荒れ狂うさまを描いた「雲竜(うんりゅう)」を中心に描かれた直径約11mの水墨画がある。

 石標
 
  山門
 
  本堂 天井画「雲竜」
 
  庫裡
◆近江日野商人の町
 近江商人は近江八幡、五個荘、日野町が有り其々の特徴を持っている。
 日野商人・中山兵右衛門家の本宅(国文化財)が歴史民俗資料館として商法を紹介している。
 日野商人の特産品は「椀」や「医薬品」の天秤棒の行商に始まり地方都市に中継の小型店を多数出店し販路を拡大した。代表商品は江戸初期の漆器椀「日野椀」と薬「萬病○○丸」がある。
 近江商人共通の経営理念『三方よし』(「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」)は有名でり、五個荘の石馬寺には近江商人三方よし祖「中村治兵衛」の供養塔がある。
 また、蒲生氏郷(がもう うじさと)が生まれた日野の地は、本能寺の変(1582)のおり、信長の妻子が身を寄せた所あったと云われる。
 
  近江日野商人館(旧山中兵右衛門邸)
 
  庭と奥座敷   奥座敷にて説明
 
 清水町の神屋

  玉受山(鍛治町で作られた火縄銃の試し撃ち場)
 
  若草清水

  通の多くの民家に見物窓「桟敷窓」が有り祭り当日に開かれる

  感応館(観光協会)
  以上

コメント