きままな旅

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2017/04/22 安城市で歴史の散策道を歩く。(堀内公園駅から安祥城/南安城駅)

2017-04-25 | 尾張文化の会

2017/04/22 安城市で歴史の散策道を歩く。(堀内公園駅から安祥城/南安城駅)
 桜井古墳群は、矢作川流域の古墳時代前期を代表する古墳群です。これまでに、碧海台地の東縁部を中心に、多くの古墳が確認されています。
 その中で代表される二子古墳(国史跡)は墳丘長約68mの前方後方墳である。姫小川古墳(国史跡)は墳丘長65m以上の前方後円墳でほぼ同時期に築造されたものと考えられます。これら2つの古墳は、古墳時代前期に安城市を領域とした有力首長の墳墓と考えられる。
✿桜井神社(比蘇山古墳)市指定
    
鳥居     右向きの石標     墳頂の拝殿と神殿 
✿桜井辨財天
   
石標    鳥居     神殿
✿印内薬師(木造薬師如来坐像)県指定
 十二世紀頃(藤原時代末期)の作で、桜井神社の神宮寺に伝えられたもので市内最古の木造彫刻と伝える。
  
本堂     木造薬師如来坐像
✿山伏塚古墳(市指定)
 江戸時代より徳川家の崇敬と庇護を受けた桜井神社の神主として代々世襲してきた野田家の墓碑と、初代山伏を埋葬したと伝承する塚を古墳と考える。
  
✿二子古墳(国指定)
 桜井古墳群の代表的存在で、三世紀後半の古墳と伝える。
    
入口の石標    全体光景    墳頂の石碑(桜井天神社古趾)
✿印内北分1号古墳
   
全体光景     墳頂(墓石)
✿憶念寺(おくねんじ)真宗大谷派 
  
石標     山門     本堂     鐘楼(12本柱)
✿古井戸跡(市指定)
 三河四名井の一つで「倭媛命御井戸跡古井」と言い伝える。
 
石標と井戸
✿愛染古墳
 墳頂には愛染明王を祀る、愛染堂がある。
   
参道     石標     墳頂の明王堂
✿薬師如来堂

お堂
✿東川古墳
 地図表示の情報だけであるため、詳細は不明です。
  
3方向よりの光景
✿願力寺(がんりきじ)真宗大谷派
 
石標     本堂
✿塚越古墳(市指定)
 四世紀末の前方後円墳で、全長46mと大きな古墳です。矢作川流域最古の古墳と伝える。
   
入口     全体     墳頂
〇法蔵寺(ほうぞうじ)浄土宗
  
参道 本堂
✿古井神社
  
石標 参道 拝殿
✿櫻本天神
 
参道 本殿
✿保福寺(ほうふくじ)曹洞宗
 本堂の前に摩尼車(マニくるま)が有り、車を一回まわせば「お経」を1巻読んだと同じ功徳とされる。
   
石標 山門 本堂 摩尼車
✿安祥寺(あんしょうじ)単立
 
✿八幡社
 
✿安祥城址・大乗寺(だいじょうじ)浄土宗
 永享十二年(1440)に足利一族の和田親平が築城した平城で、安城松平氏の居城であった。時はたち永禄三年(1560)の桶狭間の戦い後、永禄五年(1562)に信長と松平元康(家康)との同盟関係が成立すると廃城となった。
      
参道 石標 山門 本堂 
◇中川覚右衛門頌徳碑
 安城村東尾の庄屋をつとめた覚右衛門は、安永八年(1779)飢饉に苦しむ村民のために救米の払下げを独断で行い、責任をひとりでおって自害したと伝える。墓は直ぐ北にある明法寺の境内にある。
 
     頌徳碑
◇本多忠高墓碑
 
墓石
◇中川覚右衛門自刃の碑
 このあたりに郷倉あり、中川覚右衛門自刃したと伝える。
 
大乗寺の東門よ石標     石標
◇善恵坊の碑
 天文十三年(1544)安祥城攻防戦で、ひとり敵中へ討って出て奮戦した安城村の法師善恵坊を供養した碑です。
 
善恵坊の碑
✿安城市歴史博物館
 
✿風呂井
 風呂井は「七つ井」のひとつで。そのむかし、この安城村一帯は海に近く、井戸を掘っても良い水は出ませんでした。しかし、北西の丘陵地に良い水が出るとわかると、周囲にいくつかの井戸が掘られ、いつしか「七つ井」と呼ばれるようになった。

✿明法寺(みょうほうじ)真宗大谷派
  
石標     山門
 
本堂     説明版
✿中川覚右衛門墓碑
 大乗寺には頌徳碑があり郷倉の中で血書を残し、自決した。いつしか「安永の義民」と称されるようになったと伝える。
 
墓石
✿名鉄南安城駅に向途中に知立神社と秋葉神社が有った。
 
知立神社     秋葉神社
     以上

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2017/04/18 安城市で歴史の散策道を歩く。(南桜井駅から堀内公園駅)本證寺

2017-04-23 | 尾張文化の会

2017/04/18 安城市で歴史の散策道を歩く。(南桜井駅から堀内公園駅)
✿三河一向一揆
 永禄6年(1563)から永禄7年(1564)まで半年間行われた一向一揆で、松平元康(家康)の家臣が強引に兵糧米を徴収に端を発し、本願寺派寺院との間の勢力均衡が崩れ、不入権を主張する三河本願寺教団の拠点で三河三ヵ寺(本證寺、上宮寺、勝鬘寺、本宗寺)と領地内に支配の及ばないことを不服とする松平元康(家康)との間に戦いとなった。そして勝敗を決することなく和議が成立した。しかし、その後家康は三ヵ寺に改宗を強要し、三ヵ寺は反対しため、寺は破却された。天正十一年(1583)に石川妙春尼(乳母)の請いで赦免され、20年ぶりに本願寺派寺院の再興が認められた。
✿本證寺(ほんしょうじ)真宗大谷派
 寺伝によると、開祖は建永元年(1206)ごろ、親鸞の教化をうけた慶円(きょうえん)と伝える。
 永禄六年(1563)の三河一向一揆では、三河三ヵ寺の中心として松平元康(家康)軍を相手に戦ったが、約5ヶ月後には敗れ、一時は廃絶した。天正十一年(1583)徳川家康が門徒の禁制をといたため、本證寺も再興され現在のような広大な伽藍に戻った。
 境内地は二重の堀で、全国的にも珍しい城郭伽藍(国史跡)の形態であり現在も内堀と土塁が境内に残り、外堀は数ヵ所に残っている。
 
山門

石標
◇説明板



◇本堂(県文化財)
 一揆から100年後の寛文三年(1663)に再建された。

◇堀から本堂を望む

◇本堂と庫裡間の堀

◇鐘楼(市文化財)
 元禄十六年(1703)に建立された。優れた彫刻も牛久保(豊川市)の宮大工「岡田五左衛門」作と云う。

 8本柱の特徴をもつ
◇裏門(市文化財)
 18世紀前半に建立された、「薬医門」形式と云う。

◇鼓楼(市文化財)
 宝暦十年(1760)の建立で、内堀の隅で石積み上に建つ姿は城郭の隅櫓を思わせ、城の見張櫓を思わせる重層の鼓楼である。

◇経蔵(市文化財)
 文政六年(1823)の建立。

◇庫裡
 文政十三年(1830)に一部を他から移築して再建された。

◇境内の土塁





◇境外の堀

✿蓮泉寺(れんせんじ)真宗大谷派
 小川城主石川正康公の由緒碑に「小川城の一廓に一宇を建立した、康頼は蓮如上人の弟子となり明了と称した。これが蓮泉寺開祖である」と刻印されていた。

石標

本堂
◇小川城主石川正康公之墓所

✿護法有志の墓(殉教石川台嶺師僧俗四十余名之墓所)
 明治四年(1871)三月、神仏分離令にもとづき菊間藩大浜出張所は、寺院の統廃合を実施しようとした。これに反対する真宗の僧侶と信者の農民多数が鷲塚(碧南市)に出向き、撤回を求めて交渉したがまとまらず、役人一人を殺してしまった。蓮泉寺の住職をはじめ、僧侶、農民が処罰された「大浜騒動」の分骨塚です。



✿加美古墳(加美地蔵尊)



✿王塚古墳



✿秋葉神社

✿姫小川古墳「浅間神社」(国指定)
 碧海台地の端に位置する前方後円墳で、現在は後円部の墳丘上に浅間神社の神殿が建っている。時代は五世紀代とみられる。
 
古墳石標        神社石標
 
神社参道   
✿姫塚古墳(市指定)
 墳頂には「姫宮墓」と刻まれた宝筐印塔がある。
 

 
墳頂

✿崖古墳

✿姫地下拡(市指定)
 
✿誓願寺(せいがんじ)真宗大谷派
 境内の周辺に堀や土塁の痕跡が見られる城郭寺院です。

山門

山門前の堀

本堂
◇内藤重清墓所
 
◇真宗墓碑(市指定)


 
自然石の墓標
✿菩提寺(ぼだいじ)浄土宗
 桜井松平氏の菩提寺です。

石標

山門

本堂

弘法大師霊場
✿百塚古墳「八幡社」

✿桜井戸跡(市指定)
 聖徳太子が当地に巡幸の際、お杖にて桜樹の下を掘り給うたところより湧水したと伝える井戸です。

井戸



✿円光寺(えんこうじ)真宗大谷派
 三河一向一揆の時に本證寺と武勇を称えられています。太鼓楼が印象的な城郭寺院です。

入口

本堂

鼓楼閣

鼓楼閣
✿碧海山古墳(市指定)







✿堀内貝塚



✿堀内子供薬師



✿堀内古墳「天神社」(市指定)
 七世紀ごろの円墳で、墳頂に社殿が建てられていることから「天満山古墳」とも云う。

天満古墳の石標

神殿





「天皇」刻印の祠はなぜ?
    以上

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2017/3/31長野市善光寺に参詣してきました。

2017-04-08 | 尾張文化の会

2017/3/31長野市善光寺に参詣してきました。

 今回も友人の誘いにより前回と同様なコースで長野市善光寺に参詣してきました。
前回とは、「2016/07/22長野市の善光寺宿へ青春18切符で善光寺に参詣しました。」で私のブログで書き得なかった所を追加しました。

○善光寺宿 本陣藤屋跡
  
○仁王門
 
○旧如来堂(松屋旅館)
 古くはこの地に善光寺本堂が有ったと伝えている。
  
○世尊院釈迦堂 釈迦涅槃像(国重文)
 
○三門(国重文)
    三門二階より望む
○本堂(国宝)
 

  本堂の裏
○染付花唐草文大燈
本堂の正面に向かって陶器製の大燈籠(常夜燈)が一対あり、他の石製燈篭は大きいものであるが良くある形であった。この陶磁器製の「青色」は美しく映える。
 この染付花唐草文大燈籠は高さ約175cmで基礎の六面で染付け部分を読むと「明治廿七年四月 預り別當 大勸進」「寄附奉納人 愛知縣尾張國東春日井郡 瀬戸町夜燈寄附製造人 加藤杢左衛門」「愛知縣尾張國東春日井郡 明知村陶器卸商 鵜飼源八」と染付けされており瀬戸市の加藤杢左衛門で製作し寄附奉納人は東京都加藤助三郎、春日井市明知町鵜飼「源八」らの名前が染め付けられていた。
生垣の中に有る染付花唐草文大燈

  
 本堂に向かって「右側」と「左側」

  
○松平藩真田家の古塔
 
○徳川家大奥供養塔
 
○高尾燈篭
   
○その他  陶器製燈篭
多治見市の国宝永保寺の本堂にも陶器製の常夜灯で「茶色」が有る。

土岐市の「高山城戦国合戦まつり」のおり会場の隣に慈徳院で本堂の前に燈篭「薄茶」が有った。
 

    以上

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