きままな旅

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2022/07/13 名古屋市熱田区史跡散策路の高蔵夜寒の里コースを散策した。

2022-07-17 | 尾張文化の会

2022/07/13 名古屋市熱田区史跡散策路の高蔵夜寒の里コースを散策した。
 今回は春日井市の歴史探訪街道ウォーキングの会のメンバー6名とJR熱田駅から「高蔵夜寒の里コース」を散策した。
 コースは熱田神宮⇒春養寺(しゅんようじ)⇒夜寒(よさむ)の里碑⇒高座結御子(たかくらむすびみこ)神社⇒高蔵貝塚・古墳群⇒畑中地蔵⇒一の鳥居跡⇒妙安寺⇒住吉神社⇒金山神社⇒観聴寺(かんちょうじ)⇒金山総合駅

◎熱田神宮
本宮(ほんぐう)のご祭神は熱田大神です。
三種の神器奉斎の神宮です。
 
  本宮
〇ならずの梅
 この梅は享禄の古図(1529年頃)にも描かれている奇木で毎年二月上旬の頃から薄桃色の清らから八重の花が咲き始める、一度も実をつけたことがないので「不実梅」(ならずのうめ)と名付けられ古くから有名である(案内板より)
 
  ならずの梅   案内板
〇清水社(しみずしゃ)
 ご祭神は水をつかさどる神様の罔象女神(みずはのめのかみ)です。
 楊貴妃伝説で、昔々、中国の玄宗皇帝が日本に攻め込むことを心配していた日本の神々は、熱田大神の姿を女神(楊貴妃)に変えることで戦いの矛先をかわしたという伝説です。
 現在ではここの柄杓で3度水をかけると願いが叶い、お肌に良いと言われるパワースポットです。

  清水社
 
  罔象女神(中央の岩)
  
  草薙館
〇菅原社
 
  菅原社

  西門
〇蓬莱伝説と熱田百ヶ寺
 熱田の地は古来より「蓬莱島」と云われ、巨大な亀の背の上に不老不死の神仙の住む島と考えている。昔は波静かな年魚市潟(あゆちがた)に突き出た岬に、熱田の杜が乗っているように見えたのだろう。熱田百カ寺の山号には「亀」が入った寺が多くある。

◎春養寺(しゅんようじ)亀丘山
文政3年(1820)創建。

  山門

  本堂

◎旗屋小学校(武家屋敷門)
明治42年(1909)旗屋小学校創立時からの校門として設置されている。現在でも入学式と卒業式の際にのみ開門されて、学校や地域のシンボルとして大切にされている。

  旗屋小学校(武家屋敷門)

◎夜寒の里碑
その昔閑静で眺望のよい別荘地とされた。古地誌『厚覧草(あつみぐさ)』に夜寒の里と記されている。
碑は歌人磯部芦丸(号千舟)が自宅地内に建てたもの。
「夜寒里古覧 家集
天津風 いとど夜寒の 里人や 月をも霜と 衣うつらむ  元可法師」
(尾張名所図会より)

  夜寒里古覧説明版  石碑(尾張名所夜寒里)

◎高座結御子神社
 高座結御子(たかくらむすびみこ)神社
 熱田神宮の摂社で承和2年(835)の創建。祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)。
 
  山門  石標  説明版

  拝殿
〇井戸のぞき
境内の井戸をのぞくと子どもの虫封じになるという「井戸のぞき」がある。
地域のでは高蔵神社と浸しまれ、子育ての神として知られる。
  
  拝殿  井戸
〇稲荷社(太閤出世稲荷)高座稲荷社
 
  石標  拝殿
〇尾張浜主の歌碑
「翁とて詫びやは居らむ 草も木も崇ゆる時に 出てて舞ひてむ」
 
  歌碑  説明版 

◎高蔵貝塚・古墳群
 貝塚は弥生時代後期のものです。
 
  高蔵公園  古墳の案内板

◎神明社(花ノ木古墳)花町
 
  鳥居  祠
〇杉山不動王

  祠

◎畑中地蔵
昔このあたりは畑一面の地であった。地蔵は三角錘形の自然石(花崗岩)で、「おこり」(熱病)を病む人が祈れば治ると伝えられた。
 
  石標  自然石の地蔵

◎一の鳥居跡(熱田神宮)
熱田神宮の北の入口を示す朱塗りの大鳥居が建っていた。

  石標

◎妙安寺 富春山
寛文九年(1669)織田正直が海部郡富田からこの地に移し再興した。
庭から望む西南の眺望は名古屋三景と云われる。
境内の観音堂は「澤の観音」で尾張名所図会にも記載されている。

  山門
 
  本堂  説明板
〇観音堂と芭蕉の句碑(時雨塚)
「此うみに草鞋すてん笠しくれ」

  観音堂  句碑(時雨塚)
〇六地蔵石幢

  六地蔵石幢
〇道祖金勢大明神

  道祖金勢大明神

◎住吉神社
享保九年(1724)に摂津の住吉の神を勧請し創建した。境内には享和3年(1803)に建立。
 
  石標  参道  拝殿
名古屋で有名な俳人、青山圃暁(ほぎょう)、久村暁台(ぎょうたい)、井上士朗(しろう)の句を一石に刻んだ句碑(三吟塚)がある。
「雪景色を詠んだ句」
・月と雪と 大地のたらぬ 今宵かな    圃暁
・この芦原に 川千鳥なく      暁台
・たのみある 一本は松に あらはれて  士朗

  句碑(三吟塚)

◎金山神社
承和年間(834から848)神宮鍛冶職尾崎彦四郎の祖である善光が、屋敷内に勧請したことに始まりである。
 
  鳥居 石標  拝殿

◎観聴寺(かんちょうじ) 大悲山(だいひざん)
 元和年間(1615から1624)正覚寺十六世空山存宅(くうざんぞんたく)が開基したと云う。本尊は十一面観世音菩薩像です。
室町期の「鋳鉄地蔵菩薩立像」(県文化財)や江戸時代前期の「月待供養碑」(市文化財)がある。
 
  本堂  説明版
〇月待ちは、徹夜で身をつつしみ月の出るのを待つ民間信仰の行事である。
 (月待には、月の十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜などがある。)
 
  月待供養碑  案内板
        以上

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