2020/01/22 愛知県西尾市「西尾城下町」を散策する。
駅前広場のモニュメント「まーちゃ」
✿現役の郵便ポスト
郵便ポスト(抹茶色)
✿西尾城新門址
石標
✿西尾城跡
足利義氏(よしうじ)が承久三年(1221)承久の乱の戦功から三河国の守護職を得たことを契機に築いた。足利義氏から吉良荘を譲られた長子長氏(ながうじ)は、地頭として吉良荘を支配し、以後長氏の子孫吉良氏と称し300年余りを治めた。
戦国時代末には酒井正親、田中吉政と城主は代わり、慶長六年(1601)に本多康俊(やすとし)が2万石の藩主として入城した。その後藩主は松平、本多、太田、井伊など頻繁に代わり明和元年(1764)に山形藩から大給(おぎゅう)松平氏こと松平乗佑(のりすけ)が6万石で入城した後は、その子孫が5代106年間にわたって明治維新まで吉田城(豊橋)、岡崎城と並ぶ三河三郡として栄えた。
◇天守台
天守石垣 発掘調査での出土石
◇鍮石門(ちゅうじゃくもん)
門は藩主の居館である二ノ丸御殿に至る表門である。
鍮石門
◇本丸丑寅櫓(うしとらやぐら)
丑寅(東北)櫓は本丸隅櫓の一つで、三層の櫓であり城下を一望できることから物見櫓として利用されたと云う。
本丸丑寅櫓 櫓より天守石垣を望む
◇姫丸辰巳櫓跡
姫丸辰巳櫓跡
◇姫丸辰巳門址
姫丸辰巳門址
✿旧近衛邸
京都の公家・近衛家の邸宅で摂家筆頭(せっけひっとう)であった近衛忠房が所有していた一部を移築したもので江戸時代後期に島津斉彬の姫が近衛忠房に嫁いだことが縁で島津家によって建てられたものと云う。、書院と茶室からなっており書院にて抹茶が味わえます。
門
玄関
書院
庭
茶室(小口) 茶室(室内) 茶室(天井)
✿西尾神社
石標 拝殿
✿御劒八幡宮(みつるぎはちまんぐう)
西尾城を鎮護する祭神誉田別尊(ほんだのもこと)
鳥居
✿尚古荘(しょうこそう)
昭和初期に米穀商の大黒屋岩崎明三郎氏によって作られた日本庭園(京風庭園)と建物であり、西尾城の一部買い取った尚古荘の中に丑寅櫓台と土塁が残っている。
入口
山門
◇大広間
◇茶室(不言庵)
◇東屋(丑寅櫓台と土塁)
✿康全寺(こうぜんじ)
応永五年(1398)吉良氏六代満貞が西尾城御劒八幡宮六坊のうち「神宮寺釈迦堂」「金剛王院大日堂」をあわせて建立して吉良山「満全寺」とした。その後、天正七年(1579)徳川家康が郷村巡検の途中この寺に泊まったことにより「康」の字をおくられ「西尾山康全寺」と改称したと云う。
山門 本堂
✿大日堂
宝永三年(1706)に再建され、平安期の製作と伝えられる大日如来は金剛院の本尊と云う。
天井に描かれた「龍」は火災を防いだ伝説を伝える。
大日堂
天井の龍
✿秋葉神社
参道 拝殿
✿崇覚寺
山門 本堂
✿唯法寺(うふぉうじ)真宗大谷派
文亀二年(1502)に開山されたという。1634年頃この竹藪の地に移転し唯法寺第11世住職順海が寺を建立したという。順海は民衆との関わり合いが深くあったと伝えられ「順海町」はこの寺の住職の名にちなんで付けられたものと云う。
山門 本堂
✿伊文神社(いぶんじんじゃ)
祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、文徳天皇(モントクテンノウ)をお祀りしております。
西尾城下の総鎮守総氏神として、城主一般の崇敬あつく鎮座より1100余年連綿と奉斎されています。
石標 鳥居 拝殿
義倉蔵(ぎそうぐら)市文化財
✿勝山寺(しょうさんじ)真言宗醍醐派
宝暦五年(1755)に西尾城主の三浦義理(よしさと)が城の鬼門封じの祈願寺として創建だと云う。
本堂
✿妙満寺 法華宗
永禄八年(1565)富永忠安の創立で16世紀ごろに今の場所に移築されました。この寺は西尾藩主増山正利の菩提寺になっています。西尾城主本多俊次の乳母の信仰も厚い寺である。
山門 本堂
✿盛巌寺(せいがんじ)
西尾藩主の大給松平乗全公のお墓のある菩提寺です。薬医門には大給松平氏の家紋である「一つ葵」瓦が付いている。
山門 本殿
紋入り屋根瓦 一つ葵紋
✿聖運寺(しょううんじ)真宗大谷派
西尾城内の八幡宮六坊の一つ、宝光坊であった。
本堂の前に市の天然記念物イブキの巨樹があります
山門は大正8年(1919)に建てられたものです。
山門 本殿
✿縁心寺 浄土宗
西尾城主本多康俊が慶長七年(1602)酒井忠次(実父)の追善する供養のおり建立した。
山門 本殿
以上
2020/01/20 愛知県西尾市吉良温泉と歴史の散策。
西尾市吉良、黄金堤、
✿黄金堤(こがねづつみ)史跡
吉良上野介義央(よしひさ)時代に築堤した良い政治と伝える。
この地のやまあいの約180メートルを堤防でふさぎ、下流に八千石の田園を水害から救った。提を作るにあたっては領内老若男女こぞって工事に参加し、一晩で完成したと伝え、別名「一夜堤」と呼ばれる。現在は堤防の左右に桜が植えてあり桜の名所となっている。
案内板
黄金堤
堤と桜並木
✿鎧ヶ淵古戦場(よろいがぶち)
鎧ヶ淵の戦いは善明堤の戦い(ぜんみょうつつみのたたかい)で永禄四年(1561)に三河国において松平元康(徳川家康)と吉良義昭との間で起った戦い。この合戦によって淵の底に沈んだ将兵の鎧や武具がその後しばしば引き上げられたため、この淵を鎧ヶ淵と呼びこの戦いを「鎧ヶ淵の合戦」と称するようになった。
古戦場
✿金蓮寺弥陀堂(こんれんじみだどう)国宝
文治二年(1186)に源頼朝が三河守護安達藤九郎盛長(もりなが)に命じて建立させた「三河七御堂」の一つと伝える。
石標 本堂(国宝)
◇阿弥陀三尊像(県重文)
木造阿弥陀如来及び両脇侍像(像高は阿弥陀如来坐像80cm 両脇侍立像約80cm)
阿弥陀三尊像(パンフレット)
✿鳥羽神明社
第五十一代平城天皇の大同年間(806から809)の創建と伝わる。1200年の歴史がある「鳥羽の火祭り」は「天下の奇祭」として名高く、国の重要無形民俗文化財(平成十六年(2004))に指定された。
火祭りの看板(毎年2月の第2日曜日) 説明版
参道 拝殿
火祭りの準備
✿正法寺古墳(国史跡)
年代は古墳時代中期の前方後円墳で、墳長約94mの西三河最大の前方後円墳である。
説明版
古墳
✿正法寺(しょうほうじ)曹洞宗
暦応二年(1339)足利氏が鳳来寺の僧玉林坊を招いて再建したと伝える。その際、本尊として鳳来寺から移された薬師如来像(市文化財)は、眼病にご利益があるとの信仰が 厚いと云われる。
参道 本堂
✿羽利神社(はりじんじゃ)
市天然記念物の「双幹大樟(そうかんおおくす)」がある。
鳥居 拝殿
「双幹大樟」の大木
✿海蔵寺(かいぞうじ)浄土宗
慶安元年(1648)に3代将軍家光から朱印地10石7斗をうけた寺である。
文明二年(1470)西尾市善明町に創建され、寛永十八年(1641)にここに移ったと記す。
寺には、木造阿弥陀如来坐像(県文化財)が保存され、体内下部に元禄十二年(1669)に糟谷縫右衛門より寄進の朱書きがあると云う。
参道 本堂
◎佐久間玄蕃盛政公墓《索麻塚(さくまづか)》
佐久間盛政の墓は「刀形の墓碑」でした。
佐久間盛政(柴田勝家の甥)は名古屋市の御器所台で生まれた武将と伝えられ、鬼玄蕃(おにげんば)とも伝える、身長が六尺の大男だった武将であった。
✿旧糟谷邸(かすやてい)県指定文化財
豪農で豪商の糟谷縫右衛門家の屋敷である糟谷家は代々縫右衛門(ぬいえもん)を名乗り、吉良の大地主として三河木綿問屋、金融業、肥料、日用雑貨の卸小売業で財をなした豪農で豪商です。その主屋と長屋門などが「県指定文化財」となっています。
長屋門 裏木戸
母屋
待合
茶室
庭
土蔵
高井戸
◎尾﨑士郎記念館、
長編小説『人生劇場』で一世を風靡した尾﨑士郎(おざきしろう)の記念館です。
記念館 東京より移築の書斎
✿幡頭神社
大宝二年(702)の創建と云う。
祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)で、日本武尊の東征に従った建稲種命が駿河沖で遭難し、遺骸が宮崎海岸に漂着し、当地に葬られたと伝えられています。
本殿(国重文)は天正八年(1580)の建物で桃山時代の様式を伝える。
石標 参道
鳥居 拝殿
✿吉良温泉
吉良小唄と人生劇場の碑
✿宿泊
旅館 露天風呂(ケーブルで行く)
夜明け
部屋より(無人島の梶島)
以上
2020/01/10 三重県玉城町「田丸城跡」を散策する。
玉城町は初瀬街道(大和と伊勢を結ぶ最古の道)、熊野街道(熊野と伊勢を結ぶ道)が合流して伊勢本街道(大和国と伊勢神宮を結ぶ道)から伊勢神宮へと多くの参宮者が利用したと言われる交差地点に北畠親房が築城した田丸城跡が有り、城跡周辺を散策した。
✿熊野街道道標
大和から初瀬街道、熊野からの熊野街道がこの地点で合流して伊勢本街道として伊勢神宮へ続く場所です。
道標
✿田丸城跡 県指定史跡
延元元年(1336)に北畠親房(ちかふさ)が南朝側の拠点として築城。戦国時代、織田信長に攻略され織田信雄により天正三年(1575)に天守閣を築き入城した。
大手門跡
田丸城石標 二ノ丸門跡
城内案内図
本丸虎口跡
本丸虎口跡から天守跡への石垣
天守閣
二ノ丸跡より天守閣
天守南側の石垣
天守西側の石垣 県指定史跡の石垣の看板
三ノ丸跡(玉城中学校)
✿富士見門(町文化財)
江戸時代の原型をとどめ、歴史をかんじせます。
富士見門
✿城山稲荷大明神
参道 拝殿
✿旧三ノ丸奥書院(復元)
旧田丸城跡三ノ丸に建ていた御殿の書院で延宝5年(1677)造営(平成三年(1991)復元)
書院
✿玄甲舎(げんこうしゃ)町指定文化財
弘化四年(1847)田丸城主久野丹波守の家老で畿内の茶人三傑で金森得水(とくすい)によって設計・建築された。
得水はお茶の流派を超えて交流した茶人であり、表千家の最高位である免許皆伝を与えられた得水は裏千家の茶人と茶道の流派を超えて交流していたと言われる。
玄甲舎
・金森得水の歌碑
遠近(おちこち)の人も くどかの山桜 美の里の花乃 おくをたづねて 得水
歌碑
✿田丸神社
由来は古く、室町時代までは榎木の大木をご神体として天神様を祀る。現在の御祭神は菅原道眞をはじめ多くの柱を祀り、田丸、佐田、田辺の総氏神である。
参道 拝殿
✿村山龍平記念館
朝日新聞の創設者村山龍平の誕生地としての功績を顕彰し建てられた記念館。
記念館
・村山龍平翁の歌碑(揮毫)
幾千とせ 変わらぬことを 祈るなり この城山は このさとの神
歌碑
✿大得寺(だいどうじ)浄土宗
鎌倉期の建保年間(1213から19)遠江国に建立した。元和五年(1619)久野丹波守宗成が、初代城主として田丸入城のとき建立した久野家の菩提寺で遠州より移転した。
山門 石標(田丸藩主菩提所) 本堂
✿三縁寺(さんえんじ)真宗高田派 室町時代の城主田丸弾正ゆかりの寺院
山門 本堂 鐘楼
通用門
以上