曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

亡くなる方が多かったので…その②

2013年12月11日 | 冠婚葬祭

残念ながら11月というのは、亡くなる方がとても多いらしい。

現に私の祖父、父、母方の叔母など、11月始めに亡くなっている。

しかも、父と母方の叔母は一日違い。叔母が亡くなったと聞き、母が叔母のお葬式に行って帰る前に父は亡くなった。だから、お葬式が続いて、親族は叔母の葬式の後、父のお通夜に駆けつけ次の日葬式と、叔母のを合わせると、4日連続喪服を着たのである。

今回も、オット父Gオさんのお葬式の時にどうしても連絡のつかないお宅があった。

なんと、そこのうちの奥さんがGオさんと全く同じ病気で前日に亡くなり、中途で目の不自由になったご主人は何もすることが出来ず(自分から電話ができなかったらしい)また、直前まで元気でいた奥さんだったので、文字通り悲嘆にくれていたらしい。

そして、なんと、Gオさんのお父さんになる人も、11月に亡くなっていると言う事を、Gオさんが初めて話題にしたのも、11月のGオさんのお父さん=オットの祖父の命日だったのだ。

Gオさんのお父さんと言う人は、Gオさんが生後8か月の時に亡くなっており、もちろん、法事なども行っていたでしょうが、なんと、もう88年経っている事になるので、私の嫁いだ30年前にはとっくに50周忌もすんでいた事になる(そんなことにも、今記事を書きながら気が付いた)のね。

その晩、いつも、朗らかなGオさんではあるが、亡くなった自分のお父さんの事を話す時も、いつもと変わらず、朗らかに、いつもよりも饒舌だった。

その時に予感があったのか、お葬式の時にはこうして、ああしてと、自分の願いを言い出した。

その際には、私はまだ遠い話と思い、いわゆるよもやま話。Gオさんのお葬式と言うよりも、お葬式ってこういうのがいいよね、って感じであって、まさか、本当にそれから間もなく亡くなってしまうとも思っていないから、深刻にならずに、「ええ?そうなの~?私はこうがいいな。」とか、お通夜が自宅がいいか、悪いか、精進落としがどうのこうの、こういう挨拶がいいだの悪いだの、けっこう、具体的に、結果とすると、Gオさんの希望を聞いたと言う感じになったのだった。

けれども、その後マゴの七五三のお祝いがあったり、義弟の還暦のお祝いがあったり、その話の後の一週間は、人寄りがあり、今まで来なかった人がふいに訊ねて来たりなどがあった。

前の晩もいつも通り、というか、普段は私も二階に上がっていて、Gオさんのお休みはオットがかわすだけなのだけれど、その晩はなんとなく、私もまだ、下におり、Gオさんの最後のお休みを聞いた。

そして、私たちも現実として、Gオさんの亡くなった前後に多くのお葬式があり、火葬場や、葬祭のホール、お寺さんの都合がなかなかつかず、日程が向こうになり、さらに火葬場では15分刻みでだびに付され、送迎のバスの入口が開けばすぐに流れ作業での、あわただしい火葬を経験する事になるのです。

それでも、日程が遅くになったので、なんとかかんとか、私たちの支度も間に合ったと言うところもあるけれど、その間のBこさんの挙動にも困ることにもなったのであります~~。

それにしても、最近、都会では、火葬場が足りず大変だと聞いたけれど、都会ばかりではなく、もしかしたら、葬祭事情は深刻な状態なのかもしれないなと、思った次第です。

あれ?まだ、葬祭会場での、打ち合わせの場についたばかりだね。

そうなのよ、この日は(も)長い長い一日だったんだねえ…(シミジミ)