きままな旅

きままな旅ときままな日記

2019/04/29 岐阜県山県市の明智光秀ゆかりの地を訪ねる。

2019-05-01 | 尾張文化の会

2019/04/29 岐阜県山県市の明智光秀ゆかりの地を訪ねる。
〇大桑城跡(おおがじょうあと)
大桑城跡は大桑地区にある標高407.5mの古城山山頂にある。
林道椿野からはじかみ線の中腹(推測標高260m)にある登山口より登った。
パンフレットによる行程は距離約750m、時間20から30分とある。

登山道入口
 
説明板
 
肩幅しかない道 途中の石垣
 
登山道から見るおおが城山公園   公園側からの合流点
  
伝「台所」   伝「天守台」

標高407.5m頂上の標柱と頂上標示版
   
ミニ大桑城  説明板

伝「猿馬場」
〇明智光秀の墓所(桔梗塚)
白山神社(中洞地区)の一角に「桔梗塚」と呼ばれる光秀の墓がある。
石標には「惟任(これとう)将軍日向守光秀公之墓」とある。
ここに秀光公の墓所がある訳は、光秀が「山崎の合戦」で命を落としたと思っていた。しかしこの地区では合戦で死んだのは影武者で、光秀は中洞に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、その後徳川家康の要請で関ヶ原の合戦に向かう途中、根尾川の増水で馬ともに押し流されて亡くなったと云う。
 
 白山神社 参道 鳥居
 
 拝殿
 
参道  案内板
  
桔梗塚  
〇うぶ湯の井戸跡
光秀の母が産湯の水を汲んだという井戸がある。
 
うぶ湯の井戸
〇南泉寺(なんせんじ) 臨済宗
永正14年(1517)土岐政房(当時の守護で頼芸(よりのり)の父)が土岐氏の菩提寺として開山した。土岐頼武(頼武と頼芸は土岐政房の子とされる)の長男である頼純(よりずみ)が天文十六年(1547)に亡くなった際はこの寺に葬られて、寺内に墓があると云う。
 山県市を代表する寺で、指定文化財が数多く残された文化財の宝庫と伝える。
 
石標  文化財の案内板
参考、東農地方で何んとなく聞いた話より。
美濃守護は初代頼貞(よりさだ)2代頼遠(よりとう)11,12代頼芸(よりのり)12代頼純(よりずみ)
〇十五社神社
平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬した。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した狛犬一対(市重文)が存在する。
 
石標と参道   案内板
 
太鼓橋と拝殿
 
拝殿   神殿
〇四国堀跡(市指定史跡)
空堀と土塁の跡で、堀の幅約5m、土塁の長さ約100mの大きさである。
四つの国(尾張、伊勢、越前、近江)の加勢を受けて築いたと伝える。
 
案内板  四国堀跡
〇六萬墓
天文11年(1542)斎藤道三が大桑(土岐氏)へ進攻する「大桑大乱」で多くの戦死者が埋められた場所。
 
六萬墓
〇甘南美寺(かんなみじ)臨済宗
本尊は行基作と伝える十一千手観世音菩薩(秘仏)と云う。

石標と横の参道

弁財天
 
参道階段と滝  山門
 
参道 
 
本堂  本堂の側面
 
モミの木(文化財)
 
花の木の大樹(文化財)
〇白山神社(東深瀬)国重文
祭神は伊邪那美です。
ここ山県市には多くの白山神社があるが唯一の国指定重要文化財である。
 
参道 鳥居
 
拝殿(国重文)  神殿
以上

コメント