きままな旅

きままな旅ときままな日記

2023/10/18 名古屋市千種区史跡散策路「古井の里と丸山村めぐり」散策する。

2023-10-29 | 尾張文化の会

2023/10/18 名古屋市千種区史跡散策路 古井の里と丸山村めぐり
✿光正院 (こうしょういん)
 永正16(1519)年の創建。本尊は釈迦如来像。
「尾張志」によれば、永正十年(1513)僧来鳳の創建といわれ、釈迦仏を本尊として安置する。
昔、弁慶が当寺に居住して、手掘りで井戸を掘り、その清水で主君義経の武運を祈願し、大般若経五十卷を書写したと伝える。(市/説明板より)

説明版

北門神門

山門
 
本堂

鐘楼

弘法堂

✿高牟神社 (たかむじんじゃ)
 延喜式(927年)にも記載されている古い神社です。尾張物部氏の武器庫が神社になったと伝える。
 境内には元古井、古井ノ坂といった地名の由来の元となった古井戸がある。

鳥居 石標

東鳥居

西鳥居

拝殿

説明版
 
番塀
 
北野天満宮 高牟龍神社 
〇元古井伝説
 このあたりは「常世の草香島」(とこよのくさかじま)と呼ばれ、あちこちから清泉が湧き出ていたところで、後に井となり、元古井の地名の起こりとなったといわれ、その跡が今も神社の境内に残っている。(市/説明板より)
 
元古井発祥之地


尾張名所図会前五ノ十六  高牟神社

✿善久寺 (ぜんきゅうじ)
 天正19(1591)年の創建で本尊は聖観世音菩薩です。境内に明治の小作争議の指導者小塚鉞助の碑が建っている。

山門

本堂

善久寺秋葉堂

小塚鉞助招魂碑と六地蔵

✿光専寺 (こうせんじ)
 文禄二年(1593)加藤清正の弟兵部少輔祐正が創建した。当時はこの辺りから丸山村にかけて、多くの信徒を持った。

山門

本堂

✿芳珠寺 (ほうしゅうじ)
 本尊は延命地蔵菩薩。南北朝から室町時代の作で秘仏です。尾張六地蔵霊場の第六番札所です。

山門

本堂

延命地蔵菩薩

弘法堂
《》尾張六地蔵霊場《》
1番は長光寺(汗かき地蔵)、2番は清浄寺(矢場地蔵)、3番は地蔵院(湯谷地蔵)
4番は如意寺(せき地蔵)、5番は島田地蔵寺(毛替地蔵)、6番は芳珠寺(延命地蔵)です。

✿今池地蔵
 かつてこの辺りにあった馬池で溺れた人の供養のために、明治の終わり頃に建立された地蔵尊です。
 
地蔵尊

✿吹上八幡社
 安政五年(1857)御器所村で創建され、明治十九年(1886)に現在地に移る。

山門 石標

拝殿

御神木への参道

✿吹上観音(ふきあげかんのん)白龍大神
 石造の千手観音像です。
 名古屋新田の開拓は万治年間(1658~1660)新田頭小塚源兵衛が務めた。

入口  刻字は「小塚氏名古屋新田開墾記念碑」

拝殿

白龍大神

✿法応寺 ほうおうじ
 天正十五年(1589)清洲に創建。清洲越えを経て、現在地に移転する。境内には、芭蕉門下の月空庵露川の「丸屋こそよけれ 四角な冬ごもり」の句碑がある。

山門

本堂

月空庵の碑 刻字は「丸屋こそよけれ 四角な冬ごもり」

✿法蔵寺
 
山門
 
山門の扉

本堂

✿塩付街道・馬頭観音(しおつけかいどう)
 塩付街道は、かつて南区の星崎辺りの浜で作られた塩を、内陸へ運ぶ道として利用されたところから、そう呼ばれた。
 
馬頭観音

✿光明寺 (こうみょうじ)
 名古屋城築城の際に勘定方役人であった、鈴木安太夫重政の墓があり、寛文十一年(1671)没した。重政は、この地から築城のための用材を切り出し、跡地を田畑にしたといわれている。

入口

石標

説明版

本堂

石碑  刻字は「俗名鈴木安太郎夫重政」

✿松林寺 (しょうりんじ)
 元亀二年(1571)の創建。本尊は薬師瑠璃光如来。両側に日光、月光菩薩、他に毘沙門天が祀ってある。

山門

本堂

✿丸山神明社(まるやましんめいしゃ)
 16世紀後半の建立という。入り口左手には、天保五年(1834)「村中安全」と彫られた、区内では数少ない秋葉常夜灯がある。

鳥居 石標

石標 秋葉常夜燈

拝殿

✿一畑山薬師寺名古屋別院(いちはたさんやくしじ)
 本尊は薬師如来であり、現世、未来ともに救われる仏様といわれている。

山門と本堂

境内
以上

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2023/09/28 愛知県東郷町祐福寺、観音寺、富士浅間神社を散策した。

2023-10-09 | 尾張文化の会

2023/09/28 愛知県東郷町神社仏閣を散策した。
コースは観音寺→傍示本城跡→祐福寺→大悟寺→法性寺→富士浅間神社→裕福寺一里塚→赤池城址→日進変電所防空壕です。
✿観音寺(かんのんじ) 
 延喜十七年(917)に慈眼上人によって創建で祐福寺の末寺になった。
本堂は大正八年(1919)の建立,本尊の阿弥陀如来,釈迦如来や弘法大師が祀られている。
 観音堂はⅡ世寿慶上人が勧請し天保四年(1833)に再建された。本尊は寄木造仏像の聖観音菩薩坐像(県文化)で文和二年(1353)の作です。
 
山門(観音寺) 本堂
 
山門(毘沙門天) 宇堂
  
宇堂参拝の天井 お前立

鐘楼

✿傍示本城址(ほうじもとじょう) 
 正中元年(1324)北条正時の家臣加藤安俊によって築城されたと伝える。城は天正二年(1584)の頃まで存在していた。
岩崎城主丹羽氏次の弟丹羽氏重(1569から1584)が城主となる。後、1584年「小牧、長久手の戦い」の際に「岩崎城の戦い」で秀吉方の池田恒興に攻撃を仕掛けて討死にした。
 
石標 石標と傍示本公民館

✿祐福寺(ゆうふくじ) 浄土宗西山禅林寺派
 祐福寺は源頼朝の家臣で下野国の武将だった宇都宮頼綱が,建久二年(1191)に草庵を結んだのが始まりと云う。その後荒廃しますが,加藤空明と小野田阿願が,嘉慶二年(1388)に美濃国から達智上人を招いて再興した。
室町時代には後奈良天皇の勅願寺となり,足利氏の帰依も受けて発展し,その後も織田信長や徳川家康,尾張徳川家などの庇護も受け、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いの前日には,今川義元が寺を訪れ戦いの運命を願ったと云う。
 鐘楼堂を備えた山門(仁王門)は明治二十五年(1892)建築です。
 堂内には平安時代後期作という十一面観世音菩薩立像(町文化)が安置。
 本尊として祀られている阿弥陀三尊来迎図(町文化)が祀られています。
 阿弥陀堂には徳川家康寄進と伝わる阿弥陀如来像が安置されている。
 毘沙門堂には毘沙門天立像(町文化)が祀られている。
 不動堂(護摩堂)には不動明王や秋葉大権現像(町文化)が祀られている。
 仏像で「東郷町重要文化財」は木造 秋葉大権現像、木造 毘沙門天立像、木造 十一面観世音菩薩立像です。

説明版

石標と参道
 
山門(仁王門)  扁額
 
参道階段 本堂

毘沙門天
 
観音堂 観音菩薩

阿弥陀堂
 
今川義元公本陣跡 今川義元関連の宝篋印塔

庫裏

祐福寺総門跡

◇祐福寺勅使門(県文化財)
 大永八年(1528)第九世空識果厳大和尚の時、後奈良天皇より勅願寺たる旨の綸旨(りんじ)を賜わり、このとき勅使左中将経広卿を迎えるため建造されたもので室町時代の都風な建築様式を残しています。
また門と一体になっている祐福寺勅使門の脇門及び筋塀(町重文)は天保十四年(1843)の築造と云う。

説明版
 
勅使門

勅使門境内

◇祐福寺土塀(町重文)
 天保十四年(1843)、第四十八世仁空観識上人は、総門より勅使門に至る参道の両側に土塀を築いて、境内一山の美観を整えました。最北部東側の土塀(長さ27メートル)のみが、築造時の工法のまま現存しています。
 
土塀

尾張名所図会前編九ノ四十一

✿大悟寺(だいごじ) 浄土宗西山禅林寺派
 開基は文明十三年(1481)以降といい,祐福寺の塔頭で昭和十六年(1941)に現在の名前となりました。文政十年(1827)に再建された。
現在は保育園も併設されている。

山門

本堂

✿法性寺(ほうしょうじ) 浄土宗西山禅林寺派
 祐福寺の塔頭として15~16世紀に創建された,昭和十六年(1941)に法性院から法性寺と改称された。
本尊は阿弥陀如来を中央に,観音・勢至菩薩が祀られた小三尊如来です。

石標

本堂

✿富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)
 創建は不詳ですが,祐福寺の奥の院として富士権現が勧請された。
永禄三年(1560)の桶狭間の戦いの際に,その残党によって建物が焼失した。

拝殿

奥宮本殿

✿祐福寺一里塚 県史跡
 一里塚の史跡指定は昭和四十三年(1938)で以前は「松」が植えられていたが、昭和五十三年(1978)夏に松喰虫の被害にあい枯れ死し、平成七年(1995)に「エノキ」が植えられた。

説明版

一里塚(南側)

一里塚(北側)

✿赤池城址
赤池城は天文年間(1532から1555)丹羽氏により築城された。
〇石碑文より
「赤池城 天文年間 丹羽氏ノ築城ニヨル 城主 丹羽帯刀秀信ハ天正元年ニ龍渕寺ヲ創建シテ 同二年ニ没シタ ソノ後 廃城トナリ 土塁ノ址ミ残ッテイタ ・・・ 碑ヲ建テテ後世ニ之ヲ伝エル 昭和五十三年四月 建之 」。
 
石標 碑文

✿日進変電所・防空壕 (市重文)
 この防空壕は名古屋空襲以降の昭和17年(1942)に配電盤を死守する職員の予備要員が避難するために造られた。日進市の文化財です
日進変電所は戦争中、天竜川方面で発電された電力を名古屋周辺の軍需工場へ送電する重要な中継施設として昭和11年(1936)設置された。

説明版
 
防空壕




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2023/09/27 名古屋市昭和区史跡散策路 川名山・般若台コースを訪ねる。

2023-10-07 | 尾張文化の会

2023/09/27 名古屋市昭和区史跡散策路 川名山・般若台コースを訪ねる。
 名古屋市の地下鉄鶴舞線いりなか駅に6名集合し、コースを散策して川名駅まで戻って来るコースです。
 当日は残暑で非常に暑い日であり、道路は起伏の多い環境の散策でした。
 コースは、いりなか駅→香積院→般若臺→南山大学人類学博物館→桑山美術館→仙松院→伊勝八幡宮→宝珠院→川名駅

地下鉄いりなか駅
✿香積院(こうじゃくいん) 味岡山 曹洞宗
 貞享四年(1687)名古屋久屋町の豪商・味岡次郎九郎が一人娘の菩提を弔うために、現在の寺地を寄付したことに始まるお寺で、開山は寂元光照大和尚です。
 寺宝として曹洞宗の開祖・道元禅師の真筆「一葉観音画像」があります。
観音堂には、一葉観音画像を基に仏師・西村公朝が刻んだ「一葉観音像」がお祀りされている。
ふれ愛観音堂には、視覚障害の方が手を触れて拝むことができる「ふれ愛観音」が祀られています。

山門
 
丸門
 
本堂 本堂前の樹齢100年を超える「しだれ桜」

観音堂(一葉観音)扁額
 
ふれ愛観音堂
✿般若臺(はんにゃだい)
 香積院別院。四世住職・雲臥元淳大和尚が、宝暦十二年(1762)禅庵をつくり隠棲したのが始まりです。
 また、『尾張名所図会』に登場する名勝でした。
 
石標 山門

尾張名所図会前編五ノ十九

✿南山大学人類学博物館
 南山大学の正門をくぐると、左手の建物(R棟)の地下に「南山大学人類学博物館」があります。展示内容は、考古学資料、民族誌資料、現代生活史資料と広範囲にわたっています。
  本物の資料に触れる事の出来る博物館は、資料のほとんどが直接手に取って触れることができるとても珍しい展示物でした。
 茶室(也有の席・方寸庵)がある。
方寸庵は俳人・横井也有の「也有の席」と旧名古屋茶道クラブの「方寸庵」を移築したと伝える。

茶室門
   
茶室

扁額「方寸」

《学生食堂で昼食を済ませ、コースに戻ったが道を間違えて桑山美術館へ向かってしまった。》

✿桑山美術館
 知多市出身の実業家・桑山清一が収集した近代の日本画や鎌倉時代から現代に至るまでの茶道具を中心とする所蔵品を展示・保存するため、昭和五十六年(1981)に開館した。
館内には広間、小間、立礼席と3席の茶室が併設されます。
 回遊式の庭園では四季折々の花が見られ、さまざまな形態の灯篭が点在し、散策を楽しむことができます。

入口
 
茶室(青山)  扁額 青山
 
中門と燈籠 中門の円形屋根 
 
腰掛待合 床 

つくばいと雪の朝燈籠 
〇燈籠
 
キリシタン燈籠  
 
柚ノ木燈籠  一休燈籠 
 
雪見燈籠 袖燈籠  

 《前回残りのコースを回る。》

✿仙松院(せんしょういん)鶴林山 浄土宗西山禅林寺派
 ご本尊は約400年前に作られた阿弥陀如来と伝える。
山門は江戸中期の平唐破風の造りと云う。

 
山門  本殿(右)

✿伊勝八幡宮(いかつはちまんぐう)
 古くから伊勝村の氏神様として崇敬される伊勝八幡宮は、熱田神宮とほぼ同じ時代に創建されたと言われています。
主祭神は品陀和気命(ほむだわけのみこと)です。
拝殿に陶製の狛犬がある。瀬戸で焼かれたもので、陶工加藤丈右衛門が奉納したと伝えられている。
 文化財の狛犬は瀬戸で焼かれた陶製で、室町時代のもので底部に応永二十五年(1418)の墨書きがある。て、現在は名古屋市博物館に保管されています。現在は県指定文化財とし名古屋市博物館に保管されています。

参道
 
拝殿 覆殿

西参道

✿伊副神社

石標 拝殿

✿宝珠院(ほうしゅういん) 福聚山 曹洞宗
 寛永年間(1640年頃)に創建された。
本堂には本尊の福聚延命地蔵菩薩のほか庚申像があり、境内には秋葉堂、石仏三十三観音、役行者像、不動明王像などがあります。また、平成21年(2009)に伊勝小学校北門前にあった的場の観音様と弘法様が、境内に祀られました。
 佐久間玄蕃盛政(初代金沢城主)の伊勝城址と云われている。

山門
 
本堂 秋葉堂
 
石仏三十三観音 役行者像、不動明王像

〇観音堂

案内板
 
石柱 観音堂

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