2024/06/19名古屋市瑞穂区史跡散策路「塩付街道と桜のみち」を散策した。
散策コースは村上神社⇒鼎橋⇒善進寺⇒正及神社⇒東山荘⇒東栄八幡社です。
✿地下鉄瑞穂市役所駅
地下鉄瑞穂区役所前 (散策開始駅)
✿塩付街道(しおつけかいどう)
江戸時代の中頃まで、南区本星崎町一帯では、さかんに塩を作っていた。 ここでとれた塩は、千種区古出来町あたりに集荷され、遠く信州(現在の長野県)まで、俵に詰め運ばれたといわれている。 本星崎町から古出来町まで約10kmが塩付街道と呼ばれる。
✿名残の松
名残の松
✿村上神社 (むらかみじんじゃ)
祭神は熱田大神を祀っている。
かつては村上おどり山古墳の上に鎮座する神社で、もともとこの場所には石を祀る眞好社があり、その跡地に建てられたのがこの村上神社と伝える。
住人たちが熱田神宮から勧請して熱田大神を祀り、熱田社と称していた。
現在の社名になったのは戦後のことで、この場所が村上町だったことから来ている。
村上の地名は、江戸時代前期(1666)に、尾張藩士の村上治兵衛が開墾したことで村上新田と呼ばれたことに由来する。
鳥居 石柱
神殿
✿鼎橋(かなえばし)
鼎橋
尾張名所図会に描かれた(粋人も庶民も愛でた萩の名所)
尾張名所図会前編5-26(中根村鼎池の堤畔の秋萩 春江)
鼎橋付近の今昔
石杭の刻印「従是東西鼎地区」
✿名古屋市立大学
入口
✿善進寺(ぜんしんじ)日蓮宗
開山は観照院日淳上人で本源院を建立し、寛文十二年(1672)に妙蓮寺が完成したという。
本源院は享保五年(1720)に焼失したが、すぐ再建戦前までは中区に有った、昭和二十年(1945)の空襲で全焼してしまった。時は立ち、この地で開山し善進寺となった。
また、千葉県の日蓮宗法華寺内にあった「善進坊」寛文二年(1662)にここに移し寺号を善進寺改称した。
石柱
本堂
旧本堂の鬼瓦
✿正及神社(せいきゅうじんじゃ)
享保元年(1716)の創立です。
尾張藩6代藩主の徳川継友が尾張藩士の鍵谷伝右ヱ門に命じて、日光東照宮から家康の分霊を勧請して建てた神社と伝える。
拝殿、本殿が解放されていて、東向きのため明るく感じる。多くの神社は参道が南北であるがこの神社は東西で東側の遠くは静岡県の久能山東照宮(神廟)をみている。
石柱 北側石柱
参道
拝殿
✿東山荘(とうざんそう)
大正時代に築造された山荘で所有者(綿布商伊東信一氏)の遺贈により、昭和十一年(1936)名古屋市の所有となった。
昭和十八年(1943)以後市長公舎となり、昭和四十三年(1968)市民の公園として開放され、その情緒を味わうことができるようになった。茅葺きの門をくぐると広大な敷地に自然樹林そのまま美しい数寄屋風書院造りの風雅な建物が見られる。庭園は自然回遊式で あり、玄関前庭、書院と自然樹林からなっている。
茅葺き門
建物
茶室
✿東栄八幡社(とうえいはちまんしゃ)
祭神は應神天皇(おうじんてんのう)です。
創建は元禄十年(1697)と云われる。
石柱 鳥居
参道
拝殿
神殿
✿東栄寺(とうえいじ)真言宗豊山派
山門
東栄観音堂
観世音菩薩
✿馬頭観音
塩付街道沿い祀られていたものを移した。
祠 馬頭観音
2024/05/15名古屋市瑞穂区史跡散策路 ふるさと歴史の道
散策コースは、浜神明社、東ノ宮神社、藤原師長謫居跡、龍泉寺、長福寺、安楽寺、秋月院、田光八幡社、大喜寺、白竜神社、津賀田神社、天聖寺の順序です。
✿浜神明社(はましんめいしゃ)
昔はこの辺りを呼続の浜といい渡船場があった。
境内には月待供養碑で市内最古の天正十七年(1589)の刻銘がある。
刻印は良く残って、「天正十七年巳丑五月吉日 敬白十七夜待開眼供養の所 尾州愛知郡分野住人四郎五郎 現世安穏後生善所」です。
鳥居 祠
手水 説明版
月待供養碑
✿東ノ宮神社(ひがしのみやじんじゃ)
明治元年、明治天皇が旧東海道筋を東京へ行幸された際、八丁畷で収穫作業を見られた。それを記念して建立された明治天皇覧穫之所という碑が境内にある。
入口鳥居 石碑
祠
明治天皇覧穫之所碑 明治天皇八町畷御野立所碑
熱田神宮御供田奉記念碑 説明版
✿井戸田やくし道標 山崎橋
東海道の山崎橋
山崎橋の北側にある
旧山崎橋の親柱と伝える。
✿藤原師長謫居跡(ふじわらもろながたっきょあと) 曹洞宗
治承三年(1179)太政大臣藤原師長は、平清盛との闘いによって尾張国井戸田の田嶋へ流された。師長は琵琶の名手で平安時代の七五調四句の邦楽に堪能しており、流刑時に鳴海潟を眺めながら琵琶を弾いて、自らを慰めたところであった。
鳥居 祠
石碑 説明版
✿龍泉寺、亀井水(りょうせんじ、かめいすい) 亀井山 曹洞宗
行基の開山とも伝えられ、本尊薬師如来は聖徳太子作と伝えられる。
源頼朝の誕生地であるという説があり、表門脇の亀井水は、頼朝が産湯の水に使ったといわれている。
境内には昭和58年まで残っていた大黒塚の塚上にあった大黒石又は原始五輪塔という古石が保存されている。
石標
山門 瓦の紋
本堂 説明版
大黒石
亀井水碑
亀井水を覗く 説明版
✿最経寺(さいきょうじ)日蓮宗
石標 本堂
✿鎌倉街道
説明版
名残が残る鎌倉街道
✿✿『尾張名所図会』前編五巻
山﨑橋、亀井泉 津賀田社、龍泉寺
大喜寺 師長公謫居
✿長福寺(ちょうふくじ) 曹洞宗
創建は奈良朝時代と伝える。本尊は聖観世音菩薩です。
三島由紀夫像碑が有ります。
山門 本堂
三島由紀夫像碑
✿秋葉山(あきばさん)
祠 説明版
✿安楽寺(あんらくじ)、為麿塚(ためまろづか) 浄土真宗 為麿山
長岡為麿を祀る。
長岡為麿は元禄期(1688から)熱田祠官といわれ彼が老後職を辞して閑居したのがこの地である。彼が唱えだした彼一流の神道は、民衆の信仰を得て大いに流行したという。
本堂
為麿塚
説明版
✿秋月院(しゅうげついん) 弓頭山 曹洞宗
慶長三年(1598)熱田の地に創建され昭和十三年(1938)に、この地に移転した。本尊は愛敬薬師瑠璃光如来で弘法大師の作と伝えられている。
山門 山門と本堂
本堂
山門 五七の桐紋
✿田光八幡社(たこうはちまんしゃ)
創建は延久元年(1069)と伝える。應神天皇,仁徳天皇、神功皇后を祀る。
境内の中で大きく樹高の「クスノキ」は別宮白竜大神の神体となっており弘法大師手植えと伝えられている。また境内には夫婦円満の木とされる、ムクノキとエノキの「和合の木」もある。他に黒龍様の御神木が有る。
入口 石標
参道
参道
拝殿
参道 鳥居 祠
白竜大神
和合の木
和合の木 説明版
黒龍様(御神木) 説明版
✿秋葉社
石標 祠
✿大喜寺(だいきじ) 増益山 真言宗豊山派
創建は正保元年(1644)と伝えられる。本尊の大日如来は熱田神宮本地仏とされる秘仏。
境内に安置される地蔵座像石仏は、もと鎌倉街道沿いの寺山地蔵塚にあったと伝えられ扁平な花崗岩の中央に地蔵菩薩の座像を彫り、光背を彫りくぼめてある。
鎌倉時代の石仏としては市内唯一です。
山門
本堂
弘法堂
地蔵堂
石佛地蔵尊
山岡鉄舟の碑
✿地蔵寺
山門 境内
✿白竜神社(はくりゅうじんじゃ)
戦前、この地域一帯は田光ヶ池というかんがい用池でした。
埋め立てする際、村民の伝説なっていた『池の主』白龍大王と呼ばれる『おろち』の魂を鎮めるために祀ったのが始まりと云う。
この地域に田光ヶ池があり、埋め立てられ付近にあった天神山も崩された。当時田光ヶ池で水泳をして溺死した者、埋め立てや天神山を崩すときのたたりで出た犠牲者を慰めるために当神社が建立されたと伝えられている。
石標 説明版
鳥居 祠
✿津賀田神社(つかたじんじゃ)
創建は鎌倉末と伝える。天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、若宮八幡とも井戸田八幡とも称された。
『尾張名所図会』の絵には塚田神社と有り、文章では津賀田社(つかたのやしろ)と記載が有る。
石標
説明版
参道
拝殿(改装中) 拝殿(2016年2月)
津賀田稲荷社
✿天聖寺(てんしょうじ) 亀嶽山 曹洞宗
円通寺十四世活水昇竜禅師の開山と伝える。
山門
本堂 扁額(山号)
2024/04/26 名古屋市守山区大森寺と尾張旭市良福寺の古刹を散策した。
散策コースは八剣神社、大森寺、良福寺、渋川神社、退養寺、新居の厄除弘法です。
《名古屋市守山区》
✿八剣神社(やつるぎじんじゃ)
八劔神社は平安遷都前年の延暦十二年(793)この地方を支配していた豪族(山田の連)により 大森北八剣の地に創建されたと伝えられています。 また、宝暦十年(1760)矢田川近くの元郷の地に移されますが、 度重なる洪水などの被害もあり昭和二年(1927)町全体が見渡せる現在の地に遷座されました。
古くから大森の人々に敬愛されてきた由緒のある神社です。
主祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
石柱 参道
拝殿 番塀
弁財天 天王社 秋葉社
天神社の石柱 祠
✿大森寺(だいしんじ)興旧山
本尊は阿弥陀如来で、山号は「興舊(旧)山」です。
二代藩主光友は生母歓喜院(かんぎいん)「乾」の方の菩提を弔うために、寛永十四年(1637)に江戸小石川伝通院(でんづういん)内に大森寺の前身となる廟所を建立し、寛文元年(1661)に「乾」の方の出生地である尾張国大森村に廟所を移転し大森寺と寺号を改めて創建されました。
中門に掲げられた山号は光友公御真筆額と伝える。
大森寺は「尾州御寺(びしゅうみてら)」の1つとして、江戸時代から尾張徳川家による手厚い庇護を受けました。尾州御寺は六寺で建中寺・相応寺・大森寺・高岳院・性高院、清浄寺で江戸時代には尾張藩主の格式ある寺院でした。
墓地には乾の方の墓と加藤唐九郎(人間国宝)の碑がある。
山門 石標
参道 中門
説明版 中門の扁額(光友公御真筆額)
本堂 鐘楼
尾張名所図会(後編四ノ十二)
墓地入口
乾の方の墓 板塔婆
加藤唐九郎の碑
加藤唐九郎氏は桃山時代の織部、志野、黄瀬戸の復元に成功した人物で、
加藤唐九郎(翠松園陶芸)記念館は守山区小幡北山に有ります。
◎2024年3月2日から5月7日間、名古屋城の西の丸御蔵宝館で特別展
「守山の御寺 大森寺の宝物」が開催されました。
✿尾張三大弘法大師像
第一番は小幡緑地公園内(名古屋市守山区)に有る御花弘法大師、第二番は良福寺(尾張旭市印場元町)の開運大師、第三番は新居の弘法像(尾張旭市新居町)です。
御花弘法大師
開運大師
厄除弘法
《尾張旭市》
✿良福寺(りょうふくじ)萬安山
良福寺は尾張旭市で最も古く、平安時代の創建と伝える。
戦国時代末期には土岐氏、織田氏の保護を受けており、天正十年(1582)に織田信雄(信長の次男)が良福寺の寺領を保証した織田信雄書状(市指定文化財)があると伝える。
その後、太閤検地のとき寺領を没収され、寛永八年(1631)尾張藩主徳川義直の命により政秀寺三世槐山和尚(かいざんおしょう)が中興しました。
良福寺山門(市指定文化財)は、この折に清州城の裏門の一つを譲り受けたものと伝えられています。
参道
本堂 紋
庭 燈籠
開学発祥之地
明治六年(1873)頃、この地に学校を開いたと伝える。
✿良福寺 山門
山門は中興の折に、清州城の城門ひとつを譲り受けたとされています。
昭和五十一年(1976)には門扉などの部分修理が行われ、平成十一年(1999)は地盤及び袖塀を含む山門の全解体修理行われた。
山門
柱の修理跡
説明版 棟札
開運弘法大師
石柱(安産子安弘法大師)
薬師堂
御砂踏み
馬頭観音(渋川神社南側の旧瀬戸街道筋にあった)
✿旧瀬戸街道筋
県道61号線は現在「瀬戸街道」という通称で親しまれています。古くから名古屋から瀬戸へと続いていました。江戸時代には信州と名古屋の間で馬を使って荷物を運搬に利用され、明治以後は瀬戸からの陶器輸送の馬車が通ったと伝える。
ところどころに昔の瀬戸街道の道筋が残っています。
説明版(渋川神社前)
✿渋川神社
渋川神社は尾張旭市内で山田郡総社であり、唯一の延喜五年(905)から編さんされた「延喜式」の神名帳の部分に記載されている神社で「式内社」です。
天武天皇の悠紀斎田は天皇が即位するときに行われる大嘗祭に献上するお米を作る田んぼのことを言います。
入口の鳥居
拝殿 由緒
天武天皇斎田跡の石標 説明版
連理木 説明版
渋川稲荷社
✿退養寺(たいようじ)安生山
新居の開拓の祖である水野又太郎良春の菩提寺で開山は良春の弟の報恩和尚と伝えられています。御寺には応安七年(1374)に亡くなった良春の位牌が残り裏山には良春とその一族の供養塔と伝えられる石塔があります。
山門
本堂
✿水野又太郎良春の墓
水野又太郎良春は、南北朝時代に奈良県吉野の金峰山寺の僧兵で、南朝方として戦いを終えて祖先の地である志段味に帰って来て、この地で田畑を開墾し新居村を開いた。
水野又太郎良春の菩提寺である退養寺の裏山には良春とその一族の墓と伝えられる宝篋印塔と五輪塔があります。
宝篋印塔と五輪塔
説明版
✿新居の厄除弘法
昭和六年(1931)に瀬戸電気鉄道により新たな観光名所として建立し尾張三大弘法のひとつとなる。
お参り場所
厄除弘法
不動明王
2024/04/17名古屋市中村区史跡散策路 笈瀬川筋散策コースを訪ねた。
伊勢神宮の御神領地で、お伊勢川と名付けられた川がやがて笈瀬川となった。庶民のまち名古屋駅太閤通口から巨大な予備校群を横に見て、八雲琴の水野社へ。カッパ伝説の椿神明社から旧笈瀬川筋をたどり、牧野5社を巡る。
牧野5社は椿神明社、厳島社、天王社、稲穂社、牧野神明社と云われる。
✿水野社
700年以前よりこの地にあるといわれる水野社は、かつて八雲琴が伝承されていました。文政三年(1820年)伊予国中山吉士通郷が神託により創始し、世に広めたといわれる八雲琴は、竹を二つ割にした胴に二弦を張って弾奏し、神聖な神曲を演じて神に奉ずるものです。
一説によると八雲琴「五十鈴川」は、三種の神器たずさえて伊勢神宮を祀られたやまとひっめに思いをよせた曲と云われている。
鳥居 石標
拝殿
護国社 身代地蔵尊
大松稲荷
✿ 椿神明社
御祭神は豊宇氣比売命(トヨウケヒメノミコト)を祀っている。
尾張名所図会には「椿の森 河童乃怪」が記載されているのが、この地域であろう。かっぱ伝説は『わしはおいせ川のカッパ太郎だ。川岸にはお宮の森がある。何十本もの大椿が繁っているので椿の森とよんでいる。・・・力自慢で男の子に化けるのが得意なカッパの話が伝わる』
参道 石標
参道 拝殿
神殿
尾張名所図会 付録
✿ 稲穂社
御祭神は宇迦之魂神(ウカノタマシカミ)を祀っている。
天保二年(1831)ごろの牧野村住民がこの地に移住して新たに一集落が造られ守護神として祀られた。
鳥居
神殿
稲穂社
稲荷社
秋葉社
✿ 牧野神明社
御祭神は天照大御神が祀られている。
言い伝えによると境内には大きな藤の木があり、この木を伐採したところ村中に疫病が流行した。陰陽師が占うと藤の木の祟りであり、酒を醸して神に献ずれば癒えるということで、「おいせ川の水」で甘酒を造り、神に献じたら、たちまち疫病がなくなったといわれ、以来今日に至るまで神事として伝えられている。
鳥居 参道
神殿
この辺りから眺める名古屋駅のビル群
名古屋駅
✿ 須佐之男社
御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)と火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)が祀られている。
一説には牧野5社の1社とも伝える。
鳥居
石標(須佐之男社) 石標(迦具土社)
✿河童伝説『かっぱの由来』
昔、笈瀬川(今の笈瀬本通り)に、子共好きの一匹の「かっぱ」が棲んでおったそうな。このかっぱは力持ちの男の子に変身する特技があったんじゃ。ある日、川でおぼれている子供を助け、それからみんなに「人助けのかっぱ」と親しまれたそうな。笈瀬本通り商店街も、このかっぱにちなんで家計を助ける「かっぱ商店街」へ生まれ変わったんじゃと。(笈瀬本通商店街振興組合説明板より)
河童の銅像
✿ 厳島社
御祭神は市杵島比売命(イチキシマノミコト)が祀られている。
古くより椿神明社、牧野神明社とともに牧野村三社の1社である。
石標
祠
✿ 天王社
御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)と火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)です。
社
右の石標(天照皇大御神 熱田皇大御神 須佐之男・迦具土・水大大神)
左の石標(白玉龍神)
✿ 福田兼助碑
智興寺前に福田兼助の碑が建っています。この地区近代教育の祖といわれた兼助は、農家の出で学問を好み、徳川時代末期に村の子弟の教育に尽くし、明治になり学制が敷かれた時に推されて村校の教師になった人物です。
明治三十四年(1901)に建てられました。
石碑
説明版
山門
智興寺本堂
✿ 熊野社
御祭神は伊邪那美大神(イザナミノミコト)が祀られている。
境内はクス、ケヤキの保存樹がうっそうと繁っている。
子安社は安産の守護神、木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を祀っています。
鳥居
参道
参道燈籠の上部(宝珠、笠、火袋、請台)
参道と拝殿
拝殿
拝殿
神馬
子安神社 鳥居
✿ 金山神社
御祭神は金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。
鎮火・農耕の神としてあがめられている鍛冶業の守護神と伝える。
名古屋城の石垣の石(残石垣)は名古屋城築城の際、この辺りを流れていた笈瀬川を使って石材を運んだ際に現在の露橋付近に石切場が有った、付近の笈瀬川から出土した築城の残石とされる石と伝えられる。
鳥居 石標
拝殿
残り石 説明版
✿ 円福寺
本堂には本尊阿弥陀如来立像が祀られている。
天正六年(1578)北一色村善行寺の二世海善が米野村に隠居して一宇を創建した。
二世海善は織田信長の親族であったと伝える。
山門
本堂
2024/04/12 春日井市 落合公園 桜です。
落合公園の桜見物に行ってきました。
4/12日市役所近辺の桜は前日の雨と風で道路が桜の花が散ってジュウタン状態でしたが、天気も回復して温かい日和になり桜も元気になっていました。
園内でも西側は葉桜のはじめでしたが東側は満開で4/13,14の土日曜日は大勢の市民が楽しめる日になりそうです。
様々な桜の咲き具合が見られました。