きままな旅

きままな旅ときままな日記

2016/11/18木曽義仲と巴御前ロマンの寺コース(蟹江町推進)を散策しました。

2016-11-21 | 尾張文化の会

2016/11/18木曽義仲と巴御前ロマンの寺コース(蟹江町推進)を散策しました。
  JR関西線蟹江駅に9時30分、ウォーキングの仲間5名集合した。本日の目的は龍照院のご本尊である十一面観音立像が18日のご開帳である。
ーーコースーー
JR蟹江駅→善敬寺→山田酒造→信長街道→須成神社→龍照院→佐野七五三之助墓所→蟹江川沿い→御葭橋(みよしばし)→宝蓮寺→観音寺→地蔵寺→蟹江城址→歴史民俗資料館→JR蟹江駅
✿伝信長街道
 この道はかつて若き織田信長(19歳ころ)が、清洲攻めの時に通った道だと伝えら、善敬寺から七宝町徳実を通り伊福・桂、大治町西条を経て、甚目寺・清洲に通じる道で、信長街道と呼ぶようになった。
  
 伝信長街道標示            途中に御嶽神社
✿善敬寺 真宗大谷派
 
   山門     本堂
✿山田酒造
 明治初年(1868)山田与四郎により創業です。
  
 山田酒造 
✿須成神社(すなりじんじゃ)
 本殿は、冨吉建速神社(右側)、祭神は素盞鳴尊。八劔社(左側)祭神は草薙神霊と熱田五神です。
天平5年(733)行基菩薩により蟹江山常楽寺の鎮守として創建、寿永元年(1182)木曾義仲によって修復され、天文17年(1548)織田信長により再建されたといわれています。室町時代の建築で本殿と棟札は国の重要文化財(昭和28年)に指定されました。
 
 冨吉建速神社の石柱     八劔社の石柱
 
 鳥居     拝殿

 八劔社神殿     冨吉建速神社神殿 (パンフレットより)
 
  家紋扉
 
  秀吉(伝専用入口)の家紋扉
✿須成祭(すなりまつり)
 須成祭は冨吉建速神社・八劔社の祭礼です。この祭りは400年あまりの歴史があるといわれ、牛頭天王信仰のもと、疫病退散と五穀豊穣を祈願して行わる。

  須成祭朝祭(重要無形民俗文化財) ガイドブックより
✿龍照院(常楽寺) 蟹江山 真言宗智山派
 奈良時代の天平5年(733)に行基菩薩により草創され、その後、寿永元年(1182)木曾義仲により再興されたと伝えられ、ご本尊の十一面観音立像は国の重要に指定されています。
 天正12年(1584)の蟹江合戦の際には龍七堂伽藍、龍照院、18の坊や寺院があったと伝えられすべて兵火に遭い、ご本尊のみが残った。
 境内には、巴御前ゆかりの大日堂や、秀吉お手植えの大銀杏がある。
 
  山門     本堂と宝物堂
 
 大日如来堂     巴御前寄進の大日如来坐像

 秀吉お手植え大イチョウ(町指定天然記念物)
〇十一面観音立像 重文 高さ1.73m
 優しい感じの観音様で藤原時代末期ですぐれた技法を残し、胎内に墨書の銘が残っていて、愛知県でも珍しい仏像の一つと云われる。

ご開帳十一面観音立像(パンフレットより)
観音様の後ろを飾る「迦陵頻伽」(上半身が人で下半身が鳥の仏教における想像上の生物)
✿佐野七五三之助墓所(さのしめのすけ)
 天保5年(1834)尾張国海東郡須成村で、須成天王社の神職寺西伊豫守家班の嫡子として生まれる。前名を寺西蔵之丞とう。嘉永3年(1850)父伊豫守が55歳で死去した後、尊王攘夷を志し名前を「佐野七五三之助」と改め、故郷須成村を出奔し江戸へ出る。
 江戸では北辰一刀流の剣術を学び、開港地横浜で神奈川奉行に雇われ、運上所(税関)や外国人居留地の警備をしていが、尊王攘夷の機会を得ず、元治元年(1864)31歳の時、伊東甲子太郎らとともに新撰組に入隊し京へ行く。慶応3年(1867)6月、新撰組全員の幕臣取立に反発し新撰組からの離脱を企てるが、願いが叶わず仲間3人とともに松平容保京都守護邸で自刃する。壮絶な最後が後世に伝わる。慶応3年6月14日没享年34歳。武士道を貫いた新撰組隊士として葬儀が行われ、新撰組の墓地である光縁寺に埋葬される。
 佐野七五三之助の辞世句「二張の弓引かまじと 武士(もののふ)の ただ一筋に 思い切るなり」、また、佐野七五三之助の甥が第24代内閣総理大臣加藤高明である。
   (かにえガイドボランティア歴史・文化夢案内人のパンフより)
  
 佐野七五三之助墓標    家族とその他墓標    説明版
✿御葭橋(みよしばし)
 須成祭の巻藁船や車楽船が通る時のみ上にあげるという、珍しい巻上げ橋です。
 
 御葭橋 (ワイヤーのウインチで橋中間を巻き上げる)
✿三明神社(今)
 
  鳥居と石柱     本殿
✿宝蓮寺 真宗大谷派
 
 山門     本殿

 鐘楼と皇帝ダリア
✿観音寺 真言宗智山派
 
  山門     本殿
思い出に出会った、其れは以前、京田辺市の観音寺に国宝十一面観音をお参拝に行った時、説明されたおくりさんがここは長男で蟹江町には三男の寺があると頭に残っていた。住職に訪ねてみたら確かに息子さんであり、話が急に弾み素晴らしい、本当に素晴らしい出会いであった。「感激」「感激」
〇地蔵寺 真言宗
 創建は天文9年(1540)に開かれたのが始まりとされ、蟹江城主渡辺与三郎の祈願所として留林僧都を開基に設立で、名古屋の大須観音の末寺となっていた。
 寺宝である絹本著色文殊菩薩画像と絹本著色千手観音画像は県文化財に指定されているとあったが拝見できなかった。
 
  山門     本殿
✿蟹江城
 永享年間(1429頃)北条時任が城塞を築いたのが初めと言われ、戦国時代には本丸、二の丸、三の丸の三郭があった。天正12年(1584)に起きた蟹江合戦と翌年の大地震で壊滅した。
  
  蟹江城址の石碑     本丸井戸跡     安倍清明塚
  以上

コメント

2016/11/17 晩秋の城下町郡上八幡の文化を訪ねる。

2016-11-13 | 尾張文化の会

2016/11/17 晩秋の城下町郡上八幡の文化を訪ねる。
 『尾張文化の会』の11月の例会でメンバー29名と郡上八幡に行って来ました。(No384)
今回は小牧東IC→郡上八幡IC→城山公園で下車し郡上八幡城へ→(食事)→郡上八幡博覧館→郡上八幡市内を散策→郡上八幡IC→小牧東ICの行程です。
○郡上八幡城
 当城は戦国時代末期の永禄2年(1559)遠藤盛数が砦を築き、寛文7年(1667)、6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認めらた。
 明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取りこわされました。現在の城は、昭和8年(1933)木造4層5階建の天守閣等は郡上市「重文」城跡は「県史跡」です。
 
     天守閣     
 
     天守閣          
○山内一豊の妻「千代」(見性院)
 弘治2年(1556)初代郡上八幡城主遠藤盛数の娘として生まれました。千代が3歳のころ、盛数は病死、やがて千代は、縁あって尾張の山内一豊に嫁ぎました。山内一豊は現在の愛知県一宮市南部から岩倉市で生まれて織田信長、秀吉、家康に仕え、千代の内助の功があり夫が出世したと伝えられている。
 
  千代 出世の里標示旗(天守閣内)         山内一豊と妻(千代)の像
○安養寺 真宗大谷派
 近江源氏佐々木高綱の三男高重が出家して、親鸞上人の弟子となり法名を西信と賜い、康元元年(1256)江州蒲生郡に一宇を建築し安要寺と称した。佐々木高綱は宇治川の合戦で有名であるが、この先陣争いの相手梶原景季の乗馬磨墨は郡上の気良の産と伝えられている。
 壮大な本堂は木造の建造物としては岐阜県下で最大のものといわれ、「郡上御坊」の呼び名をもちます。
 700年以上にも及ぶ長い由緒をかたる寺宝の数々は宝物殿に収められ一般の公開されています。
  
  寺入口の八幡城登口     山門                         本堂
 
   郡上八幡博覧館            郡上おどりのデモンストレーション
 
     長敬寺の石柱                  本堂
○大乗寺
 慶長8年(1608)日了上人により創建されました。
 日了上人はもともと越前の戦国大名で朝倉家一族の「清水三右衛門尉」が、朝倉氏滅亡ご出家して日了と改め、その事蹟を継いだ日奥上人の弟子日能上人が妙覚寺から本尊を賜り大乗寺を開山しました。
 
     大乗寺の山門                      本堂       

     大乗寺の本堂 
○古い町並み
  
     職人町の民家           綺麗な水の流れ        各く家の備え付け消化設備
 
     桜間見屋                        
 
     郡上おどりの像                本町から眺める天守閣
○宗祇水(そうぎすい)名水百選の第一号
 文明三年(1471)蓮歌師の堀尾宗祇と郡上領主の東常縁から古今伝授を受けた、二大歌人がこの泉のほとりで歌を詠み交わしたと伝えられている。
  
    宗祇水入口の路地           宗祇水入口          宗祇水

 宮ヶ瀬橋より上流の新橋(飛び込み橋)
○左京町
 
 郡上八幡楽藝館             レントゲン棟

 野口雨情の歌碑 「今夜逢ひませう 宮ヶ瀬橋で 月の出るころ のほるころ」
○郡上八幡旧庁舎
 昭和11年(1936)築で国の重文で、平成6年まで役場として使われていた。
 
    郡上八幡旧庁舎           庁舎入口の郡上おどり発祥碑
○いがわこみち
 寛文年間(1661-1672)にできた用水で、地元住民により大切に管理、使用されている。
  
 「いがわこみち」の水路で水の透き通る中を丸々と育った鯉が多く泳いでいます。
○新橋(飛び込み橋)

     新橋
 橋から川への飛び込みは郡上八幡のもうひとつの名物である吉田川の橋上からジャンプして飛び込むイベントで、中学生や高校生が度胸試しとして昔からの言い伝えとか。
○旅館(備前屋)
 江戸期藩校「潜竜館」の跡地で、明治中頃創業、日本庭園には天然記念物のモリアオガエルの池がある。
  (中が拝見できないのが残念である)

  備前屋門前(文化財の標示「筆校 潜竜館」がある)

天空の城郡上八幡城(パンフレットより)
  以上

コメント