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石井孝 『近代史を視る眼』1996 吉川弘文館 田中彰『明治維新の敗者と勝者』1980 NHKブックスほか 1-5-2

2016年11月01日 | 幕末・明治維新

      ▲アーネスト・サトウ 坂田精一 訳 『一外交官が見た明治維新』 下 岩波文庫 1960年 定価当時 120円

 

 

石井孝 『近代史を視る眼』1996 吉川弘文館 田中彰『明治維新の敗者と勝者』1980 NHKブックスほか 1-5-2

 

ねずまさし、石井孝、田中彰、原口清らが、孝明天皇の死をめぐって論考を発表しているのだが、その立論のもととなった、『孝明天皇紀』、『中川忠能日記』などは、地域の基幹図書館には収蔵していない。閲覧不能。それで、インターネットで、古書を探すが、価格は揃いのもので両者とも入手すると10万円なり。半年以上雑誌も本も買わずにプールするとなると、私も干からびてしまうだろうから、これは無理難題。ということで、国立国会図書館の「デジタル・ライブラリー」に望みを託す。・・・・・・・・・!    ありました!

 

▼『孝明天皇紀』

 ▲ 『孝明天皇紀』

 ▼『孝明天皇紀』

 

 ▲ 『孝明天皇紀』

 

 

上記の『孝明天皇紀』、『中川忠能日記』は電子化されて、閲覧・ダウンロード可能になっていました。1回につき50頁ずつ、PDFファイルにした上で、ダウンロードできるようになっている。年末からしばらくは、この記録を入手して、各論者の論点と資料の扱いを一覧表にして、論の根拠としている資料の読み方を比べる必要を感じる。

国立国会図書館の「デジタル・ライブラリー」は、もっと頻繁に探してみたい。


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『孝明天皇紀』、『中川忠能日記』を探しているとき、もしや、アーネスト・サトウの、戦前に刊行された訳本も見つかるのではないかと思い、検索してみると、塩尻訳のものは、見あたらない。

ねずまさしが、『天皇家の歴史』下巻 三一書房 で書いて触れていた本については、デジタル化されてはいなかった。

 しかし、その代わりに、宮内省が、1938年に維新史料編纂訳として出したものが見つかった。

 

▼アーネスト・サトウ 維新史料編纂事務局訳編 『維新日本外交秘録 全』 

  ▲アーネスト・サトウ 維新史料編纂事務局訳編 『維新日本外交秘録 全』 中扉

 

一応表紙扉の頁にという文字があるので、全訳という意味だろうと思うのだが、念のため、目次をみると、省略している章はない。

しかし、頁を繰ってみながら、アーネスト・サトウが、孝明天皇が、毒殺されたのだという噂を聞いた話の、重要な部分について探したのだが、岩波文庫には、このブログで紹介したのだが。戦前版では、

・・・・・・・・・・・となって、その部分の訳出がないのだった。史料が、カットされているのだ。

 

▼ 『維新日本外交秘録 全』 の中にある、孝明天皇毒殺の噂話のカットされた部分の頁

 ▲『維新日本外交秘録 全』 の中にある、孝明天皇毒殺の噂話のカットされた部分の頁

 

ここのカットされた部分の訳は、岩波文庫に入っている坂田精一訳のものは、このブログの10月22日記事で掲載しているのだが、再掲する。

上の・・・・・・・・・・で、消去された、文章は以下のものである。

 「噂によれば、天皇は天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が確言したところによると、毒殺されたのだという。この天皇(孝明天皇)は、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人びとに殺されたというのだ。」 アーネスト・サトウ 『一外交官の見た明治維新』1960年岩波文庫 (234頁)

 

維新の史料を後世に遺すという一大国家的編纂事業が、上のような、英国外交官の記録を削除しているという事実は、何を言外に意味させるものだろうか。

明らかに、修史事業として、国家が国民に知られたくない、噂話さえも消去したいということは、「国家は何かを恐れていることがある」 からなのではないだろうか。と疑うのが自然な態度ではないだろうか。

 

韓国では、1909年、今では国民的英雄となっている安重根が、ハルピンで伊藤博文を襲撃し暗殺したとき、その裁判過程で、拘禁中に書いた手記「伊藤博文罪悪」と題するものがあり、その中で、当時の韓国人が、どのような眼で、日本人・伊藤博文らを見ていたかよく分かるのだが、その中で

、一八六七年、大日本明治天皇陛下の父親太皇帝陛下を弑殺した大逆不道のこと。」

、一八九四年、人を韓国に遣わして兵を皇宮に突入させ、、大韓皇后陛下を弑殺したこと。」・・・・・・・・と、訴えていることである。(『日本政治裁判史録 明治後期』「伊藤博文暗殺事件」530~531頁参照)

安重根は、孝明天皇が家臣たちに殺されたこと、また、韓国皇后妃も日本の一部政治勢力によって殺されたことを訴えていたのである。

孝明天皇が暗殺されたという噂は、韓国王妃の暗殺事件によって、より疑いが補強され、韓国国民の中にも浸透していたこと、また一般的な心情であったと思われるのだ。

 

 

つづく



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