きままな旅

きままな旅ときままな日記

2024/05/15名古屋市瑞穂区史跡散策路 ふるさと歴史の道(亀井水、大喜寺、津賀田神社)

2024-05-20 | 尾張文化の会

2024/05/15名古屋市瑞穂区史跡散策路 ふるさと歴史の道
 散策コースは、浜神明社、東ノ宮神社、藤原師長謫居跡、龍泉寺、長福寺、安楽寺、秋月院、田光八幡社、大喜寺、白竜神社、津賀田神社、天聖寺の順序です。

✿浜神明社(はましんめいしゃ)
 昔はこの辺りを呼続の浜といい渡船場があった。
境内には月待供養碑で市内最古の天正十七年(1589)の刻銘がある。
刻印は良く残って、「天正十七年巳丑五月吉日 敬白十七夜待開眼供養の所 尾州愛知郡分野住人四郎五郎 現世安穏後生善所」です。

鳥居 祠

手水  説明版

月待供養碑

✿東ノ宮神社(ひがしのみやじんじゃ)
  明治元年、明治天皇が旧東海道筋を東京へ行幸された際、八丁畷で収穫作業を見られた。それを記念して建立された明治天皇覧穫之所という碑が境内にある。

入口鳥居  石碑
 
祠 
 
明治天皇覧穫之所碑  明治天皇八町畷御野立所碑
 
熱田神宮御供田奉記念碑  説明版

✿井戸田やくし道標 山崎橋

東海道の山崎橋

山崎橋の北側にある

旧山崎橋の親柱と伝える。

✿藤原師長謫居跡(ふじわらもろながたっきょあと) 曹洞宗
 治承三年(1179)太政大臣藤原師長は、平清盛との闘いによって尾張国井戸田の田嶋へ流された。師長は琵琶の名手で平安時代の七五調四句の邦楽に堪能しており、流刑時に鳴海潟を眺めながら琵琶を弾いて、自らを慰めたところであった。

鳥居  祠

石碑  説明版

✿龍泉寺、亀井水(りょうせんじ、かめいすい) 亀井山 曹洞宗
 行基の開山とも伝えられ、本尊薬師如来は聖徳太子作と伝えられる。
 源頼朝の誕生地であるという説があり、表門脇の亀井水は、頼朝が産湯の水に使ったといわれている。
 境内には昭和58年まで残っていた大黒塚の塚上にあった大黒石又は原始五輪塔という古石が保存されている。

石標

山門  瓦の紋

本堂  説明版

大黒石

亀井水碑

亀井水を覗く  説明版

✿最経寺(さいきょうじ)日蓮宗
 
石標  本堂

✿鎌倉街道

説明版  

名残が残る鎌倉街道

✿✿『尾張名所図会』前編五巻

山﨑橋、亀井泉  津賀田社、龍泉寺

大喜寺  師長公謫居

✿長福寺(ちょうふくじ) 曹洞宗
 創建は奈良朝時代と伝える。本尊は聖観世音菩薩です。
 三島由紀夫像碑が有ります。

山門  本堂

三島由紀夫像碑

✿秋葉山(あきばさん)
 
祠  説明版

✿安楽寺(あんらくじ)、為麿塚(ためまろづか) 浄土真宗 為麿山
 長岡為麿を祀る。
 長岡為麿は元禄期(1688から)熱田祠官といわれ彼が老後職を辞して閑居したのがこの地である。彼が唱えだした彼一流の神道は、民衆の信仰を得て大いに流行したという。
 
本堂  

為麿塚

説明版

✿秋月院(しゅうげついん) 弓頭山 曹洞宗
 慶長三年(1598)熱田の地に創建され昭和十三年(1938)に、この地に移転した。本尊は愛敬薬師瑠璃光如来で弘法大師の作と伝えられている。

山門  山門と本堂

本堂

山門  五七の桐紋

✿田光八幡社(たこうはちまんしゃ)
 創建は延久元年(1069)と伝える。應神天皇,仁徳天皇、神功皇后を祀る。
 境内の中で大きく樹高の「クスノキ」は別宮白竜大神の神体となっており弘法大師手植えと伝えられている。また境内には夫婦円満の木とされる、ムクノキとエノキの「和合の木」もある。他に黒龍様の御神木が有る。
 
入口  石標

参道
 
参道 

拝殿

参道 鳥居   祠

白竜大神

和合の木

和合の木 説明版

黒龍様(御神木)  説明版

✿秋葉社

石標  祠

✿大喜寺(だいきじ) 増益山 真言宗豊山派
 創建は正保元年(1644)と伝えられる。本尊の大日如来は熱田神宮本地仏とされる秘仏。
 境内に安置される地蔵座像石仏は、もと鎌倉街道沿いの寺山地蔵塚にあったと伝えられ扁平な花崗岩の中央に地蔵菩薩の座像を彫り、光背を彫りくぼめてある。
 鎌倉時代の石仏としては市内唯一です。

山門
 
本堂
 
弘法堂

地蔵堂

石佛地蔵尊

山岡鉄舟の碑

✿地蔵寺

山門  境内

✿白竜神社(はくりゅうじんじゃ)
 戦前、この地域一帯は田光ヶ池というかんがい用池でした。
 埋め立てする際、村民の伝説なっていた『池の主』白龍大王と呼ばれる『おろち』の魂を鎮めるために祀ったのが始まりと云う。
 この地域に田光ヶ池があり、埋め立てられ付近にあった天神山も崩された。当時田光ヶ池で水泳をして溺死した者、埋め立てや天神山を崩すときのたたりで出た犠牲者を慰めるために当神社が建立されたと伝えられている。

石標  説明版

鳥居  祠

✿津賀田神社(つかたじんじゃ)
 創建は鎌倉末と伝える。天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、若宮八幡とも井戸田八幡とも称された。
『尾張名所図会』の絵には塚田神社と有り、文章では津賀田社(つかたのやしろ)と記載が有る。

石標

説明版

参道
  
拝殿(改装中)  拝殿(2016年2月)

津賀田稲荷社

✿天聖寺(てんしょうじ) 亀嶽山 曹洞宗
 円通寺十四世活水昇竜禅師の開山と伝える。

山門

本堂  扁額(山号)


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2024/04/26 名古屋市守山区大森寺と尾張旭市良福寺の古刹を散策した。

2024-05-09 | 尾張文化の会

2024/04/26 名古屋市守山区大森寺と尾張旭市良福寺の古刹を散策した。
散策コースは八剣神社、大森寺、良福寺、渋川神社、退養寺、新居の厄除弘法です。
《名古屋市守山区》
✿八剣神社(やつるぎじんじゃ)
 八劔神社は平安遷都前年の延暦十二年(793)この地方を支配していた豪族(山田の連)により 大森北八剣の地に創建されたと伝えられています。 また、宝暦十年(1760)矢田川近くの元郷の地に移されますが、 度重なる洪水などの被害もあり昭和二年(1927)町全体が見渡せる現在の地に遷座されました。
 古くから大森の人々に敬愛されてきた由緒のある神社です。
 主祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
 
石柱  参道
 
拝殿  番塀
  
弁財天  天王社 秋葉社
 
天神社の石柱   祠

✿大森寺(だいしんじ)興旧山
本尊は阿弥陀如来で、山号は「興舊(旧)山」です。
 二代藩主光友は生母歓喜院(かんぎいん)「乾」の方の菩提を弔うために、寛永十四年(1637)に江戸小石川伝通院(でんづういん)内に大森寺の前身となる廟所を建立し、寛文元年(1661)に「乾」の方の出生地である尾張国大森村に廟所を移転し大森寺と寺号を改めて創建されました。
 中門に掲げられた山号は光友公御真筆額と伝える。
 大森寺は「尾州御寺(びしゅうみてら)」の1つとして、江戸時代から尾張徳川家による手厚い庇護を受けました。尾州御寺は六寺で建中寺・相応寺・大森寺・高岳院・性高院、清浄寺で江戸時代には尾張藩主の格式ある寺院でした。
 墓地には乾の方の墓と加藤唐九郎(人間国宝)の碑がある。
 
山門  石標
 
参道  中門
 
説明版  中門の扁額(光友公御真筆額)
 
本堂  鐘楼

尾張名所図会(後編四ノ十二)

墓地入口
 
乾の方の墓  板塔婆

加藤唐九郎の碑
 加藤唐九郎氏は桃山時代の織部、志野、黄瀬戸の復元に成功した人物で、
 加藤唐九郎(翠松園陶芸)記念館は守山区小幡北山に有ります。

◎2024年3月2日から5月7日間、名古屋城の西の丸御蔵宝館で特別展 
「守山の御寺 大森寺の宝物」が開催されました。

✿尾張三大弘法大師像
 第一番は小幡緑地公園内(名古屋市守山区)に有る御花弘法大師、第二番は良福寺(尾張旭市印場元町)の開運大師、第三番は新居の弘法像(尾張旭市新居町)です。
 
御花弘法大師
 
開運大師
 
厄除弘法

《尾張旭市》
✿良福寺(りょうふくじ)萬安山
 良福寺は尾張旭市で最も古く、平安時代の創建と伝える。
 戦国時代末期には土岐氏、織田氏の保護を受けており、天正十年(1582)に織田信雄(信長の次男)が良福寺の寺領を保証した織田信雄書状(市指定文化財)があると伝える。
 その後、太閤検地のとき寺領を没収され、寛永八年(1631)尾張藩主徳川義直の命により政秀寺三世槐山和尚(かいざんおしょう)が中興しました。
 良福寺山門(市指定文化財)は、この折に清州城の裏門の一つを譲り受けたものと伝えられています。

参道
 
本堂  紋
 
庭  燈籠
 
開学発祥之地
明治六年(1873)頃、この地に学校を開いたと伝える。

✿良福寺 山門
 山門は中興の折に、清州城の城門ひとつを譲り受けたとされています。
 昭和五十一年(1976)には門扉などの部分修理が行われ、平成十一年(1999)は地盤及び袖塀を含む山門の全解体修理行われた。
 
山門

柱の修理跡
 
説明版  棟札


 
開運弘法大師
 
石柱(安産子安弘法大師)
 
薬師堂
 
御砂踏み

馬頭観音(渋川神社南側の旧瀬戸街道筋にあった)

✿旧瀬戸街道筋
 県道61号線は現在「瀬戸街道」という通称で親しまれています。古くから名古屋から瀬戸へと続いていました。江戸時代には信州と名古屋の間で馬を使って荷物を運搬に利用され、明治以後は瀬戸からの陶器輸送の馬車が通ったと伝える。
 ところどころに昔の瀬戸街道の道筋が残っています。

説明版(渋川神社前)

✿渋川神社
 渋川神社は尾張旭市内で山田郡総社であり、唯一の延喜五年(905)から編さんされた「延喜式」の神名帳の部分に記載されている神社で「式内社」です。
 天武天皇の悠紀斎田は天皇が即位するときに行われる大嘗祭に献上するお米を作る田んぼのことを言います。

入口の鳥居
 
拝殿  由緒
 
天武天皇斎田跡の石標  説明版
 
連理木  説明版

渋川稲荷社

✿退養寺(たいようじ)安生山
 新居の開拓の祖である水野又太郎良春の菩提寺で開山は良春の弟の報恩和尚と伝えられています。御寺には応安七年(1374)に亡くなった良春の位牌が残り裏山には良春とその一族の供養塔と伝えられる石塔があります。
 
山門

本堂

✿水野又太郎良春の墓
 水野又太郎良春は、南北朝時代に奈良県吉野の金峰山寺の僧兵で、南朝方として戦いを終えて祖先の地である志段味に帰って来て、この地で田畑を開墾し新居村を開いた。
 水野又太郎良春の菩提寺である退養寺の裏山には良春とその一族の墓と伝えられる宝篋印塔と五輪塔があります。

宝篋印塔と五輪塔

説明版

✿新居の厄除弘法
 昭和六年(1931)に瀬戸電気鉄道により新たな観光名所として建立し尾張三大弘法のひとつとなる。

お参り場所
 
厄除弘法  

不動明王

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