ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

羽幌炭鉱―追想― (前編)

2015-12-05 03:57:03 | ホルマリン漬け北海道 トワイライトゾーン
(2012年5月訪問 未公開ネタ放出です!!)





助手席の窓から眺めた道北の海は、ずいぶんと寒々しく思えた。
札幌ではもう花が咲き始める頃だというのに、ここら一帯はまだ冬が終わった直後のようだった。


2012年5月、父と二人で旅に出た。
早朝に札幌を出発し、日本最北の地、稚内・宗谷岬を経由しながら海岸線を辿り、紋別方面へ。「道北ぐるり一周」と言っても過言ではない、一泊二日にしては壮大な旅計画である。留萌を過ぎ、苫前のあたりを走る頃にはすでに昼が近づいていた。
道中、「羽幌町」という小さな町へ立ち寄る。のどかな海沿いの田舎町といった風情だが、中心部は予想に反して活気があり、年季の入った住宅がポツポツあるだけの寂しい道を進んできた者にとっては何やら安心するものがある。こぢんまりとしたフェリーターミナルに立ち寄ってみると、こちらもこぢんまりとした定期船が、ディーゼル機関車のような音を出しながら停泊している。海の向こうの小さな離島、天売島・焼尻島へ向かう唯一の航路が、ここ羽幌町から発着しているのである。

何を隠そう、僕の父は天売島で生まれ、ここ羽幌町で育った。
「この神社だったかな、よくココで遊んでたんだよね」
「ここの角、友達の親が商店やってたんだけど…すっかり無くなってるな」
父がこの町を離れたのは中学生の頃。滝川市に引っ越してからは墓参り等で訪問していた時期もあったらしいが、僕が生まれて以来は一度も訪れていなかったという。となると、実に20年数年ぶりの訪問ということになる。先程から、町中を散策しながら僕にそんな事を話しているのだが、その口調はなぜか淡々としている。札幌という都市に生まれ、そして育った僕にとっては、羽幌町はやはり「のどかな田舎町」という印象でしかない。しかしその印象は、普段の生活で時折繰り出される、父の北海道弁まじりの喋り方を聞いてもあながち間違いではないだろう。



羽幌にはかつて、もう一つの顔があった。海とは反対側の、山を越えた向こう側。かつてこの地に、最盛期の年間出炭量が100万トンを超える、巨大な“ヤマ”があったのだ。
「羽幌炭鉱」。羽幌本鉱、築別鉱、上羽幌鉱と3つの地区からなっていた周辺一帯は1940(昭和15)年に開鉱、それと同時に瞬く間に鉱石運搬用の鉄道、最新鋭の立坑やぐら、選炭工場、数々の炭鉱アパートなどが建設され、ピーク時には一帯の人口が1万人を超していたという。
しかし、この巨大炭鉱も、石炭衰退という時代の変化には逆らえなかった。1970(昭和45)年に炭鉱が閉鎖されると、人々は立派な施設群をこの地に残したまま、消えた。現在でも、山中の一帯には数々の炭鉱施設が草木に埋もれながらも放置されたままだという。僕が「羽幌」という響きにどことなく物悲しさを感じるのは、この炭鉱史の存在が大きく影響している。

「僕が住んでた頃はまだ炭鉱はあったけど、そこまで行った事は無かったなー」
ハンドルを握る父の口調はやはり淡々としている。これから僕のわがままで炭鉱跡へ寄り道をする事になったのだが、先程から曲がりくねった細道が延々と続いており、予想以上の山奥である。市街地を離れてしばらく経つが、周辺の森には残雪も目立つようになってきた。
それらしき廃墟が一向に現れず、いささか心配になってきた所で、道路沿いにようやく廃墟群が姿を現した。





こちらは「ホッパー」とよばれる貯炭場である。
木々の向こうには高さ40メートルの立坑がそびえているのが見え、周辺に関連施設の廃墟もいくつか広がっているのが確認できる。気分の高揚を抑えるのに必死になりながらも、残雪の中に足を踏み入れた。





大きく穴が開いた建物は「選炭場」らしい。石炭を運ぶコンベアなどは撤去され、コンクリートの塊だけが取り残された。内部には残存物が意外と多く、会社名の入った木箱や木製の事務机までもが。


「ホォッ!!」「オオォォ!」という声にギョッとして振り向くと、道路沿いで待機していたはずの父が。手にはなぜか細長い木の枝が。
「熊がいるかもしれないから心配で来ちゃったよ。大声出していれば寄ってこないから。オォオオ!!」

…父には申し訳ないが、思わず噴き出してしまった。いざという時、その細い木の枝でどうヒグマに対抗しようというのか。





そして近づく巨大な立坑やぐら。炭坑のシンボルともいえるこの施設は、坑夫を地下坑道まで運ぶ昇降機とその巻き上げ機である。
この立坑やぐらは昭和40年に完成した比較的新しいもので、御覧のように設備全体がコンクリート壁に覆われた当時最新鋭のものであったという。
まだ雪の残るこの時期だからこそ全景を拝む事が出来るが、夏場はうっそうとした木々に包まれてしまい、接近は容易ではないという。





内部に足を踏み入れると予想以上に巨大な空間が広がっており、圧倒されてしまった。
簡単に訪れる事の出来ない山奥にあるということ、そして前途の理由で接近できる時期が限られているということ。これらのおかげで荒らされた跡もほとんどない。
赤い鉄骨の枠組みが、地下坑道へとつながっていた昇降機である。地下への入り口は埋められていた。




立坑内部の床はコンベアによる深い溝があったが、そこを注意深く乗り越えて奥へと進む。こちらは普通の小型エレベーターか。





こちらは施設の外へとつながる出坑口。暗い内部を覗いてみると年季の入った棚がズラリと並んでおり、なんと炭坑夫の名札まで残っている!出坑の際に各自の仕事道具を保管する場所だったのだろう。仕事を終えた男たちの息遣いが聞こえてきそうである。

通路は到る所から雪解け水が漏れており、床もビチョビチョ。これ以上進むのも気分が悪いので止めておいた。
この先には炭坑夫の汗を流す浴場が残っているらしく、ぜひ見てみたかったが…。


遠い昔の記憶……父は確かに覚えていた。
続く。
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