大変お待たせしました。第5回目です。
青函連絡船「摩周丸」
(函館市青函連絡船記念館 摩周丸)函館市若松町12番地先
…1965(昭和40)年就航、1988(昭和63)年の連絡船運行最終日まで活躍し続けた「摩周丸」がそのまま保存されており、現在は博物館として内部を見学する事ができます。
猛烈な寒さの中、函館駅から徒歩で近づきます。
なお、船の前の駐車場にはツアーの大型バスが何台も停まっていて「意外と混んでそう?」と思いきや、皆さん函館朝市目当てだったようで…(笑)。ほとんどお客さんは居ませんでした(^_^;)
入場料500円を払って乗船~♪
…この入り口、なにやら旅立ちの瞬間みたいでワクワクしますね(*^_^*)
補助汽船の錨と、実際に付いていた「JR」&「国鉄」マーク
国鉄の「JNR(Japanese National Railways)」マークがステキですね♪
青函連絡船、最後の1年間はJRの管轄となっていたため、煙突に付いていたこのマークもJRのものに変えられました。
ロビーには、もはや芸術的ともいえるポスターが。
1枚目は青函トンネル開業1年前のもの、2枚目は連絡船廃止直前のものですね(*^_^*)。いずれもキャッチコピーが秀逸。旅情漂うショットに添えられた文章も感動モノです。
僕も連絡船の旅をしてみたかったなぁ。
3階「青函連絡船のあゆみ」コーナー
おぉ~っ、元・客室だったフロアを展示コーナーに改装しているんですね!
実は僕、連絡船がつい最近まで現役だったと勘違いしていたくらい無知な人間なので、この機会にしっかり学んで帰りたいと思います…(^_^;)笑
…この青函連絡船「摩周丸」は、1964年就航の「津軽丸(2代目)」に続いていくつか造られた「高速自動化船」のうちの一つで、津軽丸を含め「八甲田丸」「松前丸」「大雪丸」「羊蹄丸」「十和田丸」が姉妹船となっています。いずれも旅客と共に、鉄道車両をそのまま船内に積みこむ貨物輸送を行い、函館~青森間を結んでいました。
船内に貨車ごと積み込むというのは何とも大胆な輸送方法ですよね。船の下部は線路が敷かれた輸送専用フロアとなっており、停泊時は可動橋を用いて港の線路と接続、函館駅までやってきた貨車を船の後部から積み込んでいました。
現在は行き止まりとなっている函館駅ですが、かつてはその先にある港(ちょうどこの船が保存されている場所)まで線路が延びていたのです。
1925(大正14)年には既に行われていたというこの輸送方法、作業時間が短縮されたことで道内~本州間の物流がかなり盛んになったといい、「流通革命」と呼ばれました。
かつての乗組員の制服
乗船キップと、各種記念乗船券
普通乗船券は当時の鉄道と同じような硬券だったんですね(*^_^*)。その他、グリーン券や入浴券、「遅延証明書」まであります。水色の券は、国鉄時代の最終便乗船証明書。マニア垂涎ですな。
なお、青函連絡船は自家用車の輸送も行っていた模様。
「国鉄連絡船」か…、泣かせるぜ。
船員の粋なサービス「飾り毛布」
こちらは「摩周丸」が登場する前のサービスだったようです。寝台室のベッドメイク時、船員が季節に合わせたテーマで毛布を折りあげて乗客を楽しませていたようです(*^_^*)。様々なパターンがあり、その数10種類以上。
1964年の津軽丸就航時に折り返し時間が短縮されたため、作業時間が取れず廃止になったようです。
そして…。展示フロアに当時の座席が!!
赤い座席がグリーン席、青い座席が普通座席です。
座席が並ぶ先には大きな液晶テレビがあり、連絡船に関する映像をいくつか視聴する事ができます(自分で選択可能)。これまた粋な計らいを…(*^_^*)笑
自分もグリーン座席を楽しみながら「さようなら青函連絡船」のドキュメント映像をじっくり拝見させて頂きました。
座席に座りながら外に広がる函館港を眺める事もでき、当時の船旅の雰囲気を味わう事ができます♪昔ながらのモケット生地の座席がイイ感じです。
そして座席後部には、折り畳みの机や注意書きのプレートがそのまま残っています。
そして…。
センヌキ
「フタのカドをひつかけて
ビンを上へこじる」!!!
あぁ…この塗装の剥げ具合。素晴らしい。
まさかこの旅で2回もコレが見られるとは…!!
函館に来てよかった!
次回!摩周丸の操舵室へ。
そして連絡船といえば…忘れてはいけない悲劇。
続く。
青函連絡船「摩周丸」
(函館市青函連絡船記念館 摩周丸)函館市若松町12番地先
…1965(昭和40)年就航、1988(昭和63)年の連絡船運行最終日まで活躍し続けた「摩周丸」がそのまま保存されており、現在は博物館として内部を見学する事ができます。
猛烈な寒さの中、函館駅から徒歩で近づきます。
なお、船の前の駐車場にはツアーの大型バスが何台も停まっていて「意外と混んでそう?」と思いきや、皆さん函館朝市目当てだったようで…(笑)。ほとんどお客さんは居ませんでした(^_^;)
入場料500円を払って乗船~♪
…この入り口、なにやら旅立ちの瞬間みたいでワクワクしますね(*^_^*)
補助汽船の錨と、実際に付いていた「JR」&「国鉄」マーク
国鉄の「JNR(Japanese National Railways)」マークがステキですね♪
青函連絡船、最後の1年間はJRの管轄となっていたため、煙突に付いていたこのマークもJRのものに変えられました。
ロビーには、もはや芸術的ともいえるポスターが。
1枚目は青函トンネル開業1年前のもの、2枚目は連絡船廃止直前のものですね(*^_^*)。いずれもキャッチコピーが秀逸。旅情漂うショットに添えられた文章も感動モノです。
僕も連絡船の旅をしてみたかったなぁ。
3階「青函連絡船のあゆみ」コーナー
おぉ~っ、元・客室だったフロアを展示コーナーに改装しているんですね!
実は僕、連絡船がつい最近まで現役だったと勘違いしていたくらい無知な人間なので、この機会にしっかり学んで帰りたいと思います…(^_^;)笑
…この青函連絡船「摩周丸」は、1964年就航の「津軽丸(2代目)」に続いていくつか造られた「高速自動化船」のうちの一つで、津軽丸を含め「八甲田丸」「松前丸」「大雪丸」「羊蹄丸」「十和田丸」が姉妹船となっています。いずれも旅客と共に、鉄道車両をそのまま船内に積みこむ貨物輸送を行い、函館~青森間を結んでいました。
船内に貨車ごと積み込むというのは何とも大胆な輸送方法ですよね。船の下部は線路が敷かれた輸送専用フロアとなっており、停泊時は可動橋を用いて港の線路と接続、函館駅までやってきた貨車を船の後部から積み込んでいました。
現在は行き止まりとなっている函館駅ですが、かつてはその先にある港(ちょうどこの船が保存されている場所)まで線路が延びていたのです。
1925(大正14)年には既に行われていたというこの輸送方法、作業時間が短縮されたことで道内~本州間の物流がかなり盛んになったといい、「流通革命」と呼ばれました。
かつての乗組員の制服
乗船キップと、各種記念乗船券
普通乗船券は当時の鉄道と同じような硬券だったんですね(*^_^*)。その他、グリーン券や入浴券、「遅延証明書」まであります。水色の券は、国鉄時代の最終便乗船証明書。マニア垂涎ですな。
なお、青函連絡船は自家用車の輸送も行っていた模様。
「国鉄連絡船」か…、泣かせるぜ。
船員の粋なサービス「飾り毛布」
こちらは「摩周丸」が登場する前のサービスだったようです。寝台室のベッドメイク時、船員が季節に合わせたテーマで毛布を折りあげて乗客を楽しませていたようです(*^_^*)。様々なパターンがあり、その数10種類以上。
1964年の津軽丸就航時に折り返し時間が短縮されたため、作業時間が取れず廃止になったようです。
そして…。展示フロアに当時の座席が!!
赤い座席がグリーン席、青い座席が普通座席です。
座席が並ぶ先には大きな液晶テレビがあり、連絡船に関する映像をいくつか視聴する事ができます(自分で選択可能)。これまた粋な計らいを…(*^_^*)笑
自分もグリーン座席を楽しみながら「さようなら青函連絡船」のドキュメント映像をじっくり拝見させて頂きました。
座席に座りながら外に広がる函館港を眺める事もでき、当時の船旅の雰囲気を味わう事ができます♪昔ながらのモケット生地の座席がイイ感じです。
そして座席後部には、折り畳みの机や注意書きのプレートがそのまま残っています。
そして…。
センヌキ
「フタのカドをひつかけて
ビンを上へこじる」!!!
あぁ…この塗装の剥げ具合。素晴らしい。
まさかこの旅で2回もコレが見られるとは…!!
函館に来てよかった!
次回!摩周丸の操舵室へ。
そして連絡船といえば…忘れてはいけない悲劇。
続く。
グリーン車なんて超高級な切符を当時使ったことがない旅烏。いつも
自由席で蒸気機関車時代。桟橋を脱兎のごとく荷物を抱えて走るのです。
でも荷物が重たくてね。着いた頃には窓側の場所は残っていなかった。
ホームと桟橋。階段を二段飛びで降りてまた上がる...な~んてことしな
がら走った記憶が浮かんできます。(受験時代の想い出?^^;)
連絡船での利用は座敷?カーペット敷きの大広間が多かったですね。
身体を目一杯伸ばして寝た(仮眠程度^^;)ものです・・・。
しかし、そのようなスタイルこそが海峡越えの本来の姿とも言えますね。
カーペット敷きの客席が再現されたコーナーもありました(^_^)。ほかのお客さんと仲良く並んで寝るスタイルは船旅ならではという感じがしますね。
もうすぐ新幹線開通で見学客もふえそうですね。九州まで新幹線でつながるから全国からの観光客がきますね。
夜行乗降りて連絡船乗ったら、まずシャワーを浴びて
カーペットで寝て…そんな思い出ばかりです。
・・・売店・食堂(あったっけ?)もいかなかったはじめっち
急行利用していた自分らにとっては、
青函連絡船は唯一足を延ばせるおあしすで・・・
その「急行」もなくなるなんて残念なものです。
・・・みんな座席に座ることが多くてカーペット利用あまりなかったようなみならいかのん
普通車の座席はむかし特急「おおとり」とかいう
汽車で見たのと似ているす。
グリーン車はむかし急行「砂丘」とかいうグリーン車のイスに「うり」す。
・・・あんま乗らなかったから意外と覚えているもんすゆたか
あたいは連絡船とかよくわかんないけど、
青森~函館にはフェリーが走ってるから間違えて当然なのだ。
それに、新幹線開通前は一週間トンネル閉まるから、
その間、連絡船復活するかもしれないのだ。
・・・なにむちゃをとはじめっちにばかにされたのだつるみんあとでおぼえているのだ!
摩周丸、鉄道車両などと比べると現役時代が短かった感じがしますよね。しかし退役後は連絡船を後世に伝えるという、また別の重要な役割を担っているとも言えますね。(^-^)
訪問時は活躍していた当時よりも船体が綺麗な印象があったので、もしかしたら再塗装など行われているかもしれませんね。
新幹線の開業までもうすぐ10日!?いつのまにか間近に迫ってきていますね。函館~九州まで新幹線で縦断するマニアもいそうですね♪
>はじめっちさん
栓抜き、灰皿共に国鉄の車両には備え付けの装備だったようですね(^-^)
連絡船もよく利用されていたようで…。夜行列車から連絡船への乗り継ぎとは、現在から見るとまさに憧れの黄金ルート。自分も体験してみたかったです…(^_^;)
>みならいかのんさん
広々したカーペット階は大きな船体ならではですよね。隣との仕切りは無かったようですが、しっかり横になれるおかげで深い眠りについてしまえば、それも関係ないですよね(^-^)
急行が無くなると、津軽海峡を手間かけて越えていた昭和の記憶がすべて消えてしまうようで悲しいですよね。
カーペットより座席階の方が利用が多かったのですかね。
>ゆたかさん
この座席はまさに国鉄車両のそれですよね。
急行「砂丘」とは何とも味わい深い…。そんな名前の列車があったのですね♪背もたれからチョコンと飛び出た読書灯が良い感じですね(*^_^*)
>つるみんさん
調べてみると、現在は「青函フェリー」という名前で青森~函館間を結ぶ定期船があるようですね。仰る通り、僕もコレを連絡船と間違えていたようです(^_^;)
青函連絡船と比べるとこぢんまりとした船のようで…。
ダイヤ改正、新幹線開業共に3月26日ですので、青函トンネルが閉まる事は無いと思いますよ(^-^)
ただ、新幹線開業時は座席も混雑するでしょうから、一時的に青函フェリーの利用客も増えるかもしれませんね。
連絡船廃止後桟橋のあったところ(今では連絡船前の駐車場)にシーポートプラザという複合施設が1990年に出来、のち「クイーンズポートはこだて」と言う複合施設に名前を変えたけど2008年には閉鎖、2013年に解体と言うことがありました。
かつて連絡船内食堂で海峡ラーメンと言うメニューがありました。
私が札幌に住んでいるころ、今から10年も前の話ですが桑園駅下に「海峡」と言うラーメン店があってここで、青函連絡船内で出していた海峡ラーメンを復刻したものがありました。閉店してしまって食べれないですけど、海峡ラーメン、引き継いでほしかったなあ~
というお話。
シーポートプラザは建設年から察するに立派なバブル遺産ですね(笑)。調べてみるとクラッシックカーミュージアム等の「いかにも」な施設が入っていたようですね…行ってみたかったです(^_^;)
海峡ラーメン、スープはやはり魚介ベース?だったのでしょうか(*^_^*)。
桑園のお店は閉店してしまったようですが、函館朝市に同名のお店が現在もあるようです。海峡ラーメンは食べれるのでしょうかね…?
小学生の頃を思い出しました。
夜行で乗り換えて、カーペットで寝るのですが、
小さな枕が積んであって毛布かぶって・・・
父はお酒飲んでいて・・・・
青森での乗り換えも大変で(笑)
まだ暗い朝方に親に手を引かれてダッシュで階段駆け抜けて
ホームにベルが鳴り響き・・・
結構距離があってぐずった記憶があります。
半分忘れてしまった記憶が少し蘇って懐かしく思いました。