2016/06/16信州諏訪大社と仏法寺を訪ねる。
『尾張文化の会』のメンバー33名と見学に行って来ました。(No380)
コースは諏訪市に入り仏法紹隆寺→秋宮→春宮→万治の石仏の順番で回り、当日は梅雨の半ばでバスから参拝に行くのも傘が必要か迷う霧雨であった。
◇佛法紹隆寺(ぶっぽうしょうりゅうじ) 真言宗
当山は大同元年(806)坂上田村麻呂が諏訪大明神へ戦勝報告の際に神宮寺と共に開基し、その後弘法大師により神宮寺は真言宗をひろめる寺として草創した。開山当初より諏訪大社社務を務め、また真言宗の修行と学問の道場を務め江戸時代には諏訪高島藩の祈願寺を務めた。
○山門
山門は諏訪大社上社神宮寺の山門を移築(大隈流伊藤儀左衛門作)
入口 山門(旧神宮寺の山門) 参道
○本堂
本尊薬師如来、両脇に日光・月光菩薩
本堂
○佛法寺庭園(市名勝)
桃山時代の技法によるもので、この時代でも数少ない庭園のひとつであり、裏山の山畦を利用した池泉鑑賞式庭園である。特徴は蓬莱三尊石、池は亀石、鶴石が置かれる。また池面は心を表していると云われている。
庭園
○圓教房智映上人
上人は永遠の衆生救済に赴いた弘法大師に深く感銘し即身成仏の現証を期する。
智映堂 本堂裏手に霊窟の入定の地。
○歌碑(四代藩主忠虎公)
四代藩主忠虎公が当山を詠んだ詩
身丹志むや 瑜伽の法水 水鏡(みにしむや ゆがののりみず みずかがみ)
◇普賢堂
本堂は東京都港区高輪より伊藤博文ゆかりの高野山江戸在番所(東京別院)の本堂を移築した。中央に本尊の普賢菩薩騎象像(如法院伝来)左側に大日如来像(蓮池院伝来)右側に弘法大師大使像(如法院伝来)が鎮座している。特徴は普賢堂と本象像は諏訪本宮と向き合って建っている。
普賢堂 堂の彫り物(龍とバク)
○諏訪大明神本地仏(普賢菩薩騎象像)
本騎象像は明治初期、廃仏毀釈により傷を負い、諏訪大社神宮寺普賢堂より遷座した。国内最大級の騎象像で菩薩は信長軍の兵火で焼失したがその後康俊という慶派の仏師の手で造象された。
諏訪大明神本地仏 普賢菩薩騎象像(中央)大日如来像・弘法大師像
◇諏訪大社
諏訪大社は長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社で、信濃國一之宮です。諏訪湖の北側は下社秋宮、下社春宮そして南に上社(本宮と前宮)が有り、この四社を合わせて諏訪神社と総称する。今年はたまたま御柱祭(式年造営御柱大祭)年で7年に一度の申年(H28年申年)と寅年に行われた大祭の年です。
諏訪大社下社は先ず手水舎、鳥居をくぐると青銅製の狛犬、大注連縄が祀られた神楽殿、そして四本の御柱の中央に幣拝殿と並び四本の御柱の中心に御神木が配置されています。
○諏訪大社下社<秋宮>
・幣拝殿(国重文)は立川和四郎富棟の作。
・神楽殿(国重文)大注連縄(代表は出雲大社のしめ縄)
入口鳥居 神楽殿 幣拝殿 秋宮一之御柱(H28年申年の御柱)
○諏訪大社下社<春宮>
・幣拝殿、左右片拝殿(いずれも国重文)
これらは、高島藩の御用大工大隅流の工匠伊藤長左衛門の代表作である。
入口鳥居 神楽殿 幣拝殿 春宮一之御柱(H28年申年の御柱)
◇万治の石仏
伝承では明暦3年(1657)諏訪高島藩第三代藩主諏訪忠晴(ただはる)が、下社春宮に、石の鳥居の寄進の命を出し、石工がこの地にあった大きな石を加工しようと「ノミを入れたら、石からちが流れ出た」この不思議な石に「阿弥陀仏」を刻み石仏を建立した。
万治の石仏
御参りの作法に従い「よろずおさまりますように(3回時計回り)よろずおさまりました」と参加者のほとんどの方々が願いをこめていました。
以上