曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

手術当日

2013年10月31日 | 高齢者

さて、手術当日になりました。

前日は表面上は和やかに別れた私と弟夫婦。

事故後約1週間、もやもやどころか、めらめらぐらいのものが、くすぶるいや、燃え上っておりましたが、一応、前日の話しでこちらはすっきり(ある程度)。むこうさんはいかがなものかはわかりませんが。

朝、手術に付き添うために病院に向かう途中で、めずらしく弟嫁よりメールあり。

一応、付き添えなくて申し訳ない。よろしくという内容。

まあ、一歩2歩前進でしょうか?

常勤で朝も早い弟嫁(しかも、片付けや掃除などは実家母が担当していたから、朝は大変だったでしょうけれど)が、そういうメールをよこしただけでも、かなりの前進ではあります。

しかし、この日は台風が近づき文字通り暗雲立ちこめる空模様。

とにかく、今日は実家の母が、前回の手術の時のように依頼心が強くなって、ベットに寝たきりにならないように、いやその前に、手術がうまく行きますように。それだけを願って、手術前も努めて明るく送り出し(実際、長時間の手術を受けているので、本人も私も、ある意味余裕ではあります。)予定よりも長くなる事も想定して、待機室で、なるべく、体を休めるように→時々まどろみながら→エコノミー症候群にならないように、時々その辺を歩いたりしながら、待っていると、まだ、手術室からの連絡のないうちに、「医療ソーシャルワーカー」なる人が、やってきました。

「今、整形外科に手術が無事終わり、迎えに来るようにと連絡がありました。手術後の処置の間に転院についての説明をしたいのですが。間もなく部屋に戻りますので、そちらに付き添っていただいて、部屋に戻られたら、ナーススティーション内の相談室においで下さい。」と言われました。

それから間もなく、Dr.から手術の様子の説明。

   写真はクリックで拡大します。レントゲンは事故直後のものです。

骨折は2ヶ所。特に細い骨の方の関節部分のところに、プレートを入れて、それをボルトで固定する予定が、うまくいかず、とりあえず、ボルトと、針がねの様なものをぐるぐる巻きつける固定をしたが、やはり骨がもろく、ボルトを打ち込むのも大変だったとの事でした。骨がもろいというのもですが、レントゲンで見るよりも、折れた部分がかい離してしまっていて、破片の方は薄いガラスのようになっている部分が多く、留めるに留められない状態だそうです。太い方の骨はもともと固定が出来ないので、そのまま。

関節部分なので、そのまま固まってしまうと、動きが制限されてしまうのは仕方が無いだろうと言う事でした。

固定したまま、3か月だそうですから、関節が固まって、それを動かせるようにするには、年齢的な事もあり、かなりの困難が予想されます。その間は他の筋肉を鍛えて、右足のかかと部分で立った状態で体を支えられるようにリハビリする事になります。

さて、手術室から無事帰ってきた実家母はベットごと部屋へ戻り、その後の処置。

一応ちらり顔を見て、一言二言話をしただけで、廊下に出て処置が終わるのをしばし待ち、「さっき、こうこう言われたので、呼ばれたら、行ってくるね。」と言っているうちに、「では」とよばれ、急いで相談室に行きました。

続く~~。

 このころには、すでに風雨が強くなってきていたのでした~~。

つうか、この後の話はすでに記事にしてあったのでした~~→  こちら

 法多山にお参りに行った時に見かけたお地蔵さん

お地蔵さんの前に置かれた、小さなお地蔵さんも、

お前掛けと紅いお帽子をかぶっていました。

ココログに写真をアップしました→こちら

参道を下りる人たちを陰ながら見守ってくれていますよ。


手術前夜 その3

2013年10月30日 | 高齢者

電話での、詰問調(少なくとも私にはそう聞こえる)の質問は続き、でも、もうそのうちにそろそろ、市内に入ってきたので、病院で双方落ちあう事にしました。(つうか、始めから落ち着いて話そうよってなもんですが(;一_一))

母親の前や、オットの前でバトルは嫌だし、けれども、一度はきちんと話をした方がいいだろうと、私ひとりで、病室に向かい、待ち合わせの時間に行ったのですが、ばあちゃんは熟睡中だし、弟はなかなか来ないし、廊下でうろうろしていると、遅れて、弟夫婦が登場。

Yこさんは、これからシャワー浴に行くと言うので、その前に、縁起もの(?)の厄除け団子を食べさせて(このあと断食だしね(*^。^*))弟夫婦と私は談話室へ。

そこで、改めて、先ほどの質問が。

で、結局姉さんはいつから病院にいたんだ?

ずっこ~~ん❣\(◎o◎)/!

だからさ、救急車を追いかけて入口で捕まえたつうたろう。

「え?最初からいたの?って事は何時から?」

めんどくさいなあ~。もう一度時系列で説明ですわよ。

カクカクシカジカ…

なんで、母親が出たがったか?だから、ちゃうって。まあいいよ、丸椅子でどちらかが寝ずの番をするか、あるいは、遠方の病院に転院してもね。そうすれば、家には帰らないで病院にいられたけどね。

「いやいや、それは困る」

だしょ!だから、「君たちに負担を掛けないように、迷惑を掛けないように」とりあえず、その晩は自宅にと、「選んだ」んであって、どっちがよかったの?(遠慮して、薬の事とかあるからって言っているだけで、本当はその晩に今の病院に入院したかったんだからね)

でもさ~、歩けないのを返すって…。と弟。

「介護タクシーを呼んでくれるって言ってくれたんだけど、→(アンタン嫁が)この方が、帰ってきちゃ困るっていうから、仕方なく君の迎えを待っていたんだよ。介護タクシーは家の中まで車いすで運んでくれるから、運びなれない人が移動させるよりも、その方がいいと思いますよ。って言ってくれたんだけどね。」

そしたら、弟嫁、にっこにこして「だって、○○さんのいない時に何かあったら困ると思って」

「私と2人ついていれば帰っても大丈夫だったと思うよ。それに、1時間は早く帰れたしね。私もさ!」

弟、「そうだよ、そうすればよかったじゃん!(今頃気づくなよ)」

私「それから、連絡先も自分たちで伝えるべきじゃなかったかしらね(どなたか、さっさとお帰りになりましたが?)。」

と、そこで、弟嫁「お宅のおじいちゃんたちは大丈夫でしたか?」

「(ほお~~、気がついたか)かわいそうに、食べるものもなく、どうしていましたかね。3日続けて、夕飯がエライ事でしたよ。日中も放しがい状態だからね、家庭崩壊寸前ですわ。おかげさんでね。」

あの話この話ボヤの話し(←お陰で休日も早朝に起きてますし)そして、今朝のBこさんの話し

ま、そんなわけで、いざとなったら、私は離縁すれば楽になりますから(^_^)vそうしてもいいかと。真顔で(もちろん、真剣な話ですよ)いいたりましたぜ!

等など、一応、一通り経過報告いたしましたので、それに、明日私お付き添いがございますもので、家にGBとど放し飼いでございますので、これにて、失礼。

でも、わたくしもタヌキでございますから、お腹の中の毒づきは隠し通したんでございます。

もちろん、弟夫婦と同居の母親が帰る場所がなくなっては困るからです。

あ、この時初めて転院の手続きの事、退院までにいろいろ公的機関で援助が受けられるように手続き、家の中の整備など、言われた事はもれなく、伝達しましたよ。

で?どこに電話するんだ?

「お宅の居住地の担当の地域包括支援センター。」

「何番なの?」

以前に介護保険の申請をしているからわかっているはずですが?

「まあ、一応教えておいてよ」

なんで、お宅の担当を私が知ってるんだ?ウチとは違うんですけど!(知ってましたけどね)

仕方が無いので、「一応」教えておきました。その後どうしたかは、もう私関知しておりませんですよ!自分たちでやれ!

手術日に誰かがいないと、手術はしてもらえないので、もちろん、それは「母親の」為に付き添います。その後の事はよろしく~~

実家母Yこさんは、よく、弟嫁は、弟や私に対する時と、自分(母親Yこさん)に対する時とでは、全く違う態度なんだと、言っていましたが、この日の弟嫁、事故の日の態度と全然違っていました。

最後には「おねえさんは更年期はどうでしたか?」なぞいって、なんだかすり寄ってきましたけど、まあ、冷たくはしませんけど、私自身も何もなかったわけでもないし、それなりに、今だって年相応の体なんですからね、これが、更年期だからかどうかはわからないけれど、もうそろそろ、シニアだから、若い時のようには動けませんねと、答えておきました。

まあね、義妹も大変だとは思いますよ。でも、それは、私も同じ。

申し訳ないけれど、GBさんの事もあるから、いつも私が当てになるとは思わず、自分たちの家の事は自分たちで何とかする手立てを立てておいてくださいね。

(@^^)/~~~

頑張れ~~~ お疲れさ~~ん。君たちも大変だが、頑張れや!

と、病院の出口で別れたのでありました~~。→手術当日に続きます~~


手術前日 お札をもらいに その2

2013年10月29日 | 高齢者

話しが飛んでしまいましたね。

また、過去に戻って、実家母Yこさんの手術前日、法多山にお札をいただきに行き、そのまま、母親の入院先に向かうその途中で、弟からの電話が掛かってきました。

運転は我がオット(今のところ)とどの運転だったので、わずらわしかったですが、そのまま(会って話せばいいじゃんねと思いながらも)弟の質問(詰問?)に答えるような形での、話しになりました。

こちらは、弟嫁が、事故当日そのまま帰ってしまった事や、「おばあちゃんが我がまま言って入院をぜずに帰って来る」と怒っている事に対して、言葉には全くしていませんが、心の中では怒っているわけです。

その後、弟嫁にスーパーでばったりでも、何も言わず挨拶だけで踵を返して行ってしまったり、弟からももちろん、義妹からもなんの電話も話しもない事に、こちらからは絶対に話をしないと、思っていたので、実に事故後6日後になって、初めて弟から「事情聴取」でございますわ。

まずはYこさんがその晩なぜ、自宅に帰らなければいけなかったのか?ばあさんの我儘じゃないんだな?自分でも薬の事もあるから一度帰ってきたと言ってるぞ!ばあさんの希望で出てきちゃったんだろ?

出来るだけ、平静に説明しましたが…。内心はとっても腹立たしいです。

連絡先がばあさんの自宅になっていた。ばあさんの電話番号じゃ役に立たんだろ?(同居なんだし、出ようと思えば出れるはずでございますが?)なんで、うちの電話番号じゃなかったんだ?

すんませんね。一応本人の住所電話番号は伝えないとでございますから。それに、まだ、生死も(まあ、生きているとはわかってましたが、どの程度の怪我かも全く分からない時でございますよ)不明で、混乱中にそこまで考えませんでした!(あんたんとこのヨメがいればよかったんだよ。会計もしないでお帰りになりましたからね~~。その時に連絡先の確認があったんすよ。帰っちまう人のところに電話して役に立つのか?!)

で?姉さんは事故現場は見たのか?目撃者から話は聞いたか?

あのさ、悪いけど、まずは生死確認だろうが!目の前に救急車が走っていくんだから、そっちを追いかけたわよ!呑気に事故現場に行ってる時間はない!

つまり、目撃者が誰かは知らんのだな?会ってないんだな?

だから、私は病院に…

「会ってるか会ってないかだ。」

「あってません。」

おいおい、私何か悪いことしたか?

 

と、こんな調子で、詰問調事情聴取は行われたのでございました~~。つづく~~

 

と、気を取り直して、

かわいい、フウセンカズラの花を、ココログにアップしました。

実も名前の通り、紙風船のようなかわいい実です。

こちら


無事転院しました

2013年10月28日 | 高齢者

実家母Yこさん、無事転院しました。

なんにしろ、手続きが…めんど!

いろいろありますが、まあ、無事に移動完了。入院手続き中にはリハビリ友(?)がいたり、それに、一長一短ではありますが、今までよりはゆったりあり、窮屈あり。

いろんな人が出入りし、様々調査あり…。

母親もかなりお疲れでしょう。早く、慣れてくれるといいですが。

持ちモノ、ほんと、一つずつに名前付け。すべて数チェックで…。

それでも、思ったよりも筋力がついていて、(根性で付けた?)自分では介護タクシーでなくても大丈夫だったなぞ言ってます。

リハビリ病院入院後も、外の病院にも連れて行かなくてはいけない日もあるので、全くほおったままでいいとは言えませんが、それでも、かなりこちらは(何もなければ)、楽になるかな。

やれやれ。

今頃弟もぐったりでございましょう。

まあ、第1段階クリアと言う事で。

 

さて、8の付く日は 8na8na-clubの日です。

ココログに 8na8na-club アップしました、

→こちら

青い小さなかわいいお花ですよ。

 

けれども、今まで、母親の病院に行っていた時間になったら、なんだか泣けてきちゃった…。

もしかしたら、今までの中で一番遠いところに、母親は行ってしまったんだな~~。

なんて、海外にでも行ってしまったような事言ってますが。

気がつかなかったけど、毎日会っていたわけではないけれど、いつも、すぐそばにいてくれたんだな…。

弟曰く 「ババの意地で、年末に退院だ!」

なるといいな。

頑張れ!Yこさん!


お札をもらいに…の騒動

2013年10月27日 | 高齢者

なんだかんだいいながらも、無事入院が出来た実家母Yこさん。

その後、私の方の生活はGBさんに目が離せない。けれども、実子であるとどは、動かないという、腹立たしいストレスな日々→こちら と こちら そして、→ こちら

仕事関係も特にNPO関係はトラブル続出→こちら もっとも、これも、すべてをココにかくわけにも行かず、もっとどろどろあり。

とにかく、GBさんに火を使わせないようにと、休日に朝ゆっくりできなかったのは、きつかった。

しかも、3連休

その、連休明けには実家母の手術を控え、ふと、その前の2回の手術の時には、法多山(はったさん)のお札をもらいに行き、完治(ほぼ)の後は、母親とお札を納めに行っていたのだったと言う事を思い出し、行くなら今日しかないと、連休最終日、脱出を企てる。

ええ、出来ればついでにコスモス何ぞ見に行きたいという、淡い希望もあった。

とはいえ、午後には母親に頂いたお札を渡して、縁起もののお団子も食べさせたい。

でも、幸か不幸かいつもよりも早く起きて朝食も作り、洗濯もしていたので、行ってくる時間はある(お昼には遅れるが。どうせ、GBさん勝手にするだろう、いや、お昼ぐらい自分たちでなんとかしてもらいたい。連休中の3食×5人はただでさへ、負担だ!連休がないほうが、まだましだわ!)

まず、法多山(はったさん)に私が出かけるというのが、Bこさんには気に入らない。

それはわかっていたんですけどね、一緒に行くと言うとどを置いて行けばいいのか?(私が行かないといのを求めているぐらいわかっていたが、あえて、とどが家にいればいいのか?と聞いた)と聞くと、

「……」

おもしろくないから黙っていると言うのはわかっていたが、

「前にはお札をいただいてきたけれど、今回なしっていうのもゲンが悪いから行ってきますよ。とどに家にいてもらいますか?」

「……」

「お昼にとどがいればいいですよね?私ひとりで行ってきますから。じゃ!」と言ったら、

とどが「何言ってるだ。俺も行く!」

内心、ひとりの方がいいんだがと思ったけれども、とどと、法多山(はったさん)へ。

道々聞くと、Bこさん、とどに、「私の腰(?)もよくなるように拝んでこい」と言ったそうな。で?私に出るなと?つまり、一緒に出かけるというか、私が出かけるのが気に入らなかったって事だよね。自分はいつもGおさんにくっついて、どこへでも連れて行ったもらうのにね。

挙句に、Bこさん、よその人の声はよお~く聞こえるが、自分の家の人の話す声は聞こえないとのたまったそうで、「おじいちゃんと、とどの声は、太すぎて聞こえない。よしこさんの声は大きすぎるか、蚊が囁くような声で聞こえない」つうたそうで(;一_一)

まあ、聞きたくないんですな。

別にいいけど。

まあなんとか、とどとの、珍道中は無事に済み、お札2人分(とどはBこさんに頼まれたのに、意地になって買おうとしないので、結局私が買った)も厄除け団子もゲットし、急ぎ帰路に(正確に言うと、実家母Yこさんの入院先の病院に)ついて、そろそろ、静岡市内に入るころ、それまで音沙汰なかった(こちらもあえて連絡しなかった)弟からの電話が入ったのでありました~~

続く~~


入院の次の日

2013年10月26日 | 高齢者

交通事故で無事(?)入院した実家母Yこさん。

一時間ほどの警察の事情聴取が終わり、そこで、やっと、Y子と話が出来た。

すると、思いがけないことを言い出した。

この病院に入院後、そのまま、リハビリ病院に転院することになった。それは、弟が希望し、保険会社もそこの費用を出す事を了解しているというのだ。それを、もう入院の手続きの時に弟が言って、病院側も了承したとの事だった。

母親もさらりと「動けるようになるまで、ちゃんと面倒見てもらわなくちゃ困るからだって。」と言うけれど…。

 

私には、思いがけない事で、でも、よく考えてみれば、前回の足の手術の時には退院後が大変だったから、そうかあ、そのあとのリハビリを考えれば、リハビリ病院も仕方が無いかもと、思いながらも、う~~~ん、これは、弟夫婦の介護生活拒否というか、面倒掛けられちゃ困るってことだよねえ。

それに、そんなに、うまく転院出来るのかね。

それ以外にも、出来るだけ向こうからお金を取ろうと言う魂胆等と言ったら悪いけれども、え?そこまで言う?と言うような事も、相手に言ったらしい。

よくわからないが、たった一日で、ここまで話が進む?いや、事故から2日か。それにしても?

それに、昨日は入院手続き、そして、夜になって、先生から手術と今後の事の説明があったのだけれど、その時にもどうも、病院側の心象が悪くなるようなことを言ったらしい。

そうこうしているうちに(母親とろくに話をしていないうちに)ちょっとすみませんね、と看護師さんが、パソコン持ち込みで、聞き取り調査をさせてくれと言ってきた。

なんでも、リハビリ病院に転院するには審査があり、その為の聞き取り調査だそうで、かなり立ち入った事も聞かれた。収入だの、家族構成だの、家族との関係は良好か?など。生活全般、今までの生活の様子。いわゆるバリアフリーというか、今のままで歩行困難な状態での生活が出来るか家の中の状態、ベットがあるかとか、段差や階段はあるか?お風呂の事も。あと、具体的にどのぐらい家族が生活の介助ができるのかと言う事も。かなりの時間を掛けての聞き取りなんですが、Yこさん、家族との関係は良好ですか?と聞かれて

「ええ、いいですね~。とてもよくしてくれます。こんなこと言ってはなんですが、看護師さん以上によ~く面倒見てくれます。ほんとによくしてくれて、こんなにしてもらっていいのかと思っています。」と身を乗り出して言ったんです。

「……」

聞いていてなんだか、わたくし、悲しくなってしまいましたよ。

いろんな意味で、母親がかわいそうにも思ったし、あれでよくしてもらってるって…。

いや、確かに弟は出来る範囲で頑張っていると思います。きっと入院の時もひとり奮闘して、母親を抱えてきたんだと思います。頑張ったんだと思います。

でもね、

「気持ちは充分あるんですが、夫婦でフルタイムで働いているので、昼間はひとりですし、その間が心配です。昼間だけでなく、夜もひとりで食べることが多いようですし、弟も帰ってくるのは早くて9時だそうですから、気持ちはあっても実際には平日はほとんといないも同じですし、週末も出ることが多いし、泊まりで出かけることも多いので、夜もひとりと言う事も多々あります。それに、お風呂はたぶんひとりでは入れないと思います。少なくとも前回の入院の時には1ヶ月間お風呂に入れずにいましたし、靴下も替えないままいたために、踵にジュクソウが出来ました。」

そこんとこ、詳しく~~と、聞きとりは続けられ、

「一応、リハビリ病院転院の対象になると思います。

そして、今の怪我の状態から行くと、リハビリは3か月は掛かりますが、リハビリ病院も3カ月しか入院が出来ません。退院の時には自宅での生活が可能かの調査があり、公的な補助の手続きも今のうちにはじめてもらって、誰もいない時の生活が出来るかと言う事が確認できないと、家に戻ることはできません。今のうちに出来る家の改装や、整備を行い、それと並行して、今のうちから公的援助が受けられるように手続きを進めて下さい。

介護保険が受けられれば、ディサービスでの入浴が可能なので、家の中での事故で一番多いのが、入浴中なので、週3日入浴サービスを受けることを考えた方がいいと思います。いくら、入浴が出来るような介護用品を使っても、ひとりでの入浴はこれからは無理だと思います。入浴中に誰かがついていられるなら別ですが。お聞きした状態では、一番いいのはデイサービスを利用しての入浴で、それさえ出来れば、ご家族もご負担が大分違いますし、何よりお互いに安心だと思いますよ。

あと、ベット周りは○○、トイレは…」

といろいろ、説明を受けた。

早く介護保険の申請をしておけばよかったのにねえ~~。

まあ、それでも今回は弟たちも動くだろう。

それにしても、「よくしてもらっている」かあ。

以前から、長男信仰の母親ではあるが…。

お~~い。目の前にいるのは長女だぜえ~~…。

やっぱり、母親には弟しか見えてないんだねえ……。

とまあ、複雑な心境をかかえつつ、またも、とっぷりと暮れてしまった道を、気持ちもしぐれて帰ったのでありました。

弟には「警察の調書終了。転院の為の聞き取り調査終了。今病院を出ました。忙しいので、詳しくは後日。」とメールで電報を打っておいだぜ。

ぜいはぜいは(自転車こぐ、わたいの喘ぎだす)

あのさ~、よく考えたらさ、事故のあった日、私風邪気味で頭が痛かったので、掛かり付け医で診察を受け、血圧が高かったので、ついに血圧の表を持たされたんだったんですわ(Q )) ><ヨヨ

その日は薬を飲むどころではなかったし、頭痛何ぞ、どっかへぶっとんでまったけど、血圧は順調に上昇中↗(よく考えてみたら、もう2週間前の事だったがな…)

そりゃ、上がるわな~~~。

まあ、この後しばらくして徐々に下がっては、来たけれど、今日もまた、血圧上昇事項が起きたんであります~~~ドテ(Q )) ><ヨヨ

 


入院当日 そして、次の日①

2013年10月25日 | 高齢者

実家母Yこさんの事、今までの入院闘病については、ずっと、私が付き添い、いろいろ手続きもやってきた。

けれども、やはり、それはよくない。

弟夫婦は、母親の事をわからないまま、病院のいろんな事もわからないまま、単に不満不平が募るだけ。

入院の時の煩雑さとか、通院だって、大変なのをやはり、身を持って知るべきと、今回の入院時には、弟にやってもらう事にし、私は、仕事と、自分の家の事に選任。

一応、手術日には付き添うつもりだけれど、頼まれたこと以上はしないし、第一、交通事故の当日の義妹の態度は、腹立たしいというか、人としてどうよ!と思っているので、むこうさんが何か言ってくるまで、こちらからは何も言わないつもりでいた。

両脚付けない母親を、どうやって連れて行ったかも、聞いてはないが、一応、つつがなく入院出来たようだ。

入院手続きだって、前日、出来るところはやって来てあるので、それほどでもなかったはず。

夜7時過ぎに、医師から手術の説明があるとの事だったけれど、そちらも、弟に任せた。

入院日の次の日も、これから、何があるかわからないので、パート先の仕事も出来るところは片付けて、NPOの活動(こちらも、欠員が何人か出て、ぎりぎりの人数での活動になっている)にも支障が無いように、日程も調整。

昼過ぎに遅いお昼を食べに家に戻ったけれど、このころは、GBさんにもとどにもいわゆる「むかついている」状態。

Bこさんは目の前でよたよたしていたけれど、その、よたよたすら、腹立たしいのだ。これは、理屈ではないね。申し訳ないけれど、顔を見たくなかったので、昼食をかき込むと、そのまま母親の入院先に向かった。

この時の事は→こちら に 

顔も見たくないと、はっきり言えば、Bこさんから逃げてきた私。この日のBこさんの様子は→こちら

仕事も一段落(一応山は越えた)NPOの方もなんとかなった、一応母親も入院できた…

以前には殺風景だった病院も、今は喫茶コーナーや休憩コーナーが出来て、丁度、1人用のソファー椅子とテーブルが開いていたので、抹茶ラテを買ってきて、一服…(この時の事もこちらで)

しばし、撃沈してから、重いそして、苛立った気分のまま、Yこさんの部屋へ。

と、そこに主治医の先生が、通りかかり、先生の方から声を掛けてくださって、「昨日息子さんですかね、手術の事を説明しておきましたけど、(彼で)良かったですかね?あ、Yこさんのお部屋はあちらですよ。そこ、真っすぐ行って右ですから。」

以前から、無愛想な先生ではないけれど、テキパキ話す先生だけれど、ちょっと、この日は「良かったですかね?(彼に話しちゃって良かったですか?)」が珍しく婉曲な言い方で、ひっかかった。

そして、Yこさんの病室に行くと、そこには、警察官の姿があり、事情聴取中でした。

調書って手書きなんだね。警察官の人が丁寧に手書きで調書を仕上げ、それをYこさんに読み聞かせ、間違いがないか確認すると、文章の最後のところに間を開けずに、署名捺印。

それが終わると、私にも事故の説明をしてくれた。

Yこさんが青信号になったのを確認して横断歩道を6歩歩いたところに、左後ろから、車がYこさんの左足に乗り上げて止まった。横断歩道全体の3分の1の距離だそうで、目撃者、被害者加害者からの聞き取りの結果が一致していることから、警察の方はこれで事故処理は終了するとの事。

なによりも、事故の時に停車中の車の目の前でひかれ、その運転者の証言から、正確な距離がわかったことが決め手になったそうだ。目撃者も渡り始めた側、反対側に何人もいて、乗り上げた車をみんなで動かしてくれたそうだ。

その時、足は反転し、足裏が上に向いた状態にねじれた状態だったそうで、しかも、ひいたのは後輪ではなく、前輪であること。

青信号を確認して歩き始めたのも、目撃者がいたそうだ。

なによりも、横断歩道の3分の1って、しかも手前(歩き始めた側)の方は右折レーンがあって、2車線、車が向かったのはその向こうの1車線のところなのだから、相当内側を走ったことになる。

一歩(文字通り)前に出ていたら、体ごと跳ね飛ばされていたかもしれないのだ。しかも、何かに乗り上げたと思って止まったら、おばあさんをひいていたと気がついたそうで、運転者への怒りと、よく、これだけの怪我ですんだとほっとした気持ちと、少し、母親にも悪いところがあったんではないかと思っていたので、母親は悪くなかったんだと、安心したような、理不尽さに腹立つ気持ちと、なんとも複雑な気分だ。

警察の方が帰られて、まもなく、今度は、看護師さんからの聞き取り調査があったんであります。

またまた、続く~~。

 


事故の次の日ー後半その3

2013年10月25日 | 高齢者

事故の次の日 やっと、病院の手続きが終わり、日中一人で自分で排せつの処理をして、頑張った、実家母のもとへ。

本当はじっくり説明したいところだけれど、こちらも思いがけず時間がかかってしまい、しかも次の日は早朝からの丸一日の仕事が入っていて、自分の家のの方の用事も溜まっている。

とにかく、頑張っていた母親をねぎらい、そして、明日の本人の支度について、説明。

あとは、弟に渡す書類。弟から保険会社へ預ける書類…。

明日の入院に必要な書類や薬の用意など、こまごま言い置いて、とりあえず、そのままスーパーに突っ走る途中で、弟からの電話。

向こうはいろいろ聞きたい事が合ったようだけれど、そして、私も言いたい事が色々あったけれども、この時は本当は今日入院が出来たんだなんてことは言わず、「明日入院で、必要なものは○○。それを持って、午後病院に連れて行って」とだけ言って、「今日も時間がかかったし、明日も私一日仕事なんで、すんませんが、これからもうダッシュで自分の方のことをやらせてもらいます。あとはよろしく!」

正直言うと、余計なことを言うと、爆発しそうだったからね。

なにせ、むこうはそのつもりはないんだろうけれど、いちいち人のやったことに文句を言う(というか、病院や母親への不満を私に言う)のが、腹立たしい。

その場にいてくれれば、わかることなのに。

これからの弟夫婦と母親との事を考えても、これ以上、私がやってしまうのは、よくないだろうと、ちょっと、突き放して(なにせ、弟からももちろん、義妹からもなんのねぎらいの言葉はない。文句はいろいろ言われたけどね(;一_一))置こうと、早々に電話を切って、スーパーに飛び込む。

考えてみれば、事故の電話をもらったのも、そこだったのだ。それから、まだ、丸2日と1時間ほどしかたってないのだ。

何日か分の食料を買い占め(気持ちはね)大荷物で帰ったら、我がオットとどは、早々に帰宅して、その辺にとどっておったぜ(;一_一)=ごろごろしておった!

ふんずけたろうかと思ったけど、そっちは寄り道なんでねフン!横目で廊下を通って台所に直行!

大忙しで支度をしているところに、Gオさんが、すり寄ってきて、

「ここみて!こんな腫れてるのに、○先生は年のせいだなんつうだよ。ひどいしょ?」

と手首の骨瑠を見せる。まあ、大きくはなってるが(普段なら、あら~なんて同情の声をあげるが)どおってことはない!心配ならゴルフなんて行くな!とは、言わないが、鼻でフン!

更にGオさん、「呼吸器のB先生が、娘さんはどうしたですか?顔が見たいなんつってたウショウヒョ」このGオさん、掛かり付けのB先生は私の事をいつも娘さんと言い、ついて行かないと、私の事を心配するのだそうだ。Gオさんは、娘さんと言われるのがうれしいらしいのだが、この、ゴルフ騒ぎ後は、なああんも、うれしくないのだ!私は!

すりよんじゃねえ!と心の中で叫びながら、気のない返事しかしない私。

Gオさん、しおしお引っ込みましたが、この時はかわいそうなんて感情はわかなかったね。正直言ってさ。

明日私がいない隙に、また、なにかするんじゃないかえ?でも、私は駆けつけないぜ。物理的にも無理だし、駆けつけるのはとどだからね!

私は娘じゃないし!

が!がが!

かまってほしいGオさん、何度も何度も「B先生が、娘さんは?って。会いに来てだってさ。娘さんにって!」繰り返すんですな(;一_一)

ほへ~~~。

これで、Bこさんも同じなら、まあ、かわいいんですが、こっちは違うからね。こっちは、逆へ逆へ行くからね。出来ないのを出来ると言い張り、お風呂もひとりで入れるだの、どこへだってひとりで行けると言い張ってますわ。あのさ~~、鍵も掛けられないのに何言ってんのさ。

よろしいおす、ひとりで頑張っておくんなさいまし~~。

片付けもいいよ、わたしんやるよつうてます(結果は朝のまんまですがね~~)

いいよわたしんやるから、よしこさん、出かけて。

ええ、言われなくても時間に出かけます。

で?(よしこの)お母さんの入院について行くでしょ?○子さん(義妹)も行ってくれるでしょ?

「い~~え!私は仕事です!」

行ってきま~~すと次の日出掛けたのでありました。

入院前の晩、どのように、弟夫婦と実家母Yこさんが過ごしたかは、もう考えないようにしました。とにかく、入院の日はすべて弟に託し、手術日は私が付き添うと決めて。

その後もごたごたは続くのでありました~~

ココログに ぼろぼろの… の記事をアップしました。

よく似たお花 芙蓉とムクゲの花とセセリ蝶を載せました。


事故の次の日ー後半その2

2013年10月24日 | 高齢者

交通事故って、色々事務的にも大変なのね…。

保険会社や加害者との対応は弟におまかせなんだけれど、警察に提出する事故証明(確かに車にひかれて足首を骨折しましたって証明だね~~。このバヤイね)が至急いると言われて、その事しか頭にない、実家母Yこさん。

事故証明の事を電話した時に、「入院する為に午前中に来るように」を「書類を作るのに午前中いっぱいかかる→午後行けばいい」と受け取ってしまって、とにかく書類を取りに行って!早くしないと警察の人が取りに来ちゃう。来たら、這いずって玄関まで行くなんぞ言っているので、トイレにも行けないで、おむつで対応なのに、なあ~~にを言っとる!先生もくれぐれも動かないようにと言っていたでしょ?いいのよ、警察の人が来て出ていかなければ電話してくるから、電話で説明すればいいでしょ?

と、言い聞かせ、仕事の後、病院に寄った私。

まだ、書類を受け取ることが出来ず、うろちょろしとります~~。

やっと、入院手続きをして、(やはり連絡先の電話番号が違っていた(Q )) ><ヨヨ 実はこの後も他のところに書いたのも違っていて、なあああ~~んか、落ち込みましたぜ。よくよく考えてみれば登録が間違っておったんですな!つうか、弟の携帯の番号が変わったのがそのまま登録に残っていて、前の電話番号で記入してしまったいた)ドテッ!

入院手続き、何度か電話をしに行って確認してなんとか終了。

そして、整形外科に行くと、

「書類が出来ておりますが、こちらは大変申し訳ありませんが、ご説明した通り有料となっております。先にお支払いをすませていただいて、その領収書と引き換えになります」

へい!急ぎ会計をして、戻り、やっとやっと、書類!

「それでは確認させていただきます。○○○子様 事故証明

内容朗読…

以上、間違いありませんか?」

「ハイサイ!」

何か悪用とかする人もいるんでしょうねえ~~。まるで金庫に入れておけ見たいなもったいぶった扱いの、ぴら~と、一枚の書類を預かって、はは~~~と押しいただいて、一応コピーもとって(もちろん、これも領収書付き)、そして、入院手続きでの書類の束に、常用している薬の小分け袋(朝、昼、晩 そして、痛み止めなどはまた別にして)の束。

落とさぬように、雨の中、母親がどないしているも心配で、ぜこぜこ、実家に向かいました。

丸一日、母親、ほんとに頑張りましたよ。

ほんとは今日入院で来たんだよは、もう、言わず、とにかく明日入院だからね、と、明日の持ちモノの説明と、事故証明とその領収書。入院手続きの用紙、そして、保険証や診察券も入院時に必要なので、大量の書類やカード類、ひとまとめにして、もう、どうせ、うちが身元引受人になるものわかっているので、勝手に書類も書き書き!

後ろ髪引かれながらも、我が家も今日買い物に行かないとホントに干乾びちゃうので、(2日スーパーにも行けず×5人分の食事はきつかったもの~~。文字通りすっからぴんでございます~~)またまた、今度は自転車でスーパーに急いでいると弟から「今どこ?」の電話。

またまた 嵐の日は、続くんであります~~

ココログに アップル を アップしました~~

こんなの、見つけるのが 楽しいんですなあ~(*^^)v