4才の女の子ポネット(ヴィクトワール・ティヴィンソル)が母の突然の事故死を現実的に受け入れるまでを描いた物語です。
舞台はプロヴァンスのある村。母親を自動車事故で失ったポネットは死の意味が分かりません。いつかママに会えると、おまじないやお祈りをするポネット。ポネットは、その同じ事故でケガをし、左手にギブスをつけ、ヨヨットという大切な人形をいつも手にしていました。
父親は最初、ポネットに「ママはひどいケガで死ぬかもしれない」と死を隠していますが、そのうち「ママは死んだ、分かるよね」と諭します。
ポネットは、母の死を受け入れることができません。ママとおしゃべりをし、ママと遊びたいのです。そのためにいろいろな努力をします。父親はそんなポネットに「ママを待つなんて少しおかしいぞ。神様なんていない。神様は死んだ人たちのもの。ママに神様とイエス様とお話しさせてあげなさい。おまえは命のある世界、パパたちの世界に住んでいるんだ」と説明します。
ポネットはそれでも納得せず、ママと会うてだてを考え、おまじないを唱えたり、小さなプレゼントを探したりします。目をつぶってのお祈りもそのひとつです。「全能の神様、ママは死にました。神様と一緒のはずです。でもママとお話がしたい。がんばったのに話せません。全然こたえてくれません。お話するように伝えてください」。そして、「私がお祈りしたことを伝えてくれましたか。ママと神様のた
めに祈りました。病気ではないけど、ベッドでまっています。こうすれば誰も気づかずに秘密にできます」と言うのでした。
ママと話しをしようと、様々な努力を試みるポネットは何も変わらない現実に悲しくなり、とうとうママのお墓に一人で行きます。お墓に花をそなえ、墓標をみつめ、そのうち手で土をほり始めるポネット。
そこにママが現れます。幻想です。ママはポネットに事故死したことについて、また生き方について語り始めます。
この映画を評してある評論家は次のように言っています。主演の「女の子もまた、ポネットを演じることで、新しい言葉を獲得していったのだろう。それでもなお、その子どもは。大きくなったとき、自分が四才のときにポネットを演じたことを思い出せなくなるだろう。“7才までは神のうち”とはそういうことなのである。まさにこの映画は、四才の子どもだけが演じることが出来た奇跡のような物語なのだ」と(川本三郎)。同感です。