きままな旅

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2019/08/13_滋賀県犬上郡甲良町尼子の尼子氏と藤堂高虎出生地を訪ねた。

2019-08-14 | 尾張文化の会

2019/08/13_滋賀県犬上郡甲良町尼子の尼子氏と藤堂高虎出生地を訪ねた。
 甲良町尼子は近江鉄道尼子駅を降り南東方向に約800mの付近に歴史の場所及び尼子館があります。尼子の地名は七世紀天武天皇の時代高市皇子の生母「尼子姫」がここに住まわれたことが地名の由来と伝えています。
 尼子氏は、近江国守護大名の佐々木京極高氏(道誉)(どうよ)で婆娑羅大名の孫である佐々木高久(たかひさ)に近江国甲良荘尼子郷を譲り与えたのが始まりとされる。高久は尼子館を築き、郷名を取って尼子備前守高久と名乗った。
 後、尼子氏は出雲国の守護代として山陰山陽に威勢をはったが、永禄八年(1565) 侵攻を試みた毛利軍の総攻撃により一旦は毛利勢を押し返しましたが、尼子氏は毛利氏に降伏して城を明け渡した。山陰(出雲・隠岐)に威勢をはった尼子氏は没落。尼子氏の居城は月山富田城(かっさんとだじょう)と云われる。
 婆娑羅とは、身分制度を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時、権威を軽んじ「嘲笑い」・「反発し」・「身分不相応な贅沢な振る舞い」が室町時代(南北朝)に流行した。代表的な人物が足利尊氏の側近である高師直(こうのもろなお)、近江国守護大名の佐々木京極高氏、土岐頼貞の七男で美濃国守護大名の土岐頼遠(よりとう)などが「ばさら的」と云う。

✿近江鉄道尼子駅
  
尼子駅 コミュニティハウス 広場

駅から町へ向かう道路沿いの旗

✿甲良神社
 主祭神は武内宿禰命
 由緒は天武天皇の代に高市皇子の生母尼子姫が当地に住み給ひて筑後の国高良大社より希世の長寿の神、武内宿禰命を勧請したと云う。
  
鳥居 由緒碑
 
拝殿前の幣殿  屋根にある「平四ツ目紋」
 
拝殿 神殿
 
 
権殿(国重文)昭和25年に修理が行われた時、「寛永11年(1634)9月、尼子若衆これを立つ」と記載があると云う。

✿甲良西小学校
 
甲良西小学校

✿圓楽寺 浄土真宗本願寺派
  
山門 本堂

✿教得寺 浄土真宗本願寺派
  
山門 本堂

✿蓮覚寺 真宗大谷派
 
山門 本堂

✿西照寺
 
山門 本堂

✿殿城池(尼子城の堀跡)
 お堀の水神様は、落城のとき入水された城主の姫記君(八千姫)が祭られている。
  
説明版 水神様

✿藤堂高虎公出生地跡
 高虎公は在士(字名)で生誕した。
  
説明版 石標 

✿尼子土塁公園(尼子氏の城跡の土塁公園)
 尼子城の土塁と堀跡は正平二年(1347)頃に京極家五代婆娑羅大名として六代高秀(道誉の孫)の四男高久が甲良荘尼子郷を領有し、この地を居城とした。
   
公園入口 城跡 土塁 説明版
 
土塁
 
公園内の住泉寺 玄翁堂

土塁を利用した鐘楼

✿八幡神社(在士八幡神社紫藤樹)

神社入口
 
鳥居と紫藤樹 拝殿

✿在士高虎公園

説明版
  
高虎公騎馬像(石垣の名手らしく背景に石積みの上から流れ落ちる水の幕
 
駒止め石
 
八幡神社御旅所

東門の滝

✿甲良(豊後)宗廣公
 徳川家康の邸宅造営など建仁寺流甲良大工の工匠です。
 日光東照宮の寛永大造営を大棟梁として手腕を発揮したと云う。
 
宗廣公  石標

✿神明の滝
 
石標 神明の滝

✿甲良豊後宗廣記念館

宗廣記念館

✿町の中心を流れる水路
  
 以上

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