きままな旅

きままな旅ときままな日記

2016/03/15 岐阜県関市の古刹、新長谷寺、千手院を訪ねる。

2016-04-22 | 尾張文化の会

2016/03/15 岐阜県関市の古刹を訪ねる。
●新長谷寺(しんちょうこくじ)吉田観音(きったかんのん)真言宗智山派
 寺伝では、貞応元年(1222年)後堀河天皇の勅命により、空海の四世護認上人の開山で、
天皇の勅願寺、国家鎮護の道場として時の権力者に保護されてきた格式の高い寺である。
文化財(国重文)は本堂、三重塔、大師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、薬師堂、鎮守堂は全て檜皮葺であり客殿は銅板葺です。
 仏像は秘仏の木造十一面観音立像(長谷寺の十一面観音と同じ木で作られたと伝わる)厨子入木造阿弥陀如来立像とも鎌倉時代だそうです。
仁王門(関市文化財)と数多くの文化財がある。場内は撮影禁止なのが残念です。
◇鎌倉ニ階堂出羽守行藤朝臣の墓
 ニ階堂出羽守行藤は、稲葉城二代目城主で北条氏の朝臣であり、正安3年(1301)出家して道雅と名乗り仏道に精進した。
  
仁王門  三重塔  本堂  大師堂 

●弁慶庵 惟燃記念館(いねんきねんかん)
 広瀬惟然(ひろせいねん)慶安元年(1648年)から正徳元年(1711年)は、江戸時代の俳人で松尾芭蕉の弟子で「蕉門十哲(しょうもんじってつ)」の一人であり、その惟然が関に居た時に住んでいたのが「弁慶庵」です。
  
入口    惟然(いねん)像
◇芭蕉と惟燃
 芭蕉が岐阜を訪れた折、その門人となり、元禄時代には近江、京都、伊賀上野など芭蕉の旅のお供をした。特に芭蕉最後の旅では厚い信頼を得て、師が病の床に伏すと一心に看護にあたり最期をみり、師の遺言により遺骨を義仲寺に葬り恩師の菩提を弔った。

 義仲寺、 芭蕉の墓の配置図
・かうゐるも大切な日ぞ花盛  惟燃の句碑
・稲の香や今朝は伊吹も軒の山  露牛の句碑
 
惟燃の句碑    露牛の句碑
・昭和27年10月15日 柳原白蓮 高木邦子(三笠宮妃の母)の記帳

柳原白蓮のサイン
●千手院 曹洞宗
 千手院は1288年に奈良県より関に移ってきた寺で、開基は関の刀鍛冶の祖である元重公の娘婿「千手院包永(かねなが)」です。刀鍛冶と縁の深い事から現在も元重公の石碑と位牌が安置されており、毎年11月には境内にある「元重翁之碑」前で神事が行なわれ、元重翁慰霊祭は、通称「鞴祭り(ふいごまつり)」とも呼ばれる祭りがもようされます。
◇元重翁之碑とは
   関市内にある千手院の境内には、この地に刀鍛冶の技術をもたらしたと伝えられる、刀祖 元重を祀る「元重翁之碑」があります。この碑は、刀鍛冶の始祖を崇めるために、大正4年(1915)11月13日に当時の町の有志を中心に建碑されました。
 
 石碑と山門   元重翁之碑
  以上

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