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ホルマリンのマンネリ感

北海道在住、ホルマリンです。旅行、怪しい珍スポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、昭和レトロなどなど…。

「高崎洞窟観音」訪問記(後編)

2018-05-01 12:52:39 | 日本全国!珍スポット・魔境訪問
おまたせしました。約2年ぶりの続編です(^_^;)。
前編はこちらからどうぞ!


群馬県高崎市の「高崎洞窟観音」に潜入中のホルマリン。
全て人の手で掘られたという壮大な地下空間、コンクリートに固められた無機質な通路が続き、「最後までこんな感じかな?」と思っていたところ、突然雰囲気がガラリと変わりました。


ご覧の通り、通路自体がいかにも天然洞窟風の、ゴツゴツした岩壁に変化。触ってみると独特の質感です。
90年代の訪問記録では鉄柵などは無かったようなのですが、安全性などの関係で、近年になって付け足されたようですね。

そして。

ゆっくり進んでゆくと、これまでと違う色の照明に照らされた、ひとつ奥まった空間があるのが見えてきました。
見学者は鉄の柵越しに、その空間を覗きこむスタイルになっています。
ほほぉ~、さっきみたいなドーム状の空間がまだあるのか…(*^_^*)」とワクワクしながら柵の前に立つと。

その光景は想像以上でした。



石灯篭や枯山水があしらわれた石庭と、その向こうに広がる石の渓谷。
自分の身長と同じくらいか、少し低いくらいの観音像が、薄暗い渓谷のあちこちからこちらを見下ろす。
その奥には、白くなめらかな石の滝も見える。
想像以上に広大な空間に、思わず息をのむ。

恐らく、ドーム状の天井までの高さは10メートル以上はあるのではないでしょうか。
あまりに広いので、全体像をカメラに収めきれない。
今までの細く薄暗い通路の先に、こんなに広大な空間があるとは誰が想像できるでしょうか。

白熱灯が照らす「ジジジ…」という音だけが微かに響く無音の空間。
ぼんやりと白く浮かび上がる、無表情の大きな観音像たち。
その幽艶かつ少し不気味な光景にすっかり呑まれてしまい、10分くらい見惚れていました。

驚くべきことに、巨大なドーム状の空間はこれだけではありませんでした。
通路を少し進んだところに、もう一つの渓谷が。


…奥行き、高さともに、先ほどよりも遥かに広大な空間です。
高さに至っては15メートルか、それ以上はあると思われます。

現在は柵が作られており、通路から眺めるだけとなっていますが、空間の至る所に鉄柵や石の階段があるのが見えます。
かつては中に入って散策する事が出来たのでしょうか。
そして天井近くには、外に通じているような通気口?出入り口?のようなものも見えます。

皆さん、忘れないで頂きたいのですが、この洞窟、すべて人力で掘られたというのだから凄い。
天然の洞窟ではないからこそ、これほどまでに驚嘆し、そして見惚れてしまうのです。

終盤に展開される瞑想空間


徳三氏は、その財力を以て多くの作業員を雇って洞窟建設を進めたようですが、時には天候が悪く、作業員が一人も来ない日もあったようです。
そのような日は、徳三夫妻が自らつるはしを手に、少しずつ作業を進めていたようです。
一体、何が徳三氏をそこまでさせたのでしょうか。

残念ながら、昭和39年に徳三氏が死去したことにより、洞窟の建設はいったん終了。
噂では計画の半分も完成していないという事らしいのですが、それ以降、建設が進む事はありませんでした。


工事中、作業員の出入り口だった作業用通路をそのまま出口としているため、洞窟はいきなり直角にカーブし、無機質な通路を経て終了…という、やや尻すぼみな結末なのが残念です。
実は、この通路には洞窟建設途中の証が残る、という事なのですが、薄暗くよく分かりませんでした。

ただ、どこからか人の声が響いてきて「?」と思いながら外へ出ると、山の斜面から3人組の男性グループが降りて来たので、どこかに外の山林へ続く通路の痕跡があるのかもしれません。


さて。洞窟探検のあとは、敷地内に建つ「山徳記念館」の見物としましょうか。
かつての徳三氏の自宅を改築したもので、現在は風刺漫画などを中心とした漫画記念館となっています。
洞窟観音のチケットで、合わせて見学する事が出来ます。


館内には、美しい五福神のステンドグラスが。徳三氏が営んでいた呉服店にあったものを復元したものなんだとか。恐らく「呉服」と「五福」をかけて造られたものなのでしょうね(*^_^*)。
そして小さな館内には、歴代総理の似顔絵など愉快な展示がズラリ。


徳三氏は「のらくろ」で有名な近代漫画家・北沢楽天と親交が深かったようで、楽天の貴重な資料が豊富。
受付でもオススメしていたので、これらの展示が山徳記念館の一番の売りのようです。


少しですが、洞窟観音についての展示もありました。徳三氏とその妻ナヲが映る写真は非常に興味深い。


ところで、外の徳名園には、記念館や笑い閻魔(前回紹介)の他に「防空壕」という素敵な案内板も。


ドキドキしながら記念館の正面入り口を通過し、坂道を下っていくと…。
ちょうど記念館の下に潜り込むかのように、小さな入り口がポッカリと開いていました。


言うまでも無く、この防空壕も徳三氏の手作り。自宅の勝手口からも利用できるように、専用の通路も作られていました。
壮大な洞窟の他に、防空壕の建設にも取り組んでいたとは恐れ入る。
…徳三氏は「穴」というか「地下」がお好きだったのでしょうか…??


トンネル状の通路は直角にカーブし、この先には8畳の部屋があるとの事ですが、安全性の関係で金網で閉じられており、奥まで行く事は出来ません。
…そして、こんな所に思わぬ展示物が無造作に置かれていました。


洞窟観音掘削時に使用した道具類」との事で、作業員のヘルメットや安全ロープ?のようなものが。
どうしてこんな場所にあるんだ!もっと炭鉱記念館みたいに、堂々と館内に展示すれば良いのに(^_^;)


以上で、高崎洞窟観音の見学は終了です。
以前からずっと行きたい、行きたいと思っていた場所だったのですが、その凄さは期待以上でした!
そのスケールに圧倒され、途中から「…スゴイ!!」をひとりで連発していました。

こういった洞窟や、地下空間が好きならば絶対にオススメしたいスポットです。
みなさん、ぜひ高崎洞窟観音へ!!

完。
(2017年1月訪問)
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「高崎洞窟観音」訪問記(前編)

2018-05-01 12:47:54 | 日本全国!珍スポット・魔境訪問
※2017年1月訪問。再度アップします!


1人の男の私財で掘削!圧巻の地下信仰空間!
(群馬県高崎市石原2857)

1月24日(火)。

1月22、23日にかけて、友人らと東京を満喫したホルマリン。
みんなとお別れし、本日ひとりでどこへ来ているのかと申しますと……。
群馬県です。

ホルマリン、群馬初上陸です!!

通勤電車に永遠揺られ、高崎駅に降り立ちました。
なんで高崎なの?と申しますと、実はこの町に中学生の時から行きたいと思っていたスポットがあるのです。

その場所の名は「高崎洞窟観音」。
呉服商で財をなした山田徳三という人物が、大正7(1918)年から約50年の歳月をかけて造り上げた壮大な地下信仰空間である。
全長400メートルにもおよぶ洞窟内に、数十体の観音像が祀られているというだけでもワクワクしてしまいますが、なんと洞窟そのものが山田氏の全財産を投じてすべて手掘りで掘り抜かれたというから凄い。
間違いなく群馬県随一のパワースポットである…と言いたいところですが、高崎の町を見下ろす白衣大観音の影に隠れてしまっている模様。


さっそく駅前でタクシーを捕まえ「洞窟観音まで…」と緊張しながら告げます。
さすがは観音様のお膝元、住宅街を抜けて観音山の麓に近付いてくると、もう一帯がパワースポット。
『羽衣通り』なんてイイ名前の道だな~」などとボンヤリ考えていると、タクシーは対向車とすれ違うのもやっとの狭い道に突入し、急な坂道をグングン登って行きます。


山の中腹の小さな駐車場に停めてもらい、あっという間に到着です。
ここですよ!夢にまで見た洞窟観音!


ここら辺一帯は山田徳三氏ゆかりの地となっており、かつての自宅を改築した「山徳記念館」と、「徳明園」と呼ばれる広大な日本庭園が広がっています。
はやる気持ちを抑えながら、まずは庭園を散策してみましょうか。


この「徳明園」は洞窟観音と同時に造成が進められ、「北関東髄一の日本庭園」とも言われていたそうです。
徳三氏の石に対するコダワリは相当のものであったようで、当時は「山徳に石を持っていけば全部買ってくれる」と噂になり、売りに来る人が数多く居たようです(笑)。
こちらの赤い石は徳明園の造園当初に設置されたもので、徳三氏が特にその佇まいと「気」を気に入り、工事の安全と洞窟観音の繁栄を祈願した石との事です。


園内の石は「群馬県鬼石市三波川から下仁田にかけて産出された三波石」をふんだんに使用。
いたるところに鶴や亀などの立派な石像が置かれており、見ごたえがあります。

小さなトンネルを抜けると「笑い閻魔と笑い鬼」が。

「沢山の人々の力を結集して洞窟観音は完成しました。閻魔と鬼の笑顔に徳三の願いが込められているのでしょう」。
…なるほど。何とも味のある笑顔ですね。そして否がうえにも洞窟観音への期待が高まる。

いよいよ洞窟観音へ

こちらが全長400メートルにも及ぶ洞窟の入り口である。やや地味めな印象といったところでしょうか(^_^;)。
平日でお客さんも少ないのか、暇そう~にしていた受付のおばちゃんに入場料800円を払い、内部へ。

天井には天女のタイル絵が。

その奥にはいきなり金ピカに塗られたゴツゴツの岩壁が。
まずは洞窟観音のいきさつと徳三氏の苦労話が解説されているので必読です。

恐ろしいほど静かな洞窟内部

洞窟内には誰も居ないのでしょうか?静寂に包まれています。
まずはご覧の通り、コンクリートに固められた無機質な空間が続いています。通路の左右に一定の間隔で観音像が配置されており、お客さんは歩みを進めながらその一体一体と対峙することになります。
この辺は定山渓温泉の「岩戸観音堂」とも似た雰囲気ですね。




像の前には金網が張られており少々見づらいのが残念ですが、いずれの空間も浅間山の溶岩をふんだんに使用しているそうで、思わず見入ってしまいます。
そして観音像は上質の御影石を使用し、名工・高橋楽山の手によって掘られたものだそうです。


通路は緩やかにカーブしながら続いていきます。
天井が何故かどんどん高くなっており、2メートルは越えているかといった高さで圧倒されてしまいました。
そして「最後までこんな感じの通路なのかな?」と思いながら進んで行くと、コンクリートの壁が途切れ、雰囲気が変わってきました。

通路から別の空間への入り口があったので入ってみると、驚きました。


突如、ドーム状の手掘りの空間が現れました。
無機質な通路からの突然の場面転換に酔いしれてしまう。
…これは徳三氏の狙い通りの仕掛けなのか。

そう、高崎洞窟の真骨頂はここからなのです。

続く。
コメント (4)
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