きままな旅

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2015/05/26 船頭平閘門の愛西市を訪ねる。

2015-05-27 | 尾張文化の会

2015/05/26 船頭平閘門の愛西市を訪ねる。
お友達10人で愛西市をウォークしてきました。
名鉄津島駅からタクシーで葛木港に向かいました。
これより、旧渡し舟を改造した愛西市の遊覧船にて船頭平閘門に向かいます。
 
  葛木港(昔の渡し)                   木曽三川公園を望む
 
船頭平閘門(せんどうひらこうもん)木曽川側入口。
  船頭平閘門は国土交通省の管理で重要文化財(平成12年5月25日指定)である。明治時代に木曽、長良、揖斐の三川が分流され、水上交通が盛んな時、木曽川と長良川を船で行き交うことができるように設けられた。また、この近くでは小パナマ運河と言われている。
   
 閘門内通過で水面の水位は長良川と木曽川での差が(壁面の色違いが本日は約40から50cm)確認できます。
 また、土台は無鉄筋でレンガのイギリス式の積み方です。
 船は浮上してきても体には浮上の感覚が全くありません。
 
船上より千本松原、治水神社、木曽三川公園のタワーを観光した。

木曽文庫へ上陸して見学する。
   
陸上より閘門の構造と水位の状況を観察しました。
 
 重要文化財「船頭平閘門」の表示看板です。 
 扉がひし形に閉まっています、水面下は?。

 明治時代に使用されていた閘門が展示さていました。
 葛木港の戻り、下船ご名鉄佐屋駅に向かいます。
 
 豊岡神社と古木江城跡。              蓮田
 
 佐屋三里之渡址               佐屋代官所址
 佐屋路が名実ともに天下の往来のころ、代官所を佐屋に設け街道の治安と、三里の渡しを監督する海の関所的な仕事も手がけていたようです。
 
  佐屋三里之渡の説明看板         道標「右 さや舟場道」
 
  水鶏塚(くいな塚)
   松尾芭蕉の句で『水鶏鳴くと人のいへばや佐屋泊』。

                     以上

 

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2015/05/07 岐阜県富加町の古刹を訪ねる。

2015-05-10 | 尾張文化の会

富加町(とみかちょう)
 現存する日本最古の戸籍である。半布里戸籍(はにゅうりこせき)の「郷とみか」です。
 小ぢんまりとした町であり、美濃地方でも有数の古墳密集地で現在51基の古墳が確認されておりその代表は夕田茶臼山古墳です。
 また、神社、寺が多く在りました。
1、◆富加町郷土資料館
 富加町は条里制で区画の多くが四角く成っている土地で、奈良の正倉院に残されていた日本最古の戸籍「大宝二年御野国加毛群半布里籍」ゆかりの地です。

2、◆清水寺(きよみずてら)臨済宗
 開基は坂上田村麻呂と云われ(京都の清水寺は坂上田村麻呂が招いたらしい)、円鎮大師の開山と伝わる。本尊の木造十一面観世音菩薩坐像は、「国指定重要文化財」となっており、県指定文化財の二天門や地蔵菩薩立像をはじめ多数の文化財を有しています。元来は、真言宗でしたが、江戸中期頃に臨済宗妙心寺派の末寺となりました。
 
   二天門(県重文)               本堂
 
本尊の木造十一面観世音菩薩坐像(国重文)表示    秋葉堂
3、◆龍福寺(りゅうふくじ)臨済宗
 加治田城主佐藤紀伊守の母(特林妙福大姉)が竜福庵を開き、後に佐藤紀伊守により菩提寺として建立された。 
 
   入口             山門
 
   本堂                  雲板表示(青銅製の「雲板」(県重文))
4、◆大梅寺(たいばいじ)黄檗宗
 平安時代、後一条天皇から賜った観音像を安置したのが創建と伝えれれる。聖観音菩薩立像(県文)(秘仏)には「昔、信者が斬られそうになると自ら身代わりになった」と言伝えの刃傷が残っている。
  
    山門                     身がわり観音の表示
 
   山門                    本堂
 5、◆大山神社(おおやまじんじゃ)
 平安時代に全国の神社名を延喜式神名帳に大山神社と記されており、式内社として認められた古い創建の神社です。
 御祭神は大山祗神(おおやまづみのかみ) 
 由来は創立不詳
 
     入口の鳥居           神殿 
                       以上

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