きままな旅

きままな旅ときままな日記

2023/02/22 愛知県東浦町、半田市 於大の方さまを訪ねた。

2023-02-24 | 尾張文化の会

2023/02/22 愛知県東浦町、半田市 於大の方さまを訪ねた。
✿宇宙山 乾坤院(けんこんいん)
 院は1475年(文明7年)、緒川城初代城主・水野貞守により建立。以来、代々水野家の菩提寺であり、尾張徳川家より厚い庇護を受けてきた。
 四代目水野忠政公の息女で、徳川家康の生母である於大の方(伝通院)からも、三里四方の山林を寄進されたと伝わっている。
 寺名の由来は今から500年余前の創建時、「緒川城」からみて、当山がその方角の間に位置したためで乾(戌亥)は西北、坤(未申)は南西の方角をそれぞれ表わす。この名がついたとい伝えられている。
 墓地には水野家四代の墓(町文化財・史跡)がある。
〇石標

入口の石標
〇総門
 緒川城唯一の遺構で当院の南東の通用門となっていた。
 
総門   説明版
〇参道
 
参道

山門に向かう橋
〇山門 (町文化財)
 
山門   説明版
〇鐘楼門

禅悦堂と鐘楼門

山門と鐘楼門
〇本堂
 御本尊は釈迦牟尼仏を胎内に納めた大通智勝仏と云う。

〇羅漢像

宇宙を指さしている羅漢像
尾張名所図会(乾坤院)

尾張名所図会(前編6 知多郡 乾坤院)

✿宇宙稲荷大明神
 本尊は徳川家康の生母於大の方より寄進の千手観世音と云う。
 
宇宙稲荷大明神の神殿

✿楞厳寺(りょうごんじ)
 永平寺7世の孫、利山和尚が応永20年(1413)に開山した曹洞宗の禅寺であり、刈谷城を築いた水野家「水野忠政(ただまさ)」の菩提寺である。
 徳川家康の生母「於大の方」がしばしば詣でたと伝えられている。
 境内には水野家廟所(市指定文化財)があり、刈谷城主・水野信元(於大の兄)や3代目・水野忠重の墓がある。
〇山門
 
山門

説明版

山門の彫刻

山門の守り神
〇本堂

本堂
〇境内

庭石
〇鐘楼

鐘楼
〇墓地 水野家廟所
 
墓地(左奥に水野家廟所)   水野家廟所

✿常楽寺(じょうらくじ)
 文明16年(1484)空観(くうかん)栄覚(えいがく)上人が応仁の乱戦没者供養のために一宇を建立し、天龍山常楽寺としたのが当寺の始まりである。
 桶狭間の戦い(1560)に敗れた家康(松平元康)が岡崎に向かう途中、いとこの顕朗上人を頼って当寺を訪れ岡崎に帰られた。その後も徳川家との縁は現在まで続いている。
 本堂内「天龍山」の額は徳川家達公、外正面の「常楽寺」の額は尾張徳川家義親公の筆です。
本尊は弘長3年(1263)7月法橋円覚作の木造阿弥陀如来立像(国の重要文化財)像高70cmの寄木造りです。
〇石標

石標
〇山門

山門
 
増長天王 廣目天王
〇本堂
 
本堂 案内版

額「常楽寺」は尾張徳川家義親公の直筆

額「天龍山」は徳川家達公の直筆
〇薬師堂

薬師堂
〇観音堂(弘法堂)

観音堂(弘法堂)
〇法然上人ちご像

ちご像
〇六角燈籠

六角燈籠
〇参道にあるお堂

お堂
 
馬頭観音、弘法大師、地蔵尊

✿真如院(しんにょいん)

山門

本堂

✿超世院(ちょうせいん)

山門

宝篋印塔と山門

本堂

✿遣浄院(けんじょういん)

本堂

✿来迎院(らいこういん)

入口

本堂

✿西薬師教会
 堂内に「薬師如来座像」、「聖観世音菩薩立像」、「大日如来座像」は三対すべて半田市文化財です。
 
西薬師教会   説明版
  以上

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2023/02/15 名古屋市瑞穂区の史跡散策路「貝塚と城あとを偲ぶ道」を巡る。

2023-02-18 | 尾張文化の会

2023/02/15 名古屋市瑞穂区の史跡散策路「貝塚と城あとを偲ぶ道」を巡る。
 JR千種駅に集合して地下鉄で瑞穂運動場西駅に向い、偲ぶ道を歩きはじめたが、2026年に開催されるアジア大会でメイン会場となる名古屋市瑞穂公園陸上競技場(パロマ瑞穂スタジアム)の建替え工事が進み迂回され、方向感覚が狂い、何とか探し充て競技場の「瑞穂古墳群(二号墳)」、「下内田貝塚」、「大曲輪貝塚(未発見)」、東側の「あゆちの水」を発見して、これから先は地図に沿って廻っていける感覚がつかめた。山下通交差点にある「道分け地蔵」、「行信寺」、「東八幡社」、「中根中ノ城跡」、「中根城井戸跡(未発見)」、「観音寺(北条八幡社)」、「北条八幡切り株」、「西八幡社」、「宝蔵寺」、「中根銅鐸発見地」を廻り地下鉄新瑞橋駅より各グループに分れ帰宅した。
✿瑞穂公園陸上競技場
 ここは縄文時代から古墳時代に多くの貝塚が存在したと伝える。
 
競下内田貝塚近くに有るモニュメント
✿瑞穂古墳群(二号墳)
 瑞穂古墳群の二号墳は高さ5m、径30mほどの円墳で、ほぼ原型を残して保存されている。
一号墳は豊岡小学校内に、三号墳には、現在野球場が建っており今では何も残っていない。
 
二号墳
✿下内田貝塚
瑞穂古墳群と同じ頃の遺跡であったと伝える。
 
下内田貝塚
✿大曲輪貝塚(未調査)

✿あゆちの水(伝承地) 
尾張の名水の一つといわれ、万葉集で詠まれている「小治田の年魚道の水」はここであるという説があり記念碑(歌碑)と井戸がある。『小治田(おわりだ)の 年魚道(あゆち)の水を 間(ひま)なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子(わぎもこ)に 我が恋ふらくは やむ時もなし』(13-3260)
《藤原師長の伝説》
あゆちの水記念碑や石で囲った古い井戸がある付近は、藤原師長がこの地で京都をしのびながら琵琶を弾いていたという伝説がある師長町です。
  
あゆちの水

井戸

琵琶ヶ峯の石碑

歌碑
✿道分け地蔵

道分け地蔵
✿行信寺

行信寺
✿東八幡社(ひがしはちまんしゃ)
祭神は応神天皇です。
  
参道   参道(東)

拝殿

境内の白梅

くろがねもちの木
✿中根中ノ城跡(未調査)
永禄四年(1561)から天正18年(1590)に織田越中守信照(信秀九男・信長の弟)が築城した。中根城は、北城、中ノ城、南城があったと云われる。
✿中根城井戸跡

中根城井戸跡
✿観音寺(北条八幡社)
慶長10年(1605)開基万誉存公が創建。
本尊は阿弥陀如来です。徳川源敬公(尾張藩初代藩主)より拝領したものと云う。
観音堂には元和8年(1622)千手観音が納められている。
中根南城の一部であり北条八幡社の祭神は応神天皇であり中根南城の鎮護神ともいわれている。その脇には樹齢400年を超す黒松(市指定文化財)が在城当時をしのばせ残っている。
 
山門

本殿

北条八幡社と北条八幡切り株
✿西八幡社
祭神は応神天皇です。
 
参道   参道(北)  
  

拝殿
✿宝蔵寺
天文12年(1534)大安守公が創建であり。昔は寺子屋があった所と云われている。

本堂   

宝篋印塔(文政12年(1829))
✿中根銅鐸発見地
明治3年(1870)に発見され、袈裟襷文(けさだすきもん)の文様があり、三遠式銅鐸の普通の型で、雷文があるのが特徴であり、弥生時代のものと云う。

説明版(仁所公民館前)
以上

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