脳内出血と心筋梗塞との共生

脳内出血の発症から13年ちょっと経ち、リハビリ等でいろいろ工夫してなんとか右半身麻痺と、心筋梗塞とも共生を図っています。

3/14おはようございます(*^_^*)

2014年03月14日 22時54分08秒 | Weblog



3/14おはようございます(*^_^*)

今日もまた、元気に楽しいパワーリハビリだ‼

いつものリハビリ(パワーリハビリ、理学療法士、物療)、とスタッフ/友人との大バカ笑い、と気持ちの良いお風呂、にはいって、大いに、今日一日を楽しみ過ごしたv(^_^v)♪
10時から、夕方四時までだ(*^_^*)

今日はあまり、雲が少なくその合間に青空がでるいい天気になり、気温も9-2度と昨日よりはだいぶ暖かくなっている☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

先週の日曜日、起きる前、7:00~7:30までサンテレビの”ライフラインのつどいin郡山(福島)“を見て感動した☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
たまに、ベットで見るのだが、今日は岩井基雄牧師の”空しさから輝きの歩へ”のタイトルで、話された。素晴らしい事を言われていた☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

旧約聖書の伝道者の書から、話された。
ソロモン王は、イスラエルの三代目の王様が書いた書。二代目のダビデの子供として、多くのもの、いい過ぎではないがあらゆるものを所有した王様である。しかし、この伝道者の書の中には、“空しさ”と言う言葉がつづられていた。

聖書は、不思議な書で、神様を信じたら、こんなに上手く出来ますよとか、こんなに人生が素晴らしくなりますよとか、はあまり書いていない☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

もちろん、それは嘘ではないが、
しかし、神様は、私たちに、苦しみ、悲しみ、痛み、をお与えになる。何故こんな事がある のか、どうしてこんな事が、というところを通ることがある。

彼が、つづる空しさ、”空の空、伝道者は言う。すべては空。空しい“で、伝道者の書は、始まっている。
そして次に、心の中で言った、さ~快楽を味わってみるがいい 、楽しみを味わってみるが良い、 しかしこれも何と空しい事か。お笑いか、 馬鹿らしい事だ。 快楽か、それが一体なんになろう。

ソロモンが通った歩み、多くのものを所有したとしても、満たされないものがある。快楽を味わってもやはり空しい。笑い何と馬鹿らしいことだ。

こんな風に、あらゆるものを所有した王様が語っている。

今の私たちや子供たちが、空しさを抱えて歩むというのは、ある面当然なのかも知れません。
では、何故私たちは、このような空しさと、出会って行かなければ行けないでしょうか?
私は、どうして、悩んだり、苦しんだり、悲しんだり、病があったり、するんでしょうか?

実は、私はクリスチャンとして、四代目になる。江戸の末期に生まれた曽祖父が、明治16年に洗礼を受けた。曽祖父からずっと牧師だった。祖父、父も牧師であり、
私も牧師をやっている。しかし最初は、数学の教師だったが、神様の歩みを、子供たちに、いや本当に様々な痛みや苦しみを通る方に、聖書の言葉を伝えたいと思い、牧師をやらせてもらっている。

私の祖父は、変わり者で、必ず言っていた言葉がある。“あなたは、せっかく病気になったんだから、早く良くならないよ”と言ってビックリされます。すると、岩井先生は牧師では、ないんですか、と言われる。牧師は、早く良くなるように祈るんと違うんですかと信者から言われる。すると祖父は、それは違うと言われ、聖書が語る神様と言われる方は、不思議な方で、全てをおさめていらっしゃる方だ
私たちに、苦しみや悲しみをお与えになる。そして、病をもお与えになる。そして、病の中でも考えなければ、ならない事があり、病の中でしか学べない事がある。
だからこそ、病の中でこそ神様をわかってから、良くなりなさい。それまで良くならないようにと言って、祈って帰っていくんだそうです。何か、そう言われると、この病気から治るようにとか、癒されるようにとか、その事ばかり願っていたのが、肩の力が抜けたと、多くの方から何度も聞いた。
私は、その視点は大切だなと思います。

私は、空しさを通ります、苦しさを通ります、悲しみを通ります。でもそれは、決して、無意味ではないという事です。天地を作られたまことの神様をしる時、私たちはこの空しさの背後に、神様の多いなる御手を見出すことが出来る。苦しみや悲しみや涙のうしろに、いやど真ん中に、神様の多いゆる愛と恵みを見出すことが出来る。聖書は、私たちにそう語っている。

全てのことが上手く行きますよ、とか、全部が喜びになりますよとか、言いませんし、聖書もそう語っていません。悲しみは悲しみとして、痛みは痛みとして、残るでしょう。しかし、私たちの心が、苦しみ、悲しみの中にあっても、受け止めていけるように、喜ぶことが出来る。悲しみや苦しみにあっても感謝することが出来る。そういうものへとわたしたちを神様は、かえてくれるでしょう。

だからこそ、私たちは、この空しさと向き合えることができる。

空しさとは、何を現してるでしょうか?空しさの理由としては、
(1)所有することの限界
あれさえあれば、これさえあれば、幸せになると考えるが、永く続く幸せとは、何か?欲しいものを所有しても、満たされない。快楽でさえも、笑いでさえも、知恵でさえも、そこに満足を見出せない。何ででしょうか?私たちは、それで満足出来るようには、作られないからです。
(2)人間のはかなさ
どんなに、様々なものを所有しても、一瞬で無くしたり、どんなに健康であっても、一瞬で病になる事がある。そして、この人生で限りがあると認識した時、空しいと感じる。しかし、この限界があるということは、神様の恵みであるという事を知って欲しい。もし、このあとに出会う苦しみや悲しみが、全部わかったら、今を生きることが本当に辛いかもしれない。でも、限界を与え下って、将来何が起こるか、神様に期待して、自分の能力や所有物ではなくて、全てを超えた、全てを作られた神様は益にしてくださる。どんな苦しみや悲しみの中をも、雄々しく歩むことが出来る。
私はこの大宇宙の中に生きていて、様々な研究がなされており、この大宇宙はどうして、始まったのか?その空間が、あって、大宇宙が存在する。その空間を神様が創造したと聖書は、語る。人間の延長線上ではなく、この神様を信頼する時、どんな苦しみや悲しみや病いがあろうとも、せっかく苦しんでるんだから、せっかく悲しんでるんだから、せっかく空しいんだから、神様を巻きこもうよ。
神様に期待しようよ、私たちには、限界があるんだから。でも、神様には永遠を用意して下さる。
目に見えるものだけで、生きるんではない、その全部失っても無くならない、失われない永遠のものを用意して下さる。

(3)人間の罪
人間には、皆人に言うことのできない闇を抱えている。もし、ここに自分の心が、映る鏡があったら、皆んな驚くことだろう。しかし、全てを作られた神様は、その全てをご存知でありながら、こんな私たちを愛して下さっている。このソロモンは、神様が送って下さった、救い主、メシアのことについて言っている。
“彼は、弱っているものや貧しいものをあわれみ、貧しいものたちを救います。彼は、しいたげと暴虐とから、彼らの命を贖い出し、彼らの血は彼の目に尊ばれましょう”

彼らの待ち望む救い主は、どんな苦しみとしいたげと暴虐とから、彼らの命を贖い出し、その人に命を与えるという。神様は、あなたに、苦しみや悲しみや痛みや悩みや問題を与えるでしょう。どうしてこんな事がということに、出会うでしょう。しかし、そのことによって、神様は、あなたを永遠に招いてらっしゃる。永遠を用意して、永遠の命を、永遠の輝きを、永遠の喜びを、あなたを待っていて下さる。どんな限界があろうと、どんな空しさがあろうと、恐れる必要はありません。神様は、永遠だからです。神様は、完全だからです。
この神様に信頼してあげる時、神様が、孤高の問題、罪の問題、闇の問題、を解決し、死の問題に対しても勝利を与えて下さったゆえに、私は死を恐れることはない。

永遠に求めて、永遠に輝いて、生きる人生が、あなたをまっている。あなたも、この聖書が語る神様を真剣に求めてみませんか?
今ある苦しみの中で、悲しみのなかで、そこにある神様の愛に出会ってみませんか?

その後、だいたい従実したリハビリが本当に、あっと言う間に終わり、すぐ一日が終わる。充実しているから本当に早い。帰りたくなくなる☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

これで、送迎車に乗っけてもらって、家に帰る。だいたい16:30くらいに帰宅する。これが、だいたい僕のリハビリの一日である☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

家に戻って、コーヒーとせんべいを食べ、テレビを見たり、ゆっくり休憩する☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

その後、新聞やテレビ、を見て過ごし、その後僕は17:00ころまで、寝室のベッドに横になった。

その後、夕食を食べた。夕食は、いつもの一環で、サバ、サンドイッチ、ネギトロ、ぬか漬けのダイコン、じゃがいものお味噌汁、であった☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

そして、10:00ころベッドに横になり、1時ころに寝むりについた☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆