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ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

神様ごはん(後編)

2015年02月21日 22時33分55秒 | マイブーム

神様は、台所が大好きです。
だから昔は、
どこの家の台所にも、
神様がいらっしゃいました。

台所という場所は
いわば、家一軒一軒に存在する、
小さな神社のようなものなのです。 

 『神様ごはん』の冒頭の文章です。「なるほど~。そうだよね」と、一気に読み上げた私は、翌日の日曜日に早速、台所や冷蔵庫の掃除・片付けをカミさんとおこないました。著者は、他に、料理に“神道”の意識を活用していることも感銘を受けました。

 「料理、食事のチカラはスゴイ!」ということは、以前から認識していました。それは、10数年前に観た、映画「ガイアシンフォニー(地球交響曲)第二番」の佐藤初女さんのエピソードによるものです。初女さんは、“おむすび”、“食”で人に生きる力を与えることができるという実践を行われていました。感動した私は、何度も「ガイアシンフォニー」の自主上映会を開催しましたし、東北旅行の際には、初女さんの活動拠点である弘前の「森のイスキア」にも寄らせていただきました。初女さんは、ご不在でしたが・・・

(2005年9月)

 また、福岡で初女さんの「おむすび講習会」があったときも、ご縁あって参加することができ、初女さん直伝のおむすびの作り方を学びました。


(過去記事で使用した画像。末っ子ヤマトくんも幼いなぁ。懐かしいですね)

 そんなことから、“食”に対して、意識して生活してきましたが、今回の「神様ごはん」で、あらためて感謝と思いを強くしました。

 早速、「神様ごはん」著者が薦める味噌と醤油を調達しました。塩は、従来から使っている「キパワーソルト」。「神様ごはん」でも、この塩を薦めていました!ちょうど、カミさんが、1ヶ月前に、ぬか漬けを始めていましたし、米は、信州・安曇野の友人夫妻が作っているコシヒカリを愛用していますし、素材はバッチリ!!! 我が家の家計でできる範囲でね☆

 高校生になったヤマトくんのお弁当にも、“塩おむすび”を入れてあげるよう、カミさんにお願いしました~。私も早起きして、たまには握るか(笑)

 お米を洗って炊くのは、私の役割でしたが、味噌汁も時々作ることにしましたし、包丁も私が砥石で研ぐことにします。

 食生活が、さらにワクワクしていきます☆


神様ごはん

2015年02月16日 00時32分59秒 | マイブーム

書店の「料理本」コーナーで、じっと一点を見つめ立っているオトコ
奇異に見られたかもしれません(笑) ワハハ☆

 書店での本との出会い♪ インターネットではなかなか無い経験です。

 先日土曜日。家族とイオンモール筑紫野に出かけました。イオンモールのパターンは、お昼から出かけ、昼食をいただき、家族はショッピングなどを楽しみます。私は、その間、フードコートで珈琲をいただきながら、ノートパソコンでできる仕事をします。

 今回は、仕事で必要な資料を探しに、館内にあるツタヤ書店に行きました。30分ほど時間をかけて、資料になる本を数冊選びました。で、ついでに、他の書棚をブラブラ見てまわっていると・・・

 ふと、足が止まりました。

 それは、「料理本」の新刊コーナーに数冊、平積みされていました。

 『神様ごはん』という本でした。タイトルに「運を呼び込む」。そして、帯には、「作るごとに悩みが消えて、食べるごとに運が開ける。」「人生が変わった!全国から感動の声続々」「全国から予約殺到の開運料理人が教える奇跡を起こす食の作法」などのキャッチーな言葉が踊ります。「料理」というカテゴリーより、「自己啓発」「精神世界」系のコーナーに置かれていそうな本です(もしかしたら、それらのコーナーにもあるのかもしれません)。

 私、この5年ほど、書店では「自己啓発」「精神世界」の書棚には、めったに足を運びません。新刊本のコーナーに置かれているそれら関連の本のタイトルは目に入りますが、ページをめくることもありません。
 なんと言いますか、エラそうですが(笑)、そういう分野の本には興味が無くなってしまいました。

 今はとても幸せだし、充実しているし、悩みもありません。心の整え方、方法論もわかるし、私なりに『宇宙の法則』『見えない世界のしくみ』『霊的なもの』がわかった気になっていて(笑)、 日々、感謝と実践を行っている段階です。ベースになっているのは、故・小林正観さんや木内鶴彦さんの本とお話し(このお二人とは縁があり、近いところでお話しや旅をさせていただきました)。それと、伊勢白山道さんのブログです。今でも毎日読んでいます。

 おかげさまです。ありがたいことです。

 そんな生活をしている中ですが、『神様ごはん』に目が止まり、足が止まりました。

 じ~っと表紙を見たまま、立ち止まっていました(笑) ものの数分のことでしょうが・・・

 で、やっと本を手に取り、パラパラとページをめくりました・・・

 「買おっ!」(笑)

 その後、フードコートで珈琲をいただきながら、2時間ほどで一気に読みきりました♪ 文字数が少なかったこともありますが、スッと私の中に入ってくる内容でした。

 最後のページに差し掛かったとき、家族が笑顔でやってきました。1分待ってもらい、完読!このタイミングもオモシロイですね☆

(つづく)


初!榊

2015年01月13日 22時42分40秒 | マイブーム

なんとも言えない喜びです☆・・・自己満足ですがね(笑)

 先日、神棚の榊の交換時期がきました。

 そこで!ふと思ったのです。「庭の榊を使おう!」

 神棚をお祀りしだしたのが、7年前でした。伊勢白山道氏のブログと本を読み出して3ヶ月ぐらい経ったころでしょうか。「神棚をお祀りしたい!」と思い始めました。そうすると、ちょうど、伊勢神宮に行く機会に恵まれました。シビレますね(笑) そして、伊勢の内宮、外宮、伊雑宮でお札をいただき、神棚は内宮で購入しました。氏神様は、春日神社のお札で、神棚をお祀りさせていただきました。
 それ以降、ほぼ毎年、伊勢にお参りすることができ、お札を交換して、お祀りさせていただいています。ありがたいことです。

 榊は、国産のものを使っています。

 6年前ぐらいに、大型園芸店に国産榊を買いに行ったときの事です。榊の苗が売っていましたので、2本購入し、庭に植えました。それから年月が経ちましたが、ふと、「庭の榊を使おう!」と思ったのです。まだまだ、小さいですが、枝を選りすぐって収穫しました。左右8本づつ。

 臨死体験でさまざまなことを見てきた木内鶴彦さんから、榊を神社(神棚)にお供えする由縁を聞いたことがあります。どれだけ、山の手入れをしているかをお知らせするためのものとして、榊をお供えしたそうです。「これだけ、立派に山が育っていますよ」と。もちろん、他の方のお話では、榊の持つ霊的理由もありますが。
 ウチの場合、“山”ではありませんが、庭で育った榊を神棚にお供えするなんて、なんとまあ、うれしいことでしょうか。

 “だから何”的なお話です(笑)


得意な人、求めます☆

2014年12月24日 01時11分04秒 | マイブーム

私、褌(ふんどし)好きです☆大好きです☆

 最近は、“クラシックパンツ”という名でも、ちょっとしたブームにはなっているようです。

 友人のススメで、着用を始めて、かれこれ6年ぐらいでしょうか。常時愛用しています。褌のよさを体感すると、もう、トランクスやブリーフには戻れません(笑)

 はじめは、友人の知人でもある、“麻”で有名な中山康直さんプロデュースの“麻100%”のものを愛用していました。(※麻100%でないものもありました)
 褌ライフは、それはそれは、幸せ感あふれたものでした(笑) 日本人の魂、大和魂といいますか、丹田で蝶々結びで締めるという所作、キリリと引き締まった感がありました。褌の歴史、効用は、ネット上でも多々ありますから、チェックしてみてくださいね。

 愛用したのはよいですが、私の肌が弱いのか、着用を始めて1ヶ月ごろから、お尻がガサガサになりました(^^;ゞ それでも、気にせず、皮膚科の病院に通い、薬を塗りながら過ごしました。が、ある時、偶然にテレビ番組で、『肌は、ガサガサしたものに触れると、肌もガサガサになる』という主旨を聞きました。なるほど、肌に強い刺激を与えると、肌もそれに反応するらしい。ブラシや、目の粗いタオルでゴシゴシすると、肌がそれに負けじとガサガサになるようです。
 「なるほど!」私はポンと納得がいきました。もちろん、このことは、個人差があるので、ご承知下さい。

 それからというものの、褌の生地や染め方を色々と試してみました。しかし、意外とネット通販でも、褌のバリエーションは、それほど多くはありませんでした。 
 そして、いよいよ、高級生地、“シルク”を使ってみようと思いました。

 が!

 ネットで探しても、ほとんどありません。歴史的にも、そもそも、褌は綿が素材でしょうから、高級なシルク製の褌について、バリエーションがありませんでした。しかし、その中でも、「これは!」と思えるものを購入してみました。

 商品が届きました。

 が、サイズがとても大きいものでした。もちろん、通販サイトでのサイズ表示はありましたので、私の責任、判断です。サイズに関して、選ぶものはなく、“それ”しかありません。それでも、あまりにも大きいものでした。後日、仕立て直し屋さんに依頼して、サイズ直しをしようと思います。 お金をかけてでも、使いたい生地でした☆


 そこで、私は、思いました!


 ネットで売られている褌について、売っている人は、愛用していないのではないか?(笑) 愛用者ならではの、視点が無いのではないか?ただ、“商品”として、扱っているだけ・・・


 そして、私は、思いました!


 ならば、全国の、“褌愛用者”(私と同じような境遇の人)のために、褌をプロデュースしようと(笑)

 なにごともそうですが、“現場の意見”、“愛用者の目線”、“実践者の感想”こそ、重要です。


 と、いうことで、募集します!


 福岡市近郊在住で、ミシン・裁縫が得意で、生地の調達にもそれなりのルート、手段、アイデアをお持ちの方。私と、ジェッツ的“褌の世界”を作っていきませんか?(笑)

 興味ある方は、ご連絡下さい。応募できる方は、私と今までにご縁ある方にします。ご縁ある方は、私の連絡先をご存知でしょうから、よろしくお願いします。


どうした!?諏訪大社!!!

2014年05月22日 23時12分37秒 | マイブーム

何があった!?諏訪大社!!!

 私の“心のふるさと”のひとつ、長野県諏訪地方。そこに鎮座する、諏訪大社。
 仲間達や、ひとり旅で何度か訪れた神社です。
 

 今年2月にデアゴスティーニから創刊された週刊『日本の神社』。・・・買い続けています(笑) “読む”というより、“コレクション”です(笑) まんまと出版社の“思うツボ”にハマっています(笑) 今週で、16号です。100号まで、イッちゃうか?(笑)

 実は、発刊当初、第6号は諏訪大社(信濃国一の宮。長野県諏訪市周辺)だったはずです。創刊号にも「第何号」の記載はありませんでしたが、6番目に諏訪大社が刊行されることを連想させる記載がありました。出版社のホームページにも、諏訪大社が「第6号」として、表紙まで掲載されていました。表紙の写真は、本殿の前を二人の巫女さんが横切る構図だったことを記憶しています。

 ところが!

 実際の第6号は、北野天満宮でした!・・・そして、第16号に至るまで、諏訪大社は出ていません。もちろん、出版社のホームページも、第6号・諏訪大社は削除されていました。

 諏訪大社で何があったのでしょうか? おそらく、製本も済んでいたのではないのかと思えます。“発禁”になった理由はなにか?

 諏訪大社といえば?・・・古代ユダヤ、イスラエルとの関係ネタがあったのではないかと想像します。それが、なにがしらの影響で、“発禁”になったのではないかと。妄想です(^^)/

 忘備録として、書いておきますね~


『村上海賊の娘』の旅(その7:最終回)

2014年05月20日 21時12分48秒 | マイブーム

山の神様が海の近くに!?

 そ~なんです。伊予国(愛媛県)の一の宮がどんな神様で、どこに鎮座されているか、ご存知ですか?

 『大山祇(おおやまづみ)神社』といいます。大山積神 (おおやまづみのかみ)がご祭神です。全国の大山祇神社、三島神社の総本社です。山の神様です。別名、日本総鎮守!芸予諸島の大三島に鎮座されています。このブログの(その4)のマップをご参照ください。1999年、『しまなみ海道』が開通するまでは、『大山祇神社』へは、船でないと行けませんから、愛媛の方々も、なかなか一の宮に参拝できなかったことでしょう。

 大山祇神社』は、歴代の朝廷や源氏・平氏をはじめ多くの武将から尊崇を集めました。村上水軍の氏神でもあります。「村上海賊の娘」では、武吉が連歌の会を開催し、出陣を遅らせたシーンの舞台でもあります。

 「村上水軍博物館」を堪能した後、大島から伯方島を渡り、30分ほどクルマを走らせ、大三島の大山祇神社を参拝しました。長年、訪れたいと思っていた地です。駐車場があるのかないのかわからなかったので、近くの物産館のような商業施設にクルマを止めました。

 ここには、「村上海賊の娘」景が憧れる鶴姫=神社の祭職・大祝(おおほうり)氏の娘であり、三島海賊として活躍した鶴姫の伝説もあります。鶴姫は、“瀬戸内のジャンヌダルク”とも言われています。詳細は割愛しますm(_ _)m

 鳥居をくぐると、武吉や吉継が連歌を行ったところ、御神木の「乎千命(おちのみこと)御手植の楠」がド~ンをあります。
 境内を散策し、隣接された紫陽殿や国宝館で、今では国宝や文化財となった甲冑などを鑑賞しました。 

 そして、神社からクルマで30分で因島(いんのしま)にある、因島水軍城に到着です。因島村上の当主・吉充(よしみつ)も、「村上海賊の娘」では、とてもよいキャラクターとして描かれていました。

 残念ながら、夕方5時を少し過ぎ、閉館していました。駐車場から城へ向かう階段を上っていると何人かの観光客とすれ違いました。最後は、施設の方と思われる男性とも、すれ違いました。「今から上るの?」的な視線を感じました(汗) が、閉館していても建物は外から間近に見ることができます。ガイド本等で城郭と思っていたものは隅櫓で(画像:右)、本丸は隅櫓の左にありました(画像:中)。閉館しているおかげで、全く誰もいない、のんびりした時間の中、因島村上に思いをはせました。

 しまなみ海道、「村上海賊の娘」を訪ねる旅はこうして終わりました。

 そして、途中、仮眠をはさみ、高速山陽道・宮島SAから宮島・厳島神社を遥拝し、瀬戸内・水軍の旅を締めくくりました。

 

 パソコンの仕事も、「村上海賊の娘」を訪ねる旅も含め、充実感いっぱいの旅でした。
 水軍好きですから(笑)、「村上海賊の娘」を読んでいなくとも、しまなみ海道は楽しめたでしょうが、やはり、読まずに訪れるより、読んでから訪れると、何倍も楽しみ方が違う、感動が違う旅でした。 パソコンサポートが当初の予定通り2月に訪問していたら、その後に、「村上海賊の娘」を知り、それはそれは、地団太踏んだことでしょう(笑) 本を読み終わってはいませんでしたが、十分でした。
 タイミングバッチリ。おかげ様の計らい満載の旅でした。

 ありがとうございます。


『村上海賊の娘』の旅(その6)

2014年05月08日 22時32分25秒 | マイブーム

ウホホ~

 にやけた顔が止まりません(笑)

 能島・潮流体験の後、村上水軍博物館を楽しみました。まず、向かったのかグッズ売場。しかし、水軍グッズはあるものの、“物欲”全開にさせるものはありませんでした(T_T)

 しか~し! 入館受付横に置いてあった資料販売コーナーに、目が輝きました☆村上水軍に関する資料です。ここでしか売っていないものばかりです。めったに売れることもないのでしょう。スタッフの方も、慣れない手つきで指定した資料を出してきて袋に入れながら、(たくさん買う人だなぁ)と思われたことでしょう。

 水軍好きの私は、何点か購入しました。無料でいただけた資料もありました。潮流体験とともに、ここに来た甲斐がありました。

 館内には、小説にも出てくる「小早(こはや)」「関船(せきぶね)」「安宅(あたけ)」の船たちの模型も展示されていました。縮小割合はバラバラでしたが・・・
 あまり展示物は多くありませんでしたが、楽しめました。 

 帰り際、資料を購入した際のカウンターに“ご自由にお取り下さい”的に置いてあった、能島村上の旗指物に「これいただいてよいですか?」「どうぞ。手作りなんですよ」

 早速、クルマのダッシュボードに飾り、テンションあげあげ。調子のりのり。

(つづく)


『村上海賊の娘』の旅(その5)

2014年04月23日 21時55分34秒 | マイブーム

その激しい潮流は“よそ者”を寄せ付けません。

 ヤフーマップで能島(のしま)の衛星写真を見ると、その潮流の激しさがわかります。海面の白いところは波が激しく動いています。島の周囲は、とても潮の流れが早く、複雑なのです。能島が“海の要塞”となりえた理由です。潮の流れを知らないよそ者にとっては、攻め難い島なのです。

 最大10ノット(時速約18km)といわれる潮流を体験できるのが、宮窪瀬戸の潮流体験です。40分かけて、能島周辺をぐるっと回ります。今は無人島の能島には上陸できませんが、見ごたえはありそうです。

 潮流体験は、村上水軍博物館の向かえにある『水軍レストラン:能島水軍』で受け付けています。お店に入りました。

 で、次回14時の便に乗ろうと思い、「潮流体験受付」と表示のあるレジのお兄さんに、「潮流体験をしたいのですが」と言ったところ・・・
 「今の時間、潮流が穏やかですけどいいですか?」・・・つまり、“潮の流れは穏やかで、おもしろくないよ”ということです。私が、「じゃ、15時の便ではどうですか?」「あまり変わりませんねぇ」 激しい潮流の時間帯は、大潮小潮などにより、その日によって違うそうです。公式ホームページで最適時間帯のカレンダーがあります(こちら)。
 私が、「う~ん」と、しばし沈黙していると、「お客さんが船を出せと言われるなら、出しますけどね・・・」 私が、14時便の乗船申込みの初めての客だったようです。もちろん、この後も、乗船申込者がゼロなら、運休するのでしょう。しかし! 私は、「じゃ、14時の船でお願いします」(笑) (もしかしたら、私ひとりの貸し切り状態か!?)

 能島は、“穏やかな”海で私を迎え入れてくれました。 ってことです。能島がウエルカムってことです。 激しい潮流で、私を拒むことは無かったのです。

 出港まで20分ほど時間がありましたので、ベンチに座り、能島海域をバックに『村上海賊の娘』を読み進めます。至福の時です☆

 そして、結局、私の後、10人ほどの申込者がいたようで、船(定員40人)は出港しました。私は能島を見るには眺めがよいと思われる、最前列左側の席に座りました。

 ほどなく、能島が見えてきました。テンション上がってきた~

 『村上海賊の娘』著者の和田竜氏も言っていましたが、実際に船に乗って、この海域を船からの目線で見ると、目の前にひろがる島々は重なり、どこが入り江で、どこが海路かわかりません。島々のどこを進めば、芸予諸島を効率よく東西に行き来できるかわかりません。俯瞰(ふかん)した地図なら一目瞭然ですが、当時は、この海域に慣れている者=海賊(水軍)の案内がなければ難しかったことでしょう。また、そこには、通行料が必要でした。海賊が経済的に発展した理由のひとつです。

 船は進み、能島にどんどん近づきます。アドレナリンどっさりです(笑) 周囲720メートルの三角形の小さな島ですが、瀬戸内水軍の歴史では、大きな存在でした。


 小説にも出てくる船着場です。ミーハーと思われますが、本を片手に記念ショット☆ うれしぃ~

 船は一旦、能島から離れ、いくつかの瀬戸や見近島などを見物します。小説の中で、能島に向かうも、この海域に不慣れな毛利水軍が、どんどん村上海賊に追い越されていくシーンがふつふつと蘇ります。

 で、また、能島に戻ってきます。能島最大の西の船着場です。

 あぁ、もうたまりません!(笑) 景が、武吉が、景親が、元吉が、村上海賊たちがこの島を舞台に駆け巡るのです!

 大賞発表後の今では、本を片手に乗船する観光客も増えたことでしょう。

(つづく)


『村上海賊の娘』の旅(その4)

2014年04月16日 22時19分21秒 | マイブーム

「お客さんが船を出せというなら出しますけどね」
相手は、怒っているわけでもなく、イヤイヤでもありません(笑)

(帆を上げろ!出港じゃ!船を出せ!!!)と、私は心の中で下知を飛ばしながら、ニコニコと「じゃ、お願いします」(笑)

 しまなみ海道、村上水軍を訪ねる旅。まずは、来島海峡SAからの景色を楽しみました。

 一口に『村上水軍』といっても、3つのグループに分かれます。いわゆる、『三島(さんとう)村上』といいます。それぞれの本拠の島の名前から、『因島(いんのしま)村上』『能島(のしま)村上』『来島(くるしま)村上』と名乗りました。これら三島村上は常に“一枚岩”ではありませんでした。時には敵と味方に分かれて戦ったこともあります。そして、この三島村上の中で最大のチカラを誇ったのが、能島村上です。その大将が、村上武吉(たけよし)です。
 『村上海賊の娘』は、この能島村上、村上武吉の娘、景(きょう)が主人公の物語です。1570年ごろの史実を元にフィクションが加わった物語なので、水軍好きの私には歴史の勉強になりながら、おおいに楽しめました。

 来島海峡SAからは、来島は見えませんでしたが、来島海峡を望め、まずは、来島村上の気分(笑)
 自宅で旅のプランを練る時に感じましたが、意外としまなみ海道の情報って少ない気がします。「瀬戸内」とかを目的とした旅のガイド雑誌を読んでも、あまりくわしくありません。ネットもそうです。ま、私が、旅の目的が“水軍目線”だから、そう感じたのかもしれませんが・・・(笑) しかし、SA(サービスエリア)にはマップを中心としたたくさんの無料印刷物がありましたので、助かりました。ただ、しまなみ海道の島々が愛媛今治市と広島尾道市にまたいでいるため、それぞれの観光協会が作っていたりしますので、横断的なものが少なかったりもします。が、SAでまず、資料集めをしてから動き出すのもよいかもしれませんね。

 さて、今治側から、大橋を3つ渡り、大島(伊予大島)に上陸しました。天気がよく、暖かくなりだした休日なので、サイクリングを楽しむ人たちが多かったですね。このしまなみ海道の大橋は、徒歩や自転車で渡ることができるのです。時間があれば、自転車でのんびり旅するのもよいですね。
 大島では、道の両サイドを自転車が走る中を、注意しながらクルマを走らせましたが、国道を離れ、県道に入るとパッタリ自転車の姿はありませんでした。この県道は、村上水軍博物館へ続きます。私が、訪れた時は、まだ、『村上海賊の娘』は本屋大賞を受賞する前でしたから、能島観光や村上水軍博物館まで足を延ばす人はほとんどいないようです。

 村上水軍博物館に着きました。

 今回の最大のお楽しみ!

 それは、船による宮窪瀬戸の潮流体験です☆

 私、2年半前に、しまなみ海道を旅する計画を立てました。もちろん、『水軍を訪ねるの旅』です。その時は、結局、諸般の事情で旅は中止になりましたが、その時に、宮窪瀬戸の潮流体験があることを知りました。ちなみに、島の反対側、来島海峡側にも急流観潮船(潮流体験)があります。その時は、「へぇ~。そんなのがあるんだ」ぐらいの感じで、時間があれば、船に乗ってみるかなと思う程度でした。

 しか~し!

 『村上海賊の娘』を読み出してからは、ガゼン、状況が変わってきました(笑) 2年半前に旅していなくてよかったと思えるほどです(笑) 「時間があったら乗ろうかな」と思っていたのが、今回では、「ぜひ乗りたい!」「絶対乗るゾ!」と、最大の楽しみとなったのです。

 それは、なぜか?

 『村上海賊の娘』を読み始めてまもなく、能島の情景を描いたシーンがありました。

 宮窪瀬戸の潮流体験は、まさにその能島の情景を堪能できるのです☆

 2年半前に潮流体験をしていたら。また、『村上海賊の娘』の存在を知らない2月に予定通りパソコンサポートでYさん宅に行っていたら。私はここまで、ワクワクはしなかったでしょう(笑) しかも、2月は2回も四国行きが流れました。『村上海賊の娘』を知り、穏やかな暖かい季節になってから訪れる能島。
 いつもながら、“神計らい”にはシビレます(笑) うれし~っ

 ひとり、興奮していますね(笑) 最近は、「心の整え方」「ものの見方」「目に見えない存在の話」「ありがとう実践録」よりも、旅行記ばかりですねぇ。 旅行作家のようです(笑) そういえば、故小林正観さんも旅行作家のお仕事をされていました☆ いつしか、講演会で忙しくなり、旅行作家としてのペンを置かれましたが・・・
 正観さんから、「旅行記をネット上で有料配信したいのですが」と相談され、システム構築を考えたのが10年前でした。結局、当時の小額ネット決済システム環境の未発達などで構想は立ち消え、お役に立つことができませんでした。あの時、「あぁ、正観さんは、“旅行作家”は終えられたんだな」と思いました。講演会冒頭の自己紹介も「私の本業は旅行作家です」というフレーズも言われなくなりましたね。懐かしい思い出です。

 話を戻して、私のつたない旅行記は続きます(笑)


『村上海賊の娘』の旅(その3)

2014年04月13日 15時44分20秒 | マイブーム

間に合いました。
よかった~

 小倉港。松山行きのフェリーに乗り込むために自宅を出発しましたが、既に出発予定の時間は過ぎていました。自宅から小倉港まで高速道で1時間10分。ナビが表示する到着予定時間も、乗船手続き時間(出港の30分前)を5分過ぎていました。ま、とにかく急ぎました。
 で、到着したのが、乗船手続き時間締切ちょうど。連休前夜でしたので、乗船手続き窓口は、少し並んでいました。間に合いました。よかった~ 案の定、クルマは最後尾でフェリーに乗りました。

 天候は大荒れでした。風向きによっては傘が壊れそうなくらいでした。船に乗っても、船内は大揺れでした。「こりゃ、酔うな(笑)」・・・しかし、間もなく出港した後は、揺れを感じませんでした。よかった~

 さて、さて、乗船後のお楽しみ☆ 生ビールタイム!

 売店やテーブル、座敷などがあるパブリックエリアで、しばし読書タイムです。もちろん、『村上海賊の娘』。かつて、水軍が駆け回った瀬戸内を今、フェリーで航行しながら、この本を読むシアワセ(笑) ちょうど、内容は、能島(のしま)村上水軍の本拠地、能島周辺の情景のシーンでした。ワクワク読み進み・・・

 生ビール2杯目!ビールも進みます(笑)・・・23:30売店の営業が終了します。3杯目を飲みたかったのですが、閉店の時間に気づかず、飲めませんでした(T_T) ま、でも、ちょうどよくできているのでしょう。寝室に戻り、就寝することにしました。瀬戸内の海上で夜を過ごしました。

 翌朝、松山港に上がり、高速道を走り、香川・観音寺市のYさん宅に到着。パソコン設置作業をしました。
 翌日、無事、パソコン作業が終わり、帰途につきます。Yさん夫婦には、1泊2日たいへんお世話になりました。ありがとうございます☆

 13:00ごろ、しまなみ海道四国側の入口の来島(くるしま)海峡SAに到着しました。さぁ!『村上海賊の娘』を訪ねる旅の始まりです!

 『村上海賊の娘』を読んで、その世界観を楽しみたい方々の参考になれば幸いです。

(つづく)