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戦後雑誌掲載の幕末の天皇 瀧川政次郎「皇室史の悲劇」 『新潮』1951年10月ほか

2017年06月04日 | 幕末・明治維新

                     ▲  『新潮』1951年10月 瀧川政次郎「皇室史の悲劇」 新潮社

 

 

『新潮』1951年10月 瀧川政次郎「皇室史の悲劇」 新潮社 ほか

『人物往来』 1958年7月号 特集 日本史の奇談 

『歴史読本』 2001年8月号 特集幕末維新 未解決事件の真相

 

『人物往来』 1958年7月号 特集 日本史の奇談 ほか

▲遠山茂樹 編 『近代天皇制の成立』 1987年 岩波書店 

 

 ▲遠山茂樹 編 『近代天皇制の成立』 1987年 岩波書店 収録 原口清 「近代天皇制成立の政治的背景・・・・・幕末中央政局の基本動向に関する一考察・・・・」 より (141頁)

幕末明治維新期、孝明天皇の死は、大きく政治を転回させたと思うのだが、、石井孝ほか、戦後初期のねずまさしの論考まで、なんとか捜しだし、読むことができた。

1980年代初期までは、これが、幕末明治維新の、通説になっていたと思っていたのだが、この問題は、研究者の間ではタブー化しつつあるようで、上の原口清の論考では、「孝明天皇毒死以後」という8語のみで、次の政局の変化に移動している。「朝廷の脱皮」ということばで、政治の変化を記述している。

この論考は、論文最後に1982年2月27日と日付があるので、脱稿の日なのだろう。『近代天皇制の成立』の出版は1987年なので、5年以上のブランクがある。原口清はこの1982年の初めまでは、孝明天皇の死を「毒死」としていた。その後、1989年ー1990年には、石井孝との論争の元になった、「孝明天皇痘瘡死説」を採用することになる。

原口清の論は『日本近代史の虚像と実像』 1 開国~日露戦争1990年大月書店  所載の「孝明天皇は毒殺されたのか」である。

それ以後は、歴史論文としては石井孝の反論の入った『近代史を視る眼』 1996年 吉川弘文館があるがそのほかは見あたらない。(私が単に発見していないだけかも知れないが)

ところが、専門の歴史研究雑誌以外に手を伸ばすと、民間の江戸時代研究家や、文学者、作家などが、孝明天皇の死をめぐっては、様々な説を披露している。気がつかないでいた面白い見解もあった。

このブログでは5月29日に孝明天皇の死をめぐる論考を紹介したことがある。1974年に出た『終末から』という雑誌が、天皇論の特集を組んでいて、そこで、古代文学・神話論研究者の益田勝実「天皇史の一面」というエッセィを寄稿しているもの。

それ以外にここ数ヶ月で捜せたものは以下の3冊。この中で孝明天皇の死について触れている。

検索項目が網羅的でないため、孝明天皇の死をめぐる論説は一般向けの雑誌には見落としは膨大にあると思われる。あくまで、私的読書計画のためなので悪しからず。

学術論文のように、一次資料を用いなくても、一般誌は差し支えないので、玉石混淆であるのは仕方がない。噂話であっても、のちに資料が発見される場合もあるから、いつの時代、どこの地域で流布されていた風説なのかも、メモしながら、捜してみることにしよう。

噂話、風の便りも、庶民の政治意識・構想力と捕らえ返すと、また別の歴史考察できるので侮れないと思う。

 

以下、今日は、時間が押してきたので、著者・寄稿論文名のみ

 

▲『歴史読本』 2001年8月 特集幕末維新 未解決事件の真相

 ▲目次1

 ▲ 目次2

 

 ▲『人物往来』 1958年7月号 特集 日本史の奇談 人物往来社

 

 ▲『人物往来』 1958年7月号 目次 1

 ▲ 『人物往来』 1958年7月号 目次2

 

▲『新潮』1951年10月号 新潮社

▲『新潮』1951年10月号 目次 1

▲『新潮』1951年10月号 目次 2

 

本の図版は、新しい順に並べたが、著者・論文名は古い順に記しておきます。

 

1951   瀧川政次郎 「皇室史の悲劇」  『新潮』1951年10月号

1958   南條 範夫  「孝明天皇暗殺説の傍証」 『人物往来』 1958年8月号 特集日本史の奇談

1958   村雨退二郎 「再び天皇の死因に「ついて」 『人物往来』 1958年8月号 特集日本史の奇談

2001   麻倉 一矢  「岩倉具視 孝明天皇毒殺疑惑の真相とは何か?」 『歴史読本』8月号

 

つづく



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