きままな旅

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2016/07/22長野市の善光寺宿へ青春18切符で善光寺に参詣しました。

2016-08-11 | 尾張文化の会

  2016/07/22長野市の善光寺宿へ青春18切符で善光寺に参詣しました。
 長野駅を降りて約2Kmの善光寺宿(こうじ屋、西光寺、裁松院、十念寺、本陣跡等)を訪ねた。
 神領駅始発5:44分の松本行きに乗り、松本駅で長野行きに乗り換えて長野駅に着いたのは11:09分であった。
○篠ノ井線姨捨駅
 長野に向かう途中駅に姨捨駅で停車した、ここは線路がスイッチバックになっていて傾斜が急であることが昼間である為よく解った。若いころスキーでこちらに来た時は夜中であり連結の作業で朝方いやいや起きた苦い経験ばかりである、今回は違っていた眼下にがすばらしい千曲市の市街地で、遠くに望めるのは長野市であろうか。
 
   姨捨駅の標示   駅よりの眺め
○こうじ屋
 長野駅を降りて正面を200m進むと末広町交差点に昔風の店「こうじ屋」がある。
 中央通りを真っ直ぐ北へ、約2kmで善光寺山門である。
 糀屋本店
○刈萱山西光寺(かるかやさん)浄土宗(善光寺七福神 寿老人)
 寺伝によると、正治元年(1199)開祖苅萱道心とその御子信照 
坊道念上人(幼名石童丸)のお二人が刻んだ二体の「苅萱親子地蔵尊」を御本尊として安置した。なた、絵解きの寺として「かるかや物語」の「はるばると 尋ねし我が子を前にして 父と名のれぬはかなさよ」と語らいで知られいる。
   
    山門      山門      本堂     苅萱道心と石童丸像
・苅萱塚(鎌倉時代)苅萱上人の墓 石童丸の墓 千里御前の墓
 苅萱塚
・一茶の句碑「花の世は 佛の身さえ親子哉」
 句碑
・信濃最古の芭蕉塚 寛保三年(1743)
 「雪ちるや 穂屋のすすきの刈残し」
 芭蕉塚
○黄梅山裁松院(曹洞宗)
 寺の説明板によると、名主で造り酒屋の菊屋(山嵜家)が戦国時代に建てた観音堂から始まった寺と云う。地元では「嶋の天神さん」と親しまれている。
 
   山門     嶋の天神
・子育地蔵尊
 全身を赤く塗ることでどんなご利益があるのだろうか。
 地蔵尊
○十念寺(浄土宗)
 建久八年(1197)当地に差し掛かるや、周囲に湧き立つ紫雲より一光三尊善光寺如来が影現し、源頼朝に「なむあみだぶつ・・・」と十返のお念仏「お十念」を賜った。奇妙な吉兆により開創され「紫雲山頼朝院(しうんざんらいちょういん)十念寺」と云う。
 
   参道     本堂
・大佛堂
 台座から光背の頂部分に至るまで、約5mの大きさを誇る丈六の阿弥陀仏座像が大佛堂に祀られており、地元の方から「出世大佛」と呼ばれ親しまれてる。
  
   大佛堂     出世大佛
○秋葉神社
・鶴目井戸の跡
 説明版には、当秋葉神社(大権現)に関係ある来光院十念寺はもとより
三尺坊に縁のある菊屋の酒造りの水および町民に喜んで使われた、
菊屋は秋葉神社(大権現)の開基です。と記ざれている。
 
   神殿      鶴目井戸
○往生院(善光寺七福神 弁才天)
 寺伝では、安養山往生院得行寺といい、弘法大師が大同二年(807)に善光寺参詣の折り、この場に宝乗寺を創建したのが始まりと云う。
 
   御影堂     宇賀神大弁才天堂
○本陣跡(善光寺七福神 布袋)藤屋本陣
 布袋
○西宮神社(善光寺七福神 恵比寿)
 
   参道     拝殿
○世尊院(善光寺七福神 毘沙門天)
 本堂
○善光寺
 善光寺は無宗派の寺で「遠くても一度は詣れ善光寺」と語り継がれている、阿弥陀如来と結縁することで、極楽往生が叶うとする善光寺信仰は、善男善女を迎えてきた。
 『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552)百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像。この仏像は、本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座し、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けらたと云う。
   
   仁王門     山門(三門)     本堂     鐘楼
・史跡善光寺参道(敷石)
 宝永四年(1707)本堂がこの地に移転が後の正徳3年(1714)に完成した。
 西長野郷路山産の安山岩製で総数777枚の長方形の石が規則正しく敷かれている。しかし現在では約7千枚が敷設されていると云う。
 
   善光寺の入口     敷石
・駒返橋 
 建久八年(1197)源頼朝が善光寺に参詣した折、馬の蹄が石橋の穴に挟まってしまい、ここから奥は徒歩で参詣した伝説の地と云う。
 
 駒返橋
・徳川家大奥供養塔
 (三代家光の正室本理院、乳母春日局、家光の次男綱重の正室紅玉院など、大奥関係の供養塔)
 大奥供養塔
○安養山極楽院西方寺
 寺伝では、開山は正治元年
 (1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れたときに、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。
また、弘法大師が大同二年(807)に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。
 
   山門     本堂
○大国主神社(善光寺七福神 大黒天)
 祭神は大国主大神
 
   拝殿     大黒天
        以上

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