2018/06/21奈良の名刹、薬師寺と唐招提寺を訪ねる。
『尾張文化の会』のメンバー34名と奈良の薬師寺と唐招提寺を訪ねた。(No400)
行程は勝川IC→東名阪・名阪国道→郡山IC→(昼食)→薬師寺→唐招提寺→郡山IC→勝川ICの予定で順調に進んでいた、しかし東名阪の蟹江から名古屋西間で渋滞が発生している情報にて伊勢湾岸を通り、名古屋南を経由して名二環の内回りを利用して勝川ICで降りたことにより無事予定どおりの時間に着いた。梅雨の季節柄少しの雨は予想していたが、雨が降ることなく薬師寺境内から唐招提寺境内を4kmぐらい歩いて蒸し暑い体であり、癒すペットボトルのお茶も飲み干したので、売店にてソフトクリームを買い、食べながらバスへと戻ったらバス内で半数ぐらいの人は私と同じ状態であった。
◆薬師寺(やくしじ)法相宗大本山
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移された。
本尊は薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)で白鳳時代の「国宝」です。
〇世界文化遺産記念碑
石柱 記念碑
〇中門
中門 瓦と梁の模様
〇金堂
本尊は薬師三尊が祀られている。
金堂(6/21日地震の影響で訪れる人が非常に少なく感じる)
〇大講堂
弥勒三尊像(重文・白鳳時代)が祀られている。また、仏足石と仏足跡歌碑(天平時代の国宝)が安置されている。
大講堂 真新しい鴟尾(しび)
〇東院堂(国宝・鎌倉時代)
聖観世音菩薩像(白鳳時代の国宝)が祀られている。
東院堂(壁が地震で損傷したランクを調査中であった)
〇西塔(三重塔)
心柱を中心に金属製の成道、転法輪、涅槃、分舎利が祀られている。
西塔
〇東塔(三重塔)(国宝・白鳳時代)
現在は修復工事中であった。
〇食堂(じきどう)
食堂 蓮の花
〇鐘楼
鐘楼
〇玄奘三蔵院伽藍
法相宗の始祖である玄奘三蔵のご頂骨を仏舎利として奉安している。
不東の額(玄奘三蔵法師が、インドへ達せずば東へ戻らず、という困難にも屈しない強い意気を示した言葉)
玄奘三蔵院伽藍 「不東」の額
◆唐招提寺(とうしょうだいじ)律宗総本山
唐招提寺の開基、鑑真和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための専修道場を創設されたのがはじまりです。
〇南大門
南門 案内板
〇世界文化遺産記念碑
記念碑
〇金堂(国宝・奈良時代)
本尊の盧舎那佛坐像、東方に薬師如来立像、西方に十一面千手観音立像そして本尊の脇士に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像が守護しています。仏像はすべて国宝です。
金堂(ここも拝観客が極端に居ません)
金堂の尾垂木を支える邪鬼
・歌碑 会津八一
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにみちつつ ものをこそおもへ
歌碑
〇戒壇
出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所。
戒壇
〇講堂(国宝・奈良時代)
鑑真和上が当寺を開創するにあたり最初に朝廷より賜り移築したもので、平城宮唯一の宮殿建築の構造であると云う。中には弥勒如来坐像(鎌倉時代の重文)安置され脇士に持国、増長天(奈良時代の重文)が配置されている。
講堂
〇鼓楼(国宝・鎌倉時代)仁治元年(1240)
写真なし
〇開山堂
鑑真大和上御身代わり像が安置されている。
開山堂
・句碑 芭蕉 貞享5年(1688)
若葉して おん目のしずく ぬぐはばや
・歌碑 北原白秋
水樽の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして 花よりもなほや白く匂はむ
歌碑
〇御影堂(工事中)
御影堂山門 看板
〇鑑真和上御廟
御廟の塀 前日の雨上がりで湿った一面の苔
御廟
・燈籠 「奉納鑑真大和上廟前 昭和35年」
この燈籠と同じ物が対として中国揚州市の大明寺に有り、六角形の石灯籠の柱には「奉献大明寺鑑真大和上宝前 日本国唐招提寺八十一世孝順」と彫られている物があるそうです。
燈籠 ろうそくの火
帰り道
寺の名前入り瓦
以上
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