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きままな旅

きままな旅ときままな日記

2014年 大津市の歴史観光きままな旅(建部大社、義仲寺、西教寺、富川磨崖石仏)

2014-10-28 | 尾張文化の会

2014/10/24日と26日で大津市の観光歴史探訪
2014/10/24
建部大社
この大社は、日本武尊・倭武命をご祭神として祀る由緒ある神社です。

・拝殿  門
昭和20年に日本で初の千円紙幣に日本武尊と建部大社が描かれています。通用期間短かった為、幻の紙幣とされています。

・紙幣
今井兼平の墓
 
・説明版  墓
◆膳所城跡
 
・門  石標
膳所神社
 
・鳥居
 
・旧膳所城二の丸  ・旧膳所城門
膳所藩遵義堂(膳所高校内)

・石標
藩歴代墓地(縁心寺)

・墓所
義仲寺
   朝日将軍木曽義仲公の御墓地である。又芭蕉翁御墓地です。
  
・寺の入口  ・義仲公の墓
 
・巴塚 ・翁堂

・芭蕉の墓 ・山吹塚
弘文天皇陵(長等山前稜)

・陵入口  
坂本城址
                          ・ 石標    ・明智光秀の像
日吉大社

・山王鳥居(明神鳥居の上部に屋根(破風)が乗った形)  門
・西本宮楼門

・西本宮
西教寺
   聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。
又、明智光秀一族の菩提寺でもある。

・山門 ・旧坂本城門の移築

・石標 明智家一族の菩提寺

・大師殿の門 ・大師殿

・大師殿の門 ・大師殿の門より琵琶湖を望む

・本堂  ・明智光秀一族の墓

・客殿庭園 ・穴太衆庭園
2014/10/26
国分寺
 
・本堂 ・巴御前供養塔
 幻住庵(災害復旧中)

・入口  石標
富川磨崖石仏
 国道入口に「岩屋耳不動尊」の石標が有る。耳の病に霊験があるち云われ「耳だれ不動」と呼ばれ信仰を集めている。
 時代は応安二年(1369)の刻銘が岩壁に有る。

 
・中尊阿弥陀如来坐像

・両脇の菩薩立像
 ここは大津市大石富川町で入口のには大石内蔵助良雄の先祖の地で大石家の菩提寺である浄土寺は大石家屋敷跡と伝える。
岩間山正法寺◇岩間寺

・岩間寺 本堂
 
・本堂の横にある芭蕉の句    ・俳句に詠まれた池

       以上

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2014/10/16 橿原神宮 壷阪寺 高松塚古墳

2014-10-20 | 尾張文化の会

2014/10/16 橿原神宮 壷阪寺 高松塚古墳へ『尾張文化の会』のメンバー39名と見学に行って来ました。 (361)
◇橿原神宮
  祭神は神武天皇と皇后で第一代の天皇の位になられた天皇で、天孫(天照大神の孫)・ 瓊瓊杵尊(ににぎの みこと)より4代目に当たる天皇におつきなられました。
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参道           内陣殿・幣殿(男千木)の後ろが御本殿
◇壷阪寺
 本尊は十一面千手千目観音菩薩で眼病に霊験がある。
礼堂、三重搭は重文で他、多宝塔、八角堂、灌頂堂は歴史がある建物です。
また、お里・沢市の夫婦愛を歌った人形浄瑠璃『壷阪霊験記』の舞台として有名でお里は盲目の沢市の開眼を3年もの間欠かさず、観音様に祈り、奇跡が起こり沢市の目が開眼した。
 先代住職のインドでの奉仕活動の尽力対する返礼として贈られた『天竺渡来大観音像』は、高さ約20mの大理石造りの大きさです。又、天竺渡来仏伝図、天竺渡来、大石堂等 インド渡来の物が多く有りました。
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 三重塔と遠くに大観音石像          大釈迦如来石像
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 三重塔(重文)             多宝塔
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仏伝図レリーフ                 お里・沢市の像
◇高松塚古墳の壁画館
 藤原京期(694から710年)飛鳥時代に築造の古墳である。古墳は鎌倉時代頃に石室の南壁から盗掘したあとが有り、石室にはかの有名な壁画で女子群像、男子群像そして天上には北斗七星の星縮図、四方四神の『東ー青龍』西ー白虎』『北ー玄武』と 盗掘で消えた『南ー朱雀』の可能性が高い。又、この『石室』は定かではないが天武天皇(大海人皇子)の忍壁皇子が有力視されています。
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     高松塚古墳      
◇北側の近くに天武・持統天皇陵が有ました。
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                 以上

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2014年 飛騨の千光寺、安国寺を訪ねた。

2014-10-10 | 尾張文化の会

2014/10/04 飛騨地区の千光寺、安国寺に友達と見学してきました。 
〇千光寺
 千光寺は、約1,200年前に弘法大師の10大弟子の一人真如親王によって建立されましたが、永禄7年の武田軍の飛騨攻めの時焼け落ち、後の飛騨国主となった高山城主金森公が再建したのが現在の堂宇であり、高野山真言宗の修禅観法の道場として山岳仏教の古風を伝え、さらに最近は「円空仏の寺」としても、その名は広く知られています。 
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山門
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 本堂
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 開山宿儺堂
〇安国寺
 飛騨安国寺の縁起は、室町幕府を築いた足利尊氏公、直義公は、京都天竜寺の夢窓疎石の薦めで後醍醐天皇と元冠以来 幾多の戦乱に露と消えた兵達の霊を弔う為、一国一寺一塔の大願を発し、六十六国二島に安国寺が設立された。
  飛騨の安国寺はその一つとして貞和三年(1347)少林寺を母胎として創設された。当時は七堂伽藍と九ケ寺の塔頭を備え、繁栄していたが、天文・永禄の頃、飛騨戦乱のため兵火にかかり、そのほとんどを焼失した。その後飛騨平定され、寛文の頃、南叟和尚の尽力で再建され今日に至っている。
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 Img_4018    山門         本堂
  日本最古の輪蔵を備える安国寺経蔵です。
 安国寺経蔵(国宝)は屋根の反りが美しくこけら葺きの入母屋造。外観は屋根が二重であるように見えるものの四本の柱から成る、一間四方の建物となっている。又、入口ドア上には宝珠の掘りが見られた。
  経蔵の内部に設置されている八角輪蔵は、経典を納める為の書架であり、床から屋根まで通された心柱を中心に、回転させられるようになっている。これは輪蔵を一回転させる事で、その中に納めたられた経典を全て読んだのと同等の功徳が得られるとされるものだ。安国寺の輪蔵は殊の外規模が大きく、色鮮やかな彩色が施され、上部には精巧な透かし欄間も見られる。
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 国宝 安国寺経蔵(1963年指定)    入口扉の上に宝珠の彫刻が目立ちます。 
Img_4007 20141004_0001                                      八角輪蔵  
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八角輪上部の欄間(パンフより)
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 開山堂      観音堂
◇帰り道に奇岩あじめ峡と三ッ岩お呼び加茂もイチョウ(天然記念物)を見学する。 
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・あじめ峡        三ッ岩
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〇加茂神社         加茂のイチョウ
◇すすらん峠よりの御嶽山もほんの数分間頂上を見せました。
 噴火の蒸気は確認できます、見えるかな?。
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                      以上

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