きままな旅

きままな旅ときままな日記

2019/06/20 大津市の石山寺と園城寺(三井寺)を訪ねた。

2019-06-23 | 尾張文化の会

2019/06/20 大津市の石山寺と園城寺(三井寺)を訪ねた。
 『尾張文化の会』のメンバー43名と今年度最高の参加者なったバス旅行は西国三十三観音である石山寺(第十三番札所)と三井寺(第十四番札所)を訪ねた。
 梅雨の時期で2カ寺とも参道のもみじが緑色で鮮やかで目には優しかった。前日の蒸し暑さはちょっと和らぎた日であった。(No411)
✿大本山石山寺 真言宗
 聖武天皇の勅願により天平勝宝元年(749)奈良東大寺の良辨僧正によって開基された。平安時代には真言宗寺院となり、数多くの貴族や女流文学者が参拝する由緒ある寺院である。
 本尊は日本で唯一という勅封秘仏のである如意輪観音菩薩である。
・東大門(国重文/鎌倉時代)
  
 東大門 

 参道の緑
・本堂(国宝/平安時代)
 ご本尊は勅封秘仏の如意輪観世音菩薩(重要文化財)が祀られている。
 県最古の木造建築物で慶長7 (1602) 年淀殿の寄進により増築された云われる。
  
 本堂
  
 本堂の舞台造り
 ・源氏の間 紫式部
 本堂には相の間があり、紫式部が『源氏物語』を起筆したことにちなむ「源氏の間」と伝える。
 
 紫式部
・御影堂「旧開山堂」(国重文)
 
 御影堂
・多宝塔(国宝)  建久5年(1194年)に源頼朝が寄進したと伝えられる日本最古の多宝塔です。
 ご本尊である大日如来坐像(重文)は快慶作と云う。
  
 多宝塔   大日如来
・硅灰石(けいかいせき)天然記念物は石山寺の寺名の由来と云う。
 硅灰石の連なりの上に多宝塔が有ります。
 
 硅灰石
・くぐり岩
 
 くぐり岩
・毘沙門堂(県文化財)
 兜跋(とばつ)毘沙門天が祀ってある。唐時代の兜跋国(チベット)が敵国に攻められたとき、僧侶達の祈りによって毘沙門天が出現し撃退したと云われる。
 
 毘沙門堂
・観音堂

 観音堂
・宝篋印塔
 四国八十八ヵ所のお砂踏みが塔の周りに敷かれている。
 
 宝篋印塔
・蓮如堂(国重文) ・経蔵(国重文)
 高床の校倉造(あぜくらづくり)の建物です。

 蓮如堂
・経蔵

 経蔵
・安産の腰掛石

腰掛石(座布団の位置)
・紫式部供養塔(重要美術品)
 珍しい三重宝篋印塔

三重宝篋印塔
・芭蕉の句碑(あけぼのはまだ むらさきに ほととぎす)

 芭蕉の句碑
・鐘楼(国重文)
・めかくし石
 平安朝時代目かくししてこの石を抱けば願いが叶うと云う。
 
めかくし石
・芭蕉庵
・月見亭
 近江八景「石山の秋月」のシンボルで瀬田川の清流を間近に見下ろす高台に設けられます。
 後白河天皇はじめ歴代天皇の玉座とされた。
 
 月見亭

 月見亭から観る瀬田川風景
・芭蕉句碑「石山の 石にたばしる あられかな」
 
 芭蕉の句碑
✿園城寺(三井寺)天台寺門宗の総本山
 天智天皇、弘文天皇、天智天皇の勅願により弘文天皇の皇子(大友与多王よたのおおきみ)が建立された。三井寺と呼ばれるには天智天皇、弘文天皇、天智天皇の産湯に用いられた霊泉があり「御井の寺」と呼ばれる。
・仁王門(国重文)
 宝徳4年(1452)の建立
  
 仁王門
・金堂/本堂(国宝)
 天智天皇が信仰した本尊の弥勒仏(秘仏)が安置されている。
 現在の建物は慶長4年(1599)豊臣秀吉の北政所により再建という。

 
 参道  本堂
 
本堂  本堂前の灯籠
・三井の晩鐘(国重文)  慶長7年(1602)の再建。梵鐘は平等院、神護寺と共に日本三銘鐘と云われる。

 晩鐘
・閼伽井屋(国重文)龍の彫刻は左甚五郎作で有名である。
 慶長5年(1600)の建立。天智天皇、弘文天皇、天智天皇の三大天皇が産湯に用いたと伝える。
 伝説で昔この龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れために、困った甚五郎が龍の目に五寸釘を打ち込み静めたと伝える。
  
 閼伽井屋
  
 泡が今も涌く井戸  甚五郎の彫刻
・霊鐘堂
 奈良時代の梵鐘で俵籐太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った。伝説の「弁慶の引き摺り鐘」がある

 引き摺り鐘
・一切経蔵(国重文)
 室町時代の建築で、慶長7年(1602)毛利輝元により国清寺(山口県)より寄進(移築)された。
 回転式八角輪蔵に一切経(高麗版)が納めてある。
  
 一切経蔵  経典
・三重塔(国重文)
 大和国の世尊寺にあった東塔を慶長6年(1601)に移築した。
 
 三重塔
 ・西国十四番札所

 自然石の刻印
・観音堂(県重文)(西国十四番札所)
 本尊は如意輪観音(重文)の秘仏です。境内からは琵琶湖が眺望できる。
 
 観音堂
・観月舞台
 元禄2年(1689)再建
 
 観月舞台

 霊場より眺める琵琶湖
 ・村雲橋
 開山の智証大師との伝説が残る橋である。
 
 村雲橋
・勧学院の石垣

 勧学院の美しい石垣の築地堀
〇参考
 今年の投稿記事の「2019/01/09‗大津駅から近江神宮まで初詣ウォーキングを仲間と散策」を閲覧頂けると幸いです。
・総本山圓満院門跡(天台宗)
三井寺の隣には、天皇家の位牌をお守りする総本山圓満院門跡と勅使門、大津絵を展示している美術館が有り、こじんまりとした寺です。しかし心が落ち着く由緒ある寺でお勧めのスポットです。
   以上

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2019/06/08 愛知県犬山市の東之宮古墳と妙感寺古墳そして瑞泉寺と塔頭を散策しました。

2019-06-10 | 尾張文化の会

2019/06/08 愛知県犬山市の東之宮古墳と妙感寺古墳そして瑞泉寺と塔頭を散策しました。

犬山遊園駅
〇白山平山(標高143m)
 各所から眺める国宝犬山城
  
天守閣とライン大橋の可動堰(取水用)
〇東之宮古墳(ひがしのみやこふん)国史跡
 白山平山(はくさんびら)(標高143m)の山頂にある全長約67mの前方後方墳で、3世紀終わり頃に築かれた、濃尾平野おいて最古級の古墳です。
 現在は竪穴式の内部を見ることはできないが昭和48年(1973)発掘調査で竪穴式石槨と銅鏡(三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょう)や石製品などの副葬品が多数見つかったと云う。
 被葬者は尾張北部地方に君臨した古墳時代の首長邇波縣主(にわのあがたぬし)と考えられている。
 東之宮古墳の前方には「東之宮社」が鎮座しています。
 
案内板  石柱となぜか破損した案内板
 
くびれ部分より後円部の墳丘  前方部側

白龍社
〇東之宮社  祭神は尾治針名根蓮命(おわりはりなねむらじのみこと)です。
  
石標  参道(円山方面)
 
拝殿
〇妙感寺古墳(みょうかんじこふん)県史跡
 犬山市北部の白山平南山麓にある大型前方後円墳で墳丘長は約95mの古墳時代中期の古墳として、昭和50年(1975)県指定文化財です。
 妙感寺古墳は妙感寺の境内に位置しており、周辺や墳丘を含めて周囲が住宅街とお寺の墓地で前方部分を鉄道にて分断され未発掘で出土遺物は確認されていない。
 古墳の前方部上のくびれ部分には最上稲荷が鎮座している。
 
後円墳側  後円墳上の祠(七面大明神)
 
くびれ部に鎮座する最上稲荷

御旅所(前方部)側から望む古墳
 〇妙感寺(みょうかんじ)日蓮宗
 寺の創建は不詳です。
 成瀬家が犬山城の城主になると歴代成瀬家が庇護された。
 
本堂  古墳入口
〇御旅所
 妙感寺古墳の前方後円墳の位置にあり、前方部分を鉄道で分断され飛び地の場所と感じる。
 
石碑  
〇瑞泉寺(ずいせんじ)臨済宗妙心寺派
 京都の妙心寺の末寺で日峰宗舜禅師(にっぽうそうしゅん)によって開創された古刹です。
応永22年(1415)に大伽藍を完成した。
 塔頭は以前には24カ院をかかえてていたが、現在では計6カ寺が残って、寺の周囲には龍濟寺、龍泉院、臥龍寺、輝東寺、臨溪院がる。
 
石標
 
中門
 
本堂  鐘楼
 〇内田御門(山門)
 犬山城は明治4年(1871)の廃藩置県後に廃城となり、払い下げになった門を山門として買い取り現在地に移築したと思われる。この犬山城の内田御門は大手門と共に防衛上重要な門でした。又、当初の内田御門は慶長5年(1600)に廃城になった岐阜県可児市兼山の金山城の大手門とも云われています。
 
瑞泉寺参道  内田御門
 
〇犬山の巨樹クスノキ
 瑞泉寺の参道脇に「犬山の巨樹クスノキ」は推定200年で幹周り4.12m、樹高31mとひと際目立つ古木です。
 
クスノキと後方は内田御門  石標とクスノキ
 
クスノキと鉄道  説明板
 〇臨渓院(りんけいいん)臨済宗
 創建は文明14年(1482)東陽英朝大和尚によって瑞泉寺の塔頭の1つとして開かれたのが始まりとされます。
 永禄8年(1565)織田信長の犬山攻めにより消失しましたが、寛永9年(1632)犬山城の二代目城主成瀬正虎により歴代成瀬家の菩提寺として再建されました。
 寺の東南側の墓地に成瀬家の廟所がある。
 
山門  本堂
 
説明版  本堂の屋根の紋(丸に酢漿草「かたばみ」)
〇成瀬家の廟所
 初代成瀬正成、正虎、正親、正幸、の墓碑
 
入口  墓碑
 
墓碑

廟所から眺める臨渓院の本堂
〇龍泉院(りょうせんいん)臨済宗  創建は応仁2年(1468)と云う。
 天正11年(1583)犬山城主の留守を守って討ち死にした3世中川清蔵主の墓所があると伝える。
 
石標  境内の井戸
 
山門  中川清蔵主の説明版
 
本堂  境内から観る鵜沼の鉄橋
 〇龍済寺(りょうさいじ)臨済宗
 文安3年(1446)雲谷玄祥禅師によって建立された。永禄8(1565)年信長の犬山城攻略の際、兵火に羅り、焼失。9年後の天正元年に再建。
 
山門  本堂
 〇輝東寺(きとうじ)臨済宗
 文明元年(1469)に輝東庵と創建され、寛政2年(1790)に輝東寺とした。
 
山門  本堂
  
絵工道平の墓

説明板
 〇臥龍寺(がりゅうじ)臨済宗
 開創は15世紀中ごろで、現在の臥龍寺は延宝7年(1679)3代住職泰崋義仙によって再建されたものと云う。
 
山門  本堂
      以上

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