きままな旅

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2015/11/24 三重県いなべ市で紅葉の聖宝寺と猪名部神社を訪ねる。

2015-11-28 | 尾張文化の会

2015/11/24 三重県いなべ市で紅葉の聖宝寺と猪名部神社を訪ねる。
 JR名古屋駅の金時計前に8時30分集合した、メンバーは総勢6名でいなべ市の見学です。
 予定コースは近鉄名古屋駅から富田駅、三岐鉄道三岐線、西藤原駅から『鳴谷神社』『聖宝寺』見学後、西藤原駅に戻り、三岐鉄道の北勢中央公園口で下車し徒歩で『猪名部神社』見学後、三岐鉄道北勢線の東員駅に行き、電車で西桑名駅へ200m歩いて近鉄桑名駅より名古屋駅え帰ってくる計画です。

 近鉄電車に乗るのは久しぶりで要領解らす富田駅へ、ホームを変えて渡れば電車に乗れる、しかし駅員に尋ねたら一回外に出て切符を買って乗ってほしいと言われ・・・言われるままに。三岐鉄道は経営が違うのかな。電車はワンマン電車で約50分の乗車にて西藤原駅に着いた。駅にはSL102がいた、またミニSLの線路及び転車台が目に入りテンションが上がりました。日曜日にはミニSLの運行がある。駅前を約1km歩くと地元のおばちゃん達10名で豚汁、ぜんざい、直産物等のテント販売でいも焼きを食べてお寺に向かった。
 
・三岐線の車両  ・西藤原駅、SLとミニSLの転写台
鳴谷神社(なるたにじんじゃ)
 平安時代に伝教大師が聖宝寺観音堂を開かれた際に、猿が建立を手伝ったという逸話が残っている。
  
・鳥居 ・拝殿と駒猿
 
・拝殿
 今年は11月21日から27日までもみじ祭りで聖宝寺の駐車場が使えず、約300段の階段を上ります。
鳴谷山聖宝寺(めいこくさんしょうぼうじ)
 本尊に十一面千手観世音菩薩を安置する禅寺で、平安初期、大同二年(806)に天台宗の開祖澄和上(ちょうわじょう)により開かれた寺。ここも織田信長の『員弁攻略』の軍勢に焼き討ちされた。万治元年(1658)桑名で座禅会を開いていた大園宝鑑愚堂禅師(だいえんほうかんぐどうぜんじ)にて開山、再興し現在に至る。
   
・入口の階段 ・石標 ・参道 ・本堂
   
・回遊式日本庭園と鏡池の弁天堂
   
 
・玉広稲荷 ・鐘楼

・鳴谷の滝で最近になって『滝行の場』であったと思われる石段が現れた。
 再び西藤原駅に戻り、電車に乗って北勢中央公園口へ、ここから真っ直ぐ北へ、員弁川に架かる大社橋近くに鳥居が有り、更に真っ直ぐ進むこと約1,7kmで猪名部神社に着いた。

・近鉄富田行の車両
猪名部神社
  延喜式内社で御祭神は猪名部の祖(建築木工の祖)伊香我色男命を主神とし、建速須佐男命、天照大御神をはじめ代々の祖神を祀る。
 また、発祥は鎌倉時代で『上げ馬神事』で、馬を勢い良く駈けさせ 高い崖を駈け上がるその成否で農作物の豊凶を占う祭りです。
   
・大社橋前の鳥居 ・大社橋横の石標 ・神社入口 ・御本殿

・上げ馬神事の場所と後方は神楽殿
 神社の中央に高塚古墳はあり、登ることは出来なかったが中央に高塚大神の刻印碑があり、猪名部氏のお墓です。
 
・古墳 ・高塚大神の碑
 
・北勢線東員駅のナローゲージ車両(202)に乗車したら、平日にもかかわらず一人組の『鉄ちゃん』が2人いました。この鉄道は流石に有名です。
 参拝を終えて三岐鉄道北勢線、東員駅から電車で西桑名駅へ戻り、この地は三岐鉄道北勢線のレール幅がとっても狭い路線が使われ、小さな電車が走っていて、『鉄ちゃん』では有名な場所で橋の上から見る線路は北勢線(762mm)、JR関西線(1,067mm)、近鉄名古屋線(1,435mm)の3種類のレールが並ぶ貴重な光景が見られます。駅前で名物の安永餅を調達して名古屋駅へと帰路についた。
     以上

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2015/11/19奈良県桜井市の名刹2寺と談山神社を訪ねる。

2015-11-20 | 尾張文化の会

2015/11/19奈良県桜井市の名刹2寺と談山神社を訪ねる。(No373)
 『尾張文化の会』のメンバー32名と紅葉の奈良県桜井市の名刹2寺と談山神社を訪ねて春日井市をバスで出発、心配の東名阪も順調に進み、名阪国道の針ICから一般国道を進み安倍文殊院に着いたのは11:40分を回っていました。次は移動時間15分で聖林寺、これより談山神社へ30分の移動で県道を進み、狭い山道をすれ違い待ちを何度か繰り返したら、神社の駐車場5ヶ所を過ぎた所にみやげもの屋と定期バスの停留所および6台の観光バス駐車場は有り、最近な隣の駐車場に止めることができました。紅葉は終わりかかっていましたのでスムーズに参拝する事ができました。
 帰路は行きと同じコースで心配の亀山から四日市はやはり、亀山ジャンクションから鈴鹿ICまで渋滞でありますたが、春日井市には18時半ごろに無事着くことができました。
✿華厳宗別格本山 安倍文殊院(あべもんじゅいん)
 安倍文殊院は、大化元年(645)安倍一族発祥の地である、大化の改新時に左大臣と成った安倍倉梯麻呂公(くらはしまろ)によって創建された。奈良時代の遣唐使に随行の安倍仲麻呂や平安時代の安倍晴明公が出生された寺院で国陰陽道の源流の寺院である。 
 和尚の話を聞きながら「知恵の抹茶と手作りらくがん」をいただき、話は、現在ではお寺でありながら、葬儀などは行わず、お墓も無ければ檀家も居ません完全な「祈願寺」として運営されているそうです。

 
・山門     ・本堂
○寺宝
渡海文殊菩薩郡は国宝で鎌倉時代(1203年)の大仏師快慶により造立です。 文殊師利菩薩像、善財童子像、優墳王像、須菩薩像は全て国宝であり、鎌倉時代の快慶作、維摩居士像は国宝で安土桃山時代の宗印作また台座の獅子も国宝で安土桃山時代の作品である。

 ・文殊師利菩薩像
○文殊院西古墳
 『特別史跡』として指定されて安倍倉梯麻呂公の墓と推定されいる古墳で、645年頃に築造され、良質の花崗岩を表面上は四角く仕上げられ、築造当時のままとしての古墳内部の美しさは定評あるそうです。
 
・正面入口     ・内部の幻室には「願掛け不動」(弘法大師作)
・安倍仲麻呂公の詩『あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも』百人一首の古今集(巻8-406)
 
・金閣浮御堂  ・安倍仲麻呂公の詩碑

・伊勢神宮への大道標(「右 はせ、いせ 左 たへま、大坂 ・・・」裏面には「寛政十午戌年、造立願主桜井、吉林修理謹言下邑石工与助」と刻印が有りました。)
✿霊園山聖林寺(しょうりんじ)
 当寺は和銅五年(712)で奈良時代に現在の談山神社別院として、鎌足の長子で藤原定慧(じょうえ)が創建。 本尊は元禄時代に造られた丈六石仏であり、観音堂には国宝の十一面観音菩薩を祀っている。
  
・山門     ・本堂
○国宝、十一面観音菩薩は木心乾漆像で760年代に東大寺の造仏所で造られたとされている。今年4月に『尾張文化の会』で京都・南山城の観音寺を訪れた時、同時時代の木心乾漆像で国宝十一面観音とそっくりであり、同時代の観音像をお目にかかった、
感激が人一倍であった。
  
・観音堂     ・十一面観音菩薩   ・観音寺の十一面観音菩薩
 
・境内     ・古墳が見える(どこかな、メスリ古墳かな)
✿談山神社(たんざんじんじゃ)
 創建は白鳳七年(678)唐より帰国した藤原鎌足の長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨を多武峯に改葬し、十三重の塔と講堂を建立して妙楽寺と称した。これが談山神社の始まりです。本殿の裏山で多武峯山中は『多武峯縁起絵巻』の「談合の図」は藤原鎌足公が中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに で「大化改新」の談合をしている様子が有名弟子す。
   
・入口     ・十三重塔
   
・本殿
  
・神廟拝所          ・十三重塔
  
・総社拝殿       ・総社拝殿の裏側でかすかに残る『狩野永納の壁画』です。
 
・総社本殿

・石燈篭(後醍醐天皇御寄進)元徳三年(1331)の刻銘が刻んである。
    以上

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